塞翁が馬



 何が幸運で、何が不幸かなんてわからない。

“人生万事塞翁が馬”

 つまりは、そういう事。




 風呂が壊れた。

 まだ夏まで間があるとはいえ、毎日泥だらけになる身としてはこれは辛い。
外で風呂に入ろうにも銭湯は遠く、その上任務が終わる時間はかなり不定期だ。
任務が終わったときに銭湯が営業終了している可能性も高く、その上自分が里
の人間から受ける待遇を考えると入ることを拒否される事も考えられた。

 さて、それならばどうするか。

 風呂にはいるのを諦めるという手もあるが、それでは寝るとき気持ち悪い。
家に帰るなり正体を失ってしまう事も少なくはなかったが、意識があるときは
寝苦しさに呻く羽目になる。そんな状態に陥るのは流石に御免だった。

 誰かの家で風呂を借りる、という事も考えた。だが誰の家の風呂をと考えた
ときに、その答えは見つからなかった。真っ先に浮かんだのはイルカの顔だが、
先ほど記したように、任務が終わる時間は不定期だ。毎日きちんとした生活を
送るイルカの事を考えると、彼の家の風呂を拝借するのは悪いような気がした。

 次に浮かんだのは火影の顔だ。彼ならば喜んで自分を迎え入れてくれるに違
いない。だがその事によりどのような噂がたつかを考えたとき、火影を頼るこ
とは諦めた方が賢明であるという結論に達した。

 悩んでいるうちにも時間は経過する。結局その日は風呂に入らず、ナルトは
夜が明けるのを待った。









「…これで、三軒目…。」

 膝の上に広げた情報誌にペケ印をつけながら、ナルトは溜息をついた。

 風呂が壊れたから直しに来て欲しい。そう頼むと店の方は客だと思って喜ん
でOKを出すのだが、名前を出すと手のひらを返したように冷たい態度に出るの
だ。

「やっぱりその日は駄目だ」とか

「今の時期は忙しいから」とか

 遠回しに断られる事もある。だが一番堪えたのは

「お前の家には行きたくない」

 というものだった。彼等の気持ちも分からないでもない。ナルトは嫌われて
いて、そんなナルトに何らかの形で接触した者もまた、人から嫌悪の目で見ら
れる事になるのだから。

 誰だってそんな目には合いたくない。それは理解しているつもりだが、それ
でもこんな時は嫌われ者の我が身が辛い。自力で直そうにもナルトに風呂の構
造が解るはずもなく、ただただ溜息をつくしかないのだった。

 だが、ふと気がついた。学年一番の才媛と誉れ高いサクラならば、風呂の一
つや二つ直せるかもしれないと。サクラに頼むことに引け目を感じないといえ
ば嘘になるが、この際背に腹は代えられなかった。

 決めたことに関して、ナルトの行動は早い。手早く服を着替えると、ナルト
は外へと飛び出した。行く先は勿論サクラの家。昨日は一日中任務だったから、
恐らく今日は家で休んでいる筈だ。

 しかし、サクラの家の前までついた時点でサクラの両親の存在が思い浮かん
だ。もしかしたら、門前払いを喰らう羽目になるかもしれない。それは構わな
い、構わないがサクラにまで迷惑がかかるかもしれない。そう思うととてもじ
ゃないが、ベルを押す気にはなれなかった。

 サクラの家の辺りをウロウロして、暫く時間が流れた。あまりうろつき過ぎ
ると周囲の人間に通報される可能性もないでもなかったが、ナルトはそこまで
考えつかなかった。漸く近所の人から訝しげな視線を送られるに至って気がつ
いたのだが時既に遅し、ナルトは見知らぬ大人にグイと腕を掴まれていた。

「おい、お前!何してるんだ。」

 ギリギリと締め付けられる腕が痛い。だがここで下手に抵抗すれば相手を傷
つけてしまう。その思いがナルトの行動を戒めていた。

「来いっ。火影様に突きだしてやる。」

 その言葉を絶望的な想いを抱いて聞きながら、ナルトは目を閉じた。また、
火影に迷惑をかけてしまう。ただ風呂が壊れた、それだけで。こんな事ならば
最初から火影に相談すれば良かったと悔いたが、今更どうにかなる筈もなかっ
た。

「ちょっと待って!」

 聞き慣れた声が耳に飛び込んできたのは、今まさにナルトが火影の元へと連
れて行かれそうになったその時だった。

 薄桃色の髪を後ろで一つに束ねた少女が、こちらに向かって駆けてくる。

「ごめん、ナルト。寝坊しちゃって。」

 ぺろりと舌を出して謝る少女を、ナルトは目を白黒させながら眺めた。

 別にナルトはサクラと約束などしていない。だがサクラの口振りは、まるで
ナルトとサクラが何処かで待ち合わせをしていたという事を伺わせた。

「心配して見に来てくれたのね。」

 ナルトに笑顔を向け、そしてナルトの腕を掴んでいた男をジッと見つめる。

「この子が、どうかしました?」

 何もしている筈がないという、断定的な口調。サクラの気迫に気圧されなが
ら、男はナルトの腕を放した。

「…いや、待ち合わせか…。それなら…。」

 はっきりしない口調と態度でその場を濁しながら、男はその場を立ち去った。
男の後ろ姿が完全に見えなくなる頃を見計らって、サクラはナルトの頭に一発
拳を叩きつけた。

「もうっ、何でこんな所ウロウロしてるの?」

「…痛いってばよ、サクラちゃん…」

 頭を抱えて踞りながら、ナルトは恨めしげにサクラを見上げた。

「私が気がついたからよかったものの、気づかなかったらどうするつもりだっ
たの?あの男、無理矢理あんたを犯罪者に仕立て上げるくらいしたかもしれな
いのよ。」

 確かにナルトの行動は不審だった。不審だったがまだ彼は12の子供だ。外
見年齢でいけば10でも通る、それくらい子供なのだ。幾らフラフラしていた
からとはいえ、それだけで火影の所に連れていく道理はなかった筈だ。ナルト
に向けられている敵意に改めて嘆息しながら、サクラはナルトに向き直った。

「で、ここにいるからには私に用事があるのよね?どうかしたの?」

 サクラの言葉にナルトは頷き、風呂が壊れたという話を聞かせた。そして、
修理をしてもらえないという話を。

 話を聞き終えたサクラは何やら難しい顔をして考え込んでいたが、暫くして
口を開いた。

「…生憎、私機械にはあまり詳しくないのよ。悪いけど直せないわ。だけど、
シカマルならどうかしら?」

 サクラの口から漏れた言葉に驚きながら、ナルトは聞き返した。

「シカマルって、あのシカマル?」

 ナルトの知るシカマルは、単なるめんどくさがり屋だ。とてもじゃないが風
呂を直せる頭があるとは思えない。サクラにその事を伝えると、彼女は怒った
ように眉をひそめてみせた。

「シカマルって、本当は私なんかより頭いいのよ。ただ、それを使うのが嫌い
なだけで。前に学校でパソコン直してた事もあったから、多分大丈夫だと思う
わよ。」

「でも俺シカマルの家知らないってば。」

 戸惑いがちにナルトが告げると、サクラはポケットからペンを取りだしナル
トの手首を掴んだ。

 じっとしてて、と言いながらサクラは器用にナルトの手のひらにシカマルの
住所を書き付けていく。くすぐるような感覚に笑いたい衝動を堪えながら、ナ
ルトはサクラが書き終えるのをじっと待った。

「はい、出来たわよ。」

 ポンッとナルトの手のひらを叩いて、インクが乾いている事を確認するとサ
クラは西の方を指さした。

「この住所の位置、解るわよね。結構大きな家だから目立つと思うわ。一緒に
行ってあげられないのは残念だけど、大丈夫よね?」

 心配そうなサクラの顔に笑みを返しながら、ナルトはこっくりと頷いた。

「大丈夫だってばよ!」

「そう、じゃあ今度は不審者に間違われないようにね。」

 笑顔のサクラに見送られながら、ナルトはシカマル宅へと足を向けた。サク
ラの家からは結構遠かったが、サクラの言うとおり大きな家だったので直ぐに
わかった。今度は不審者に間違われない様、変化の術を使い可愛らしい少女に
化けてみる。淡い金髪のツインテール。服はジーンズ生地の青いワンピースで、
上には白いカーディガンを羽織っている。これならば誰もナルトだとは思わな
いだろう。

 ベルを押し、インターフォンに相手が出てくるのを待つ。出てきたのお手伝
いさんらしき中年の女性の声だった。シカマルがいるかというナルトの問いに、
何を思ったのかクスクスと笑いながら少々お待ち下さいと告げてきた。言われ
たとおり玄関で、おとなしくシカマルを待つ。程なくして現れたシカマルは、
いつも結い上げている髪を肩まで下ろしただらしのない恰好で、訝しげな目で
ナルトを眺めた。

「お前…」

 誰だと言おうとしたのだろう。だがナルトの今の姿を上から下までじっくり
と眺め回した後、漸く気づいたのか驚きに目を見開く。

「頼み事があってさ。」

 シカマルが正体に気づいたと確信したナルトはシカマルの腕に自分の手を絡
めた。そしてそのまま落ち着いて話の出きる位置まで遠ざかる。シカマルはナ
ルトの態度に感じ入るところでもあったのか、逆らう事もせずおとなしくナル
トに従った。

 人気のない道まで来たとき、先に口を開いたのはシカマルの方だった。

「お前、どうしたんだよ。」

 ナルトとシカマルはさして仲が良かったというわけでもない。それなのに突
然の来訪にあって、シカマルは少々戸惑っていた。おまけにナルトは女装(?)
までしてきたのだ。その理由は一応察しがついたものの、年頃のシカマルを驚
かすには十分な威力を持っていた。

 それほど、少女に変化したナルトは愛らしかったのだ。基本的な顔の造作は
変わっていないはずなのに、少し細くなった眉は彼を儚げに見せる力を持って
いたし、大きくなった目は保護欲をかき立てる何かを持っていた。

 そんなナルトを前にして、わき出てくるのは抱きしめたいという衝動。シカ
マルは理性をフル稼動してその衝動を押さえ込んでいた。そんなシカマルの葛
藤を余所にナルトはポリポリと所在なさげに頭を掻いた。

「…風呂が、壊れたんだってばよ…。」

 そうか、風呂が壊れたか。思わず納得しそうになったが、風呂が壊れたから
といって自分が呼ばれる道理もない。しかしシカマルが疑問を口にする前に、
ナルトが話を続けた。

 風呂が壊れたこと。修理をして貰えないこと。そして、サクラの家の前であ
ったこと…。

 どうしてシカマルにここまで話すのかという疑問を感じないでもなかったが、
ナルトはその疑問を心の奥底に封じ込めシカマルの反応を伺った。

「めんどくせーな…。」

 シカマルの返事を絶望的なものに感じながら、ナルトはがっくりと項垂れた。

 やはり、無理だったかという思いもある。だが、もしかしたらという思いも
またあったのだ。もう仕方がない。風呂の事は火影に頼むしか無さそうだ。

「悪かったってば。」
 
 シカマルに頭を下げて、ナルトはその場を立ち去ろうとした。その腕をシカ
マルが引き留める。

「めんどくせーけど、何もやらないとは言ってないだろう。」

 そう告げるシカマルの顔が、ほんのりと赤く染まっていることに気づいてナ
ルトは思わず笑ってしまった。

 今度はシカマルがむっとした顔をしてみせたが、そんなものは気にならなか
った。



 
 二人で連れだって、ナルトの家へと向かう。道々他愛のない会話を交わすの
は楽しくて、ずっと家につかなければいいのになどと考えてしまう。けれど、
家には着いてしまう。

 シカマルは風呂の様子を伺って、どういった部品が必要だとか、どうする必
要があるだとか細かい事をメモに書いてくれた。

「この風呂は古いから、部品を取り寄せるのにも時間がかかるだろうな。」

 風呂自体はシカマルが直してくれることになったが、部品がないのではどう
しようもない。部品が届くまで、ひいては風呂が直るまで一体自分はどうすれ
ばいいのかと途方に暮れていると、シカマルが手にしたスパナを工具箱に仕舞
いながら口を開いた。

「うち、来るか?俺の部屋にも風呂あるし。」

 部屋に風呂があるなんて一体どういう家だと突っ込みたい衝動を堪えながら、
ナルトはシカマルの様子を伺った。その顔には、冗談ではない真剣さがあった。

 家の人に迷惑じゃ、とか。時間が遅くなるし、とか。…断る理由は、幾らで
もあった。

 けれど気がついた時には、ナルトは深く、しっかりと頷いていた。その事を
確認すると、シカマルは頬を弛めた。




 もしかしたら風呂が壊れて良かったのかも知れない。シカマルを見送りなが
ら、ナルトは考えた。もしも風呂が壊れなかったら、ナルトはシカマルに会い
に行かなかった。そして、こうやって話をする事も無かった筈だ。話をしなけ
れば、シカマルの内に潜む優しさになんて気がつかなかった。

 世の中結構良いこともあるもんだと、お風呂セットを洗面器に詰め込みなが
らナルトは笑った。

 今日はこれからシカマルの家へ行く。勿論、風呂に入りにだ。けれどそれ以
上に得るあそこにはあると、ナルトは確信していた。

 友人にセリフばかりの小説を嫌悪する子がいるのだが、セリフをテンポよく 流すのは結構大変だと私は思う。…セリフって、難しいなぁ…。    久々がこれですみません。はははは…。


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