梅菊

「菊池三佐、もてるだろう?」
鳩で豆鉄砲の上に真っ赤になった冷静沈着な頭脳派「みらい」砲雷長菊池雅行三佐がそこにはいた。





仕事が、というよりもここまではやると計画していた勉強、もとい資料読みが連日深夜に及んだことが原因だった。防大から江田島、そして護衛艦勤務で一般市民よりは体力に自信はあったが、流石に寝不足からくる眠気には勝てなかった。士官室に置いてあるソファで一息ついて…うかつなことにそこから記憶がない。
寝室でもない。熟睡はしていなかったが、しかし靄のかかった意識化であったことだけは解る。


ギシリ、と音がした。僅かに座面が揺れる。隣に誰かが座ったのだ。だが同じ護衛艦の中で寝食を共にし家族のよな隊員たちである。今更寝ていることに気を遣う必要は感じない。
だいたい人もまばらな現在、特に厳しいと評判の菊池の脇に敢えて座るような人間は限られる。親しいものだけだ。
”洋介か、康平あたりだろうか”
うつらうつらとそんな思考が意識の上辺を通り過ぎていった。


そう長くは寝ていなかったと思う。強い眠気の波を通り過ぎた。非番とはいえ寝るなら寝るでしかるべき場所はあると菊池は思い瞼をゆっくりと持ち上げた。
視界がぼんやりしているのは寝ていたせいと、眼鏡を外しているからだろう。
テーブルに置かれた眼鏡を取ろうか、としたときだった。


「菊池三佐は眼鏡を取ると変わるなぁ」


予想だにしていなかったのはセリフもさることながら、声の主だ。
よく話す士官でもない。
尾栗でもない。
角松でもない。
聞いたことはある。


それも、すごく、だ。
艦橋から電子の信号にのって、よく聞く、その声。


がしかし、どうしてもこのシチュエーションとは、菊池の頭では結びつかない。


人柄をしのばせる柔らかい声音。
人を安心させるような暖かい響きは、時として多くの隊員を導く音色となることを知っている。
角松や尾栗をはじめ艦の指揮官を目指すものならそうありたいと、誰でもが憧れるような強さを持っていた、人物だ。


ごく数瞬、ありえないと思い、しかし、声の主を振り向く。


「梅津艦長…!!」


士官室でうつらうつらとしていた菊池の脇に座っていたのは、この艦の艦長梅津一佐その人であった。


身体に染みついた自衛官としての反応で慌てて居ずまいを正す菊池。
「し、失礼いたしました!」
眼鏡を取り損ない、目の前の艦長はやや薄ぼんやりとしている。

「いやいや、すまんすまん、脅かすつもりは無かった。まぁ楽にしてくれ」
悪かった悪かったと笑いながら梅津が言う。
すべての決定を行い、すべての責任を負う。艦の主。艦の艦長とはそういうものだ。三佐と一佐という関係以上に、艦長とそれ以外のクルーであるという関係のほうが菊池にはある。

「は…」

眠気 は一気に吹き飛び、背筋がビシッと伸びている菊池である。


「時々は色々顔をださんと」
時々ではない。他の艦に勤務していた経験の中で菊池が知る艦長のなかでもも梅津艦長はそういう傾向が非常に強い艦長だった。
士官室ではない。曹士のいる場所まで足を運んで労ったり雑談をよくしていた。一度もやらない艦長も存在する。
雲の上の存在のような艦長が曹や士に声を掛け話をすれば自ずと評判はいいわけだが。今のこれもその一環なのであろう。
がしかし、見渡せば部屋には菊池が一人いるだけだ。何故?…そこまで菊池の思考が巡ったときに。


「いやぁ 菊池三佐は眼鏡を取ると変わるなぁ」
感心したように、梅津が言った。
「は………」
は、と言ったものの内心「は?」である。
何言われたっけ?である。
”…そういえば、今眼鏡を掛けていなかったな”
思い至った。


「三佐、…今幾つであったか?」
話が、飛躍、して、いる、ような。
寝起きのせいなのか突然の艦長の訪問のせいなのか、混乱している。
「35…ですが」
「20代かと思ったぞ…それじゃ計算があわんか」
20代で三佐はなぁ、と、はっはっはと笑う梅津。


「若く見える」
「は…。」
漸く話と話を繋ぐ糸が見えた。用は年齢相応以下で童顔であるという事なのだろう。
元々若干童顔気味だと言うことは自覚はしていた。
いや、童顔というより顔つきが20代くらいなのだ。
高校生の時は大人びた顔だと言われ実年齢より上に見られることが多かったが、逆に30を越えると若く見られる。特に眼鏡が無い場合。そして髪型だ。
30を越え、菊池は密かに気にしていた。出世は周りから比べれば早い。そこから見た目と階級と威厳がアンバランスだということが発生する。見た目の威厳というものはそれなりに重要である。気にして菊池は眼鏡と髪型を今のようにしたのだ。
たとえば若いだの高校生だのと尾栗や角松はことあるごとに菊池に言って菊池を怒らせるのだが、目の前に居るのは尊敬する梅津艦長だ。腹の立ち具合は他に比べ格段に少なかったけれど。


「気にしていたか?」
穏やかに梅津艦長は言う。
「いえ、そんなことは」


気にしてますとも言えない…もちろん。
きっと角松や尾栗は年齢相応に見られているのだろうなと思うと、一人だけ置いて行かれたような寂しいような気分にもなる。


「いや、なかなかいいと思うが。」
意外な言葉に思わず梅津と目が合ってしまった。

「なんというか、私は良くはわからんのだが、娘のよく見ているテレビドラマに出てくる俳優みたいなと思ってな。」
「そんな…とんでもありません」
フォローにしては褒めすぎだろうと菊池は考えていたが、菊池の考える菊池雅行の顔面レベルと周りの評価は著しく乖離していた。


「もてるだろう、三佐。…この仕事について長いがこんな綺麗な顔した佐官は初めてだなぁ」
にこりと笑われ、邪気のじの字も無く言われる。
角松二佐みたいなタイプは多いがなぁと付け加え。
若い、なかなかいい、俳優ときて、綺麗ときた。ホップステップで菊池の理解を超えていく。

「は…いえ、その…」
顔が紅潮しているのが解る。空調の利いているはずの部屋なのに、耳が、頬が、熱い。


「眼鏡がないのもなかなかいいぞ、菊池三佐」
「は…!」



◆◆◆◆◆◆◆



横須賀港に帰港し、そしてまた港を離れることになったその時。
みらいは蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

「おい!お前見たか!アレを!」
「見てねぇ!どこに居んだよ!俺ウイングだからチャンスねぇんだよ!」
「みんな騒然としてるぜ!」
「俺CIC入れねぇし!」
「青梅一曹とか超うらやましー。」
「あれだろ、青梅一曹の後ろによく居るんだろ?なんだよそれーずりぃのー」
「でもまぁ青梅一曹なら邪魔入れねーよな…CICの主だからな」



「やっべぇ!砲雷長やっべぇよ!」
「小煩いメガネ!とか言ってたけど、メガネあった方が良かった!ある意味!!」
「あー俺道を踏み誤りそう」
「つーか今どこにいんの?見にいこうかな俺」
「あ、今だめ!牽制キッツい!常に居るね、航海長か船務長が!うぜっ!」
「俺も何のようだとかって言われて門前払い食らった!畜生身分の壁が憎い!」



「見ました?二尉、俺全然見られないんですけど」
「俺もみてねぇ…つーかさぁなんで常に船務長と航海長が居るわけ?」
「あ、俺も見てない」
「一尉ー!」
「俺CIC入れますけど、なぜだか航海長が居ました」
「はぁー?!なんで航海長がいんだよ!」
「聞いた話によると船務長もいたらしーすよ」
「百万歩譲って青梅一曹はいいとしてさ、航海長と船務長はどうよ、なんでCICよ。おまえら仕事しろよと。」
「つーかね、何?敢えて言うけどさ、あ、オフレコな」
「はい」
「はい」
「正直、アゴと鼻、余計だよな」
「ですねー!」
「ですねー!」
「米倉とかさぁ、なんであいつなの?ヘマやってどっか飛ばされねぇかなあいつ…」
「兎に角、アゴと鼻をどうにかする計画を練りませんか?」



◆◆◆◆◆



CICに潜っている菊池が艦橋へと挨拶に来る。
横には「偶然に通りすがった」尾栗航海長と角松船務長。
艦長の椅子へ腰掛けていた梅津が振り返り迎え、驚いたような表情。


「お?菊池三佐、メガネは」
「いえ、その、コンタクトに」


艦橋に入る前菊池が妙に緊張していたのを長年の友人である2人は感じていた。
そして今天然記念物級の珍しさで菊池が緊張のあまりたどたどしく言葉を紡ぎながら赤面していることを。


「うん、うん、なかなかいんじゃないか」
ますます男前だなぁと。
にこやかに笑いながら梅津が評する。


「そ、…とんでもありませんそんな…いえ、艦長が、仰った、ので…」


こんな菊池は長年付き合ってきたが見たことがない。角松と尾栗は思う。
メガネがない分細かな表情までが隠されることなく伺える。
艦長は男前だといったが確かに男前だ、角松のようなベクトルの力強い男らしさではなく、研ぎ澄まされた日本刀のような美とでもいうのだろうか。しかしその日本刀が目の前で盛大に赤面しながら声を震わせて、照れている。
35の男のくせに。それも自衛官のくせに。防衛大から江田島に行ったくせに。所謂エリートのくせに。CICでバリバリやってるくせに、リムパックがどうのとかいう立場のくせに。



”畜生かわいいぜ、俺の雅行…!!”



似たような立場で経歴の船務長と航海長も腐り気味であった。


”だけど、「艦長が仰ったので」ってなんだ雅行ーーーッ!!”


尊敬とジェラシーの間でもだえる船務長と航海長であった。


おわり

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オチない…いやでもこのネタを使ってみたかったんだ…梅津艦長大好きっ子の菊池と、その菊池を好きな尾栗と角松を…。梅津艦長が言う事ならなんでも喜んで聞いちゃいそうな菊池…。全然誤字とか色々直してません…そのうち修正します…。そしてスペシャルサンクスK様!!







おまけ。

「うん、なかなかいいんじゃないか?」
「は…。その、艦長が、仰った、ので…」
直立不動の菊池に梅津が近づく。
「髪、触ってもかまわんか?」
「は…!」
突然のことに驚きつつ返事をする菊池。
髪はパリパリと固まる整髪料ではなく柔らかくまとまるものを使っていたので、梅津の指が一房摘むとはらはらと菊池の額に落ちてゆく。まとめていなくても艦勤務の自衛官としては合格程度の長さではあったが、菊池は額にかかる髪の感触が護衛艦に勤務しているのに、という違和感を覚えた。


「いや、いや、更に若返ったなぁ」
菊池の神経質に後ろになでつけられていた髪が自然な方向へ落ちている。

「 これもいいんじゃないか?」
「は…!」

「雅行!どうしたその頭は!」
「ま、さゆ、き?」
「…なんだよこれくらいの長さは問題ないだろう」

「長さじゃない!だから!」
「やべ…やべぇよ…雅行…」

「…?ああ、どうして下ろしてるかってことか?」
「そうだ!」
「そうそう!」

尾栗と角松は、嫌な予感がした。
ついこの間もこんなシチュエーション、なかったっけ?

菊池が一瞬俯いて、顔を上げた。
紅潮している。照れている表情だ。
尾栗と角松の心には聞きたい、と聞きたくない、が同居していた。




「その…艦長が、いいっていったから…」



その翌日、みらい内は更に混乱を来したことは言うまでもない。

ネタもういっこ