無機物を手にして
携帯なんて使わないから。それを理由に、カズマは手渡された小さな機械を
劉鳳へと押し返した。
事実今まではそうだった。だから、これからもそうだろうと思ったのだ。
確かに、いつでも何処でも相手と連絡を取れるのは便利かも知れない。だが
その便利さと同等か、それ以上の煩わしさにも拘束される羽目になる。その良
い例が君島だ。
君島は携帯を持ってはいなかったが、仕事柄無線機を車に積んでいた。カズ
マが君島と共に過ごしていたとき、無線機が鳴ったのは一度や二度ではない。
それこそひっきりなしに無線機はその存在を主張した。
「鬱陶しい。」
カズマが言うと、君島は苦笑したものだ。
「だけど無いと仕事が出来ないからな。」
それは事実だったろう。君島の仕事は所謂仲介屋で、人と人との間を取り持
つことで食っていた。緊急の仕事が入ることは少なくない。より割の良い仕事
を得る為にも、無線機は欠かせないものだった。
無遠慮に二人の時間を切り裂く無機物。だがその向こうには人が居て、ただ
の無機物とは違う存在感があった。
時間と空間を超越する、人と人とを結ぶ機械。
劉鳳は押し返された携帯をじっと見つめ、再びカズマの手に無理矢理握らせ
た。
「だから、いらないって。」
別に俺お前と連絡取りたいわけじゃないしと呟きながら、劉鳳の顔を見上げ
る。彼は紅い目に感情の炎を揺らめかしながら、カズマの肩を掴んだ。
「持ってろ。」
「いらないって。」
実りのない会話が暫く続く。先に根を上げたのは、劉鳳の方だった。だが彼
とてただで折れるタマではない。
取り出したるはカズマに渡したのとは別の携帯。これは彼自身のものだ。メ
タリックシルバーのボディには、一筋の黒い線が入っている。実にシンプルな
デザインだ。
「だったらこっちをお前にやる。」
「いや、だから…。」
こいつはなんて頑固なんだと自分の事は棚に上げ、カズマは劉鳳を睨み付け
た。
「それは、かなみに渡せ。」
そうしたらかなみはお前と連絡がとれると付け加え、彼は山のような電池の
束を寄越した。
電気の通っていない地域にあって、携帯は直ぐに無用の長物とかしてしまう。
その主な理由は当然の事ながら電池切れだ。
この時代、今までは難点と考えられていたアンテナの問題は強力な電波を開
発する事によって攻略された。けれど携帯を無限のものとして活用するにあた
り、問題となったのは電力だ。小型化を図った携帯に、無限の電力を送るのは
不可能だ。ならば定期的に電力を補充できない地域に住む者はどうするのか?
電池を替えるしか道はない。
だから劉鳳は電池を渡した。かなみを持ちだした今、カズマが劉鳳の申し出
を断るはずはないと確信して。
カズマはかなみを大切にしている。それは疑いようのない事実だ。
かなみはカズマの身を案じている。これもまた事実だ。
けれど二人の間の連絡手段は言葉のみ。原始的な手段でしか成り立っていな
い。仕事柄家を空けることの多いカズマを、かなみがどれだけ心配しているこ
とか。だが距離が二人の邪魔をして、かなみはカズマの今を知ることができな
い。
現に今だって、かなみはカズマを心配しているのだろう。劉鳳がカズマを拘
束して、実に三日が経っている。
カズマは携帯を見つめた。そして、躊躇いがちに劉鳳を見た。
思わず、劉鳳の顔に笑みが浮かぶ。
「…どうやって、使うんだ。」
劉鳳が勝利した瞬間だった。
渡された携帯。決して使わないと思っていた。
だがあればあるで、実は結構使うものだと気がついた。
劉鳳からは毎日定期的に連絡が入る。あまり文字が読むのが得意ではないカ
ズマの事を考えて、メールの文字は全てひらがなだった。それでもカズマは文
意をくみ取るのに苦労する。その事を劉鳳に伝えると、彼はそれ以降メールを
打つのを止めた。その代わりに留守電に入るメッセージの量が極端に増えた。
かなみからも連絡が入る。今日は牧場で遅くなるから先にご飯を食べていて
ね、とか簡単なものばかりだが、彼女が何処で何をしているのかしっかりと把
握できることはカズマを安心させた。
どこで番号を知ったのかは知らないが、クーガーからも連絡が来る。カズマ
の応答など気にもせずに、一方的に喋るだけ喋っては切ってしまうという実に
どうしようもないものだったが、クーガーの声を聞くことは楽しかった。
平坦な、日常。そこに携帯が溶け込んできている。
機械が割り込んだ生活に違和感を覚えてしまったのはそんな時だ。
携帯を通して伝わってくるのは、真実相手の声のように聞こえても、それは
単なる電子音でしかないのだ。肉声が機械を通して届く事はない。
変わっていく日常に、恐怖に近いものを感じた。人との繋がりがこんなちっ
ぽけなものに掌握されているようで落ち着かない。
だから、カズマは携帯を捨てた。勿論、粉々に砕いてから。
かなみは何も言わなかった。クーガーからの連絡は突然舞い込む手紙になっ
た。
劉鳳は、それ以降連絡を寄越さない。
二人の関係は小さな機械が握っていたのかと思うとどうしようもない虚脱感
を感じた。けれど自分から連絡を取る気なんて、とてもじゃないが起きなかっ
た。
劉鳳と連絡を取らずとも、時間は流れる。日々は過ぎ行く。
けれど寂しいなどとは思わなかった。二人の関係は、そんな甘やかなもので
はなかった筈だ。
ならば感じる虚無感はなんなのか。自分はそれほどまでにあんな機械に、そ
して劉鳳に依存していたのだろうか。そんな事は無いと否定はしてみるものの、
それが事実なのかどうかはカズマには判別ができなかった。
「カズ君。」
躊躇いがちに、かなみが携帯を渡して寄越す。それは最初、カズマに渡され
た携帯だった。だがカズマが受け取るのを渋るにあたって、劉鳳はかなみに渡
すよう提案したのだ。
赤いボディが、鋭く光る。使われなくなって久しいからか、かなみの扱いが
丁寧なのか、それは新品同様に見えた。
携帯に目を落とす。これを使えば直ぐに劉鳳と連絡が取れるはずだ。だが、
今更連絡をして何になる?
劉鳳に話したい事があるわけではない。会いたいわけでもない。
カズマは携帯をそっとかなみに押し返した。
携帯が、鳴る。かなみの携帯だ。
カズマは耳を澄ませ、誰からの電話なのか探ろうとした。二人しか住んでい
ない家は静かで、カズマは苦労することなく相手を知ることができた。
けれど知った後、後悔する。聞き耳をたてるなんて事しなければよかったと。
「ああ、劉鳳さん。」
驚くことなく受けこたえをするかなみ。カズマは耳を塞ぎ、布団の中に潜り
込んだ。
かなみの足音が近づいてくる。カズマは寝たフリをしようとした。
「カズ君。」
かなみの声が妙に遠く聞こえる。
「劉鳳さんだよ。」
カズマはシーツの裾を、思い切り握りしめた。
テーマは携帯。あの時代なら携帯の一つや二つあるだろうと思いまして、こ
んなん書いてみる。だが劉さんなら足でカズマ探すよな…。それで会えるのだ
からあの二人ってばスゴイ。
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