学校へ行こう3
「絶影!!!」
叫んでも、アルターは現れない。その代わり劉鳳の前に姿を現したのは一匹
の猫だった。
「…絶、影…?」
問いかければ猫はまるでそうだとでも言うようにニャーと鳴いた。
自分がおかしいのか、世界がおかしいのか。
その見極めもつかないままに一週間が過ぎた。その間に分かったことは、こ
の世界ではアルターが使えないという事位だ。他に劉鳳自身に変わったことは
何もない。
色々と知りたい事はあった。けれど知る術を知らない劉鳳は平日にはきちん
と学校に通い、この世界の劉鳳として振る舞っている。シェリスだけは事情を
知っているが、それ以外の者は劉鳳がこの世界の人間じゃないという事に気づ
いてすらいない。
分からないことだらけだった。けれど足掻いてもどうにもなりそうもない。
取り敢えずは日々の生活を送るだけで精一杯だった。
絶影と名付けられた猫を抱き上げ、その頭を撫でる。
絶影は暖かく、劉鳳の知っている絶影の様な無機質さは何処にもない。けれ
ど猫の赤い目に紫がかった銀の毛並みはアルターの絶影にそっくりだ。
「何が起こってるんだろうな…。」
呟いて深々と溜息をつく。一応この世界にも馴染んでいるが、それでも不安
がない訳じゃない。シェリスの不安げな視線、平和な、戦いの無い日常。ネイ
ティブと呼ばれ蔑まれる人もおらず、表面的には平等な世界。
この平和を、物足りないと思ってしまう。吹き出してくる不安は、戦いが存
在しない為なのか。
命を賭して戦う、あの高揚感。喰うか喰われるかのギリギリ状態が劉鳳を興
奮させる。まるで体中の血が沸騰したかの様だ。
この世界には、それが無い。
「取り敢えず、学校には行きましょう。」
カズマが訳の分からない事を口走っても、あすかは動じなかった。それどこ
ろかテキパキと次の指示を出す。
「学校に行ったことがないのでしたら、一から勉強する必要がありますよね。
これ、読めますか?」
そう言ってあすかが指さしたのは現代国語の教科書。当然表紙には「現代国
語」の文字が書かれている。
漢字など見たことはあっても読んだことはないカズマだ。そんなもん読める
かと教科書をはじき飛ばす。
「だったら、これは?」
はじき飛ばされた教科書を拾ってきて開く。そして出来るだけひらがなが続
いている部分を指し示した。
だがカズマはそれにも首を振る。本当に文字が読めないようだ。
そんな二人のやり取りを見ていたクーガーは頭を抱えた。
「…橘、お前カズマが嘘ついてるとかは思わなかったわけ?」
別にクーガーがカズマを信用していないわけではない。しかしカズマの話は
あまりのも現実離れしすぎていた。
元々話が上手いとは言い難いカズマだ。そんな彼が話す、「今まで自分がい
た世界」とやらはクーガーの常識から限りなく遠いところにあった。
アルターという能力を持つ人間がおり、それにはネイティブとホーリーとい
うのがいるらしい。同じ能力を持ちながらネイティブとホーリーは対立してお
り、日々戦闘を繰り返している。カズマはネイティブの方に属し、ホーリーが
大嫌い…と。
カズマの話から分かったのは概ねこの様な事だ。想像できるか、この様な世
界が。アルターというのがどういった能力なのかもいまいちわからないのに。
アルターとはalterの事だろうか。それならば「変わる」という意味になる
が、一体何が変わるのか。ネイティブアルターと聞いたときには頭に「alter
native」という単語が浮かんだが、それでは二者択一だ。
クーガーも混乱したが、カズマはそれ以上に混乱している様だった。それは
そうだろう。もしもカズマの話が本当だとしたら、カズマは全く別の世界にい
る事になる。
けれどそんな混乱する兄弟を差し置いて、一人平然としていたのがあすかだ
った。
あすかは言う。
「カズマにこれだけの創作する頭なんてありませんよ。」
確かにその通りだ。カズマはお世辞にも想像力に富んでるとは言えない。常
に目の前の事しか見ていないような男なのだ。周囲を驚かせる為なのか何なの
か知らないが、これだけの話を考え出す事など出来ないだろう。
それはそうなのだが、どうにも釈然としないものがある。そう、例えば目の
前に喋る金魚を突きつけられたとしても、それが実際に存在する生物なのだと
認識するのに時間を要する様なものだ。まぁ、喋る金魚なんていないだろうが。
何だかなぁとクーガーが考えている間にも、あすかは段取りを一人で勝手に
進めていく。
「授業は寝ていても良いですから来るだけ来て下さい。カズマには僕が考えた
勉強メニューをこなしてもらいます。」
何でこいつはこんなに肝が据わっているのかと不思議に思う。これがエリー
トを外れた人間の見せる意地なのだろうか。
「…勉強、すんのか?」
嫌そうにカズマが眉をよせるが、あすかは気にしない。レポート用紙にさら
さらとあいうえお表を書き上げていく。
「テストまであまり時間がありませんから、超特急で進めますよ。」
あいうえお表の次はABCのアルファベット表だ。アルファベットに対応した
あいうえお表まで作る。
「あいうえお位は分かるでしょう?」
いろは歌よりはよく分かる。カズマはコクリと肯いた。
「だったらこれ、明日までに各30回ずつ書き写して下さい。」
そう言って差し出したのは先ほどあすかが作成した三つの表。そりゃ無茶だ
ろうとクーガーは口を挟もうとしたが、ギロリとあすかに睨まれ黙り込んだ。
「時間が、無いんです。」
あすかの顔は真剣だった。彼はどうあっても出来るだけ短時間のうちに、カ
ズマの幼稚園児以下の知識を高校生レベルに上げるつもりらしい。
クーガーは、そこまで焦る必要は無いと思う。例え多少変な事を口走ろうと、
知力が衰えようともカズマはクーガーにとってかけがえのない存在だ。一年留
年しようが二年留年しようが、それは変わらない。寧ろこんな状態になってし
まったのだから、休学させた方がいいのではと思っていた程だ。
学校の存在すら知らなかったカズマ。彼をいきなり学校に放り込んでも良い
ものか、クーガーは心配だった。
だがあすかは意地でもカズマを学校に連れていくだろう。何故だかあすかは
切羽詰まっている様だ。カズマを留年させてはならない、何か特別な理由でも
あるのだろうか。
「…それ、出来そうか?」
表を見ながらウンウン唸っているカズマに訊ねると、彼は表を投げ捨てた。
それから一悶着あったが、結局カズマはあすかの言うとおりにする羽目にな
った。あすか一人ならどうにでも出来たのだが、クーガーがあすかの言うこと
に賛同したのだ。そうなればクーガーに弱いカズマだ、あすかの言うことに従
わざる得ない。
渡されたレポート用紙にひらがなを書き続ける。「き」や「す」の文字が左
右逆だったり、「わ」と「れ」の文字が同じだったりするのはご愛敬だ。
もう飽きた、と何度も放り出したくなった。だが見張られているためそれは
出来ない。
学校へも何度か行った。意味の解らない事が延々と続く授業とやらが毎日五
つか六つあって、その間はずっと教室で座っていなければならない。その時間
は酷く退屈なものだった。
いい加減元の世界に還りたい。こんな文字なんて必要ない、殺伐とした世界
へ。あそここそが自分の生きる世界なのだ。
ふと、頭に赤い目をした男の姿が過ぎる。
今まで戦った中で最強の男。何度やっても、やり飽きなかった唯一の相手。
彼は今どこで何をしているのだろうか。
カズマが徐々にではあるがこちらの生活に慣れ始め、元の世界に想いを募ら
せていた頃。件の男はノコギリ片手に労働していた。
『文化祭準備よ』
とクラスの女子に言われ、渡されたのが板とノコギリ。何でもこれを規定通
りの大きさに切って欲しいのだとか。
生まれてこの方ノコギリなんぞ握ったことのない劉鳳だ。ノコギリの正しい
使い方など知るはずもなく、一人呆然と佇んでいたら瓜実が傍に寄ってきた。
「お前はお坊ちゃんだからな。使い方もろくに知らんのだろう。」
そう言って彼はノコギリの正しい持ち方使い方を懇切丁寧に教えてくれた。
有り難くその教えに従い板を切ってみると、面白いほど良く切れる。
「ベニヤは切りやすいからな。だが折らん様に気をつけろ。」
劉鳳と同じように瓜実もノコギリで板を切る。だが当然瓜実の方が上手い。
見る間に渡されたベニヤを切ってしまった。
しかし、このベニヤを一体何に使うのか。今更ながら疑問に思い訊ねたら、
瓜実に怪訝な顔をされた。
「おいおい、忘れたのかよ。俺たちのクラスは文化祭でお化け屋敷をやるんじ
ゃないか。」
お化け屋敷…。そのレトロな響きに劉鳳は目眩を覚えた。お化け屋敷という
とあれか?更屋敷にろくろ首、一つ目小僧…。
偏った知識を持つ劉鳳にとって、お化け屋敷は古代の遺物だった。けれどこ
の時代においては違うのか、瓜実は嬉しそうである。
「さぁー、大賞狙うぞぉー!」
腕をグルグルと回し、瓜実は次の仕事をする為教室を出ていってしまった。
残された劉鳳は切り刻まれたベニヤを眺め、深々と溜息をつくのだった。
翻訳ソフトで遊んでいたら、楽しくなったので。
ちなみに「scryed」は「水晶で占いました。」と出てきたのですが、これ
って信用しても良いのでしょうか…?
しかしこれ、単純な学園物にした方が話の展開、早かったですね。そして
やはり、文化祭というからには女装にすべきだったんでしょうか。
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