[ごはん]



 授業終了のベルがなっても中々話を止めようとしない教授を疎ましく思いながら、ちらり
と隣の席を見た。

 今、自分の隣には学校一といってもいい程の有名人が座っている。彼は別にスポーツがで
きるとか、勉強ができるとかで有名なわけじゃない。頭はずば抜けていいみたいだけれど、
有名な理由は頭の良さではなかった。有名な理由、それは彼の行動の奇怪さだ。

 彼は教科書も見ず、ノートも取らず、じっと教授の顔を見ていた。…相変わらず、ひざを
抱えて。

 彼は座っているとき、常にひざを抱えていた。俗にいう体育座りというものだ。床に座る
ならばその体勢もまだ理解できるけれど、彼は椅子の上でも同じ体勢をとっていた。そして
休み時間だろうと授業中だろうと、彼はいつもその体制なのだ。

 最初は「だらしがない」「みっともない」などと注意していた教授たちも、幾ら言っても
彼がきかないから諦めてしまったようだ。彼が体育座りをしているのを見ても、ちらりと嫌
な表情を覗かせるだけで、何も言わずに授業を行うようになった。

 そんな彼の我の強さを、少しうらやましく思う。自分は教授に逆らったら単位がもらえな
いかもしれないなどと考えてしまって、そこまで自由に振舞うことなどできない。結局自分
は臆病なのだ。

 ベルが鳴ってから五分が経過した。次は昼休みだから、皆早く移動したくてイライラして
いるのがわかる。けれど教授の話は相変わらず止まらない。

 あぁ、早く終わってくれないかな。今日の昼は学食に行くつもりだったのに、これでは席
がとれなくなってしまう。周囲と同じようにイライラしながら、机を軽く叩く。すろと奇妙
な音が鳴った。

 きゅぅるぅ…きゅぅるぅうぅ…

 どう考えても、お腹が鳴る音だ。けれど自分のお腹ではない。それではと慌てて隣を見れ
ば、膝を抱えた男が、相変わらずの無表情で自身の腹部の辺りを凝視していた。

 この男でも腹が減るのかと考えると、不思議な気がした。人間離れした雰囲気を持ってい
るから、何も食べなくても生きていける様な気がしていたのだ。

 きゅぅ…

 男の腹が鳴っている。その音を掻き消すように、教授が授業終了を告げた。待ってました
といわんばかりに、学生達が教室の外へと飛び出していく。

 あっという間に教室には男と自分と、二人だけになってしまった。早く食堂にいくつもり
だったのに、何故だか身体が動かない。

 隣を見れば、男は白い箱から何故だかショートケーキを取り出し、手づかみで黙々と食べ
ている。あっという間に消化されるショートケーキ。そして男は二つ目のケーキへと手を伸
ばす。

 もしかして、ケーキが昼食なのだろうか。昼ごはんを食べずにヨーグルトやお菓子だけで
済ます女の子は見たことがあるけれど、男でケーキが食事というのは珍しい。

 男の行動から目が離せずにじっと見ていると、不意に男が顔をあげた。黒い大きな眼が、
じっとこちらを見つめる。

「どうか、されましたか?」

 ただ男を見ていただけだなんて言えなくて、視線を逸らし、あたり障りのない返答を考え
る。

「…別に。ただ美味そうだなと思って。」

「もしかして、欲しいんですか?」

「………そういうわけじゃないよ。」

 美味そうだ、なんて言われれば、大抵の人は欲しいのかと思うだろう。失敗したと思いな
がら、慌ててカバンを持って立ち上がる。

 机の上に出しっぱなしになっていたルーズリーフを集めていると、目の前に何かが突き出
された。

「一口だけですよ。」

 そう言った男が持っていたものは、小さなチョコレートケーキ。どうしていいかわからず
に立ちすくんでいると、口元にケーキが差し出された。

「…いいのか?」 

「一口だけなら。」

 男は相変わらずの無表情で何を考えているかわからない。大きな目で見つめられ、落ち着
かなくなる。

 恐る恐る口を開け、そっとケーキを一齧りする。けれどケーキの味なんて、少しもわから
なかった。

「美味しいですか?」

 聞かれて辛うじて頷く。すると男は満足げに口元を緩めた。

「美味しいでしょう。ここのケーキは絶品なんですよ。」
 
 言って、残りのチョコレートケーキを口へと運ぶ。その光景を見て、妙な考えが頭をよぎ
った。慌てて頭を振ってみるけれど、その考えは消えてくれない。

「それじゃ、俺食堂行くから。」

 ルーズリーフが皺になるのも構わず引っつかみ、慌てて教室から飛び出した。

 こんなことで動揺する自分が信じられなくて、廊下を歩きながら赤面してしまう。

 男からもらったケーキ。そしてケーキの残りは

 先ほどの光景を思い出し、ずるずると廊下へとへたり込む。通りすがりの学生達がいぶか
しげな視線を送ってくるけれど、そんなものに構ってはいられなかった。

 やばい、かもしれない。

 男の顔が、頭から離れない。





[戻る]