迷い
魔王の軍勢が攻め寄せて来た時、彼はちょうど騎士の訓練過程を終えようとしている頃だった。彼の父はこのカルバーンという国に仕える騎士であり、そしてその騎士の中でも最高峰に位置する、
王直属の近衛兵団長だった。団長の跡継ぎとして彼は期待されていたし、彼もその期待に応えることこそが自分の義務だと感じていた。
だが、魔の手は突然にカルバーンを襲い、そして王国は敢えなく滅び去った。
漆黒の騎士に率いられた悪魔の軍勢は、瞬く間に王都を蹂躙し破壊しつくした。最後の砦であった王城の城壁も城門も、悪魔の放つ魔法によって紙のように打ち破られ、王を護る騎士達も
次々とその命を散らせていった。
幸いにも、そして不幸にも、その当時の国王は剣技において優秀な技量を持っており、それに見合った勇気の持ち主でもあった。王は騎士達とともに戦い、それゆえに戦場で命を落とす事となった。
護るべき王を失った騎士達は、心の支えを失い、多くが王と共に果てる道を選んだ。
しかし、王と最も親しい間柄であった近衛兵団長である彼の父は、安易な忠義の道を選びはしなかった。生き恥を晒して王都を落ち延び、ごく僅かな同志と共に、亡き王の無念を晴らす為の
長い雌伏の時に入ったのである。
無論、彼も父に従って故郷を遠く離れ、ただの旅人のように身分を偽って暮らす日々が過ぎていった。
しかし、過ぎていったのは時だけではなかった。
魔王はカルバーンを滅ぼした後、再び沈黙を守っていた。戦うべき敵がまるで存在していないかのような時の流れは、彼らの心から戦い続ける意欲を僅かずつ奪っていた。そして、
容赦の無い時の流れは、意欲だけではなく、若さをも着実に奪っていったのだった。
カルバーンの滅亡と、王の死を実際に目にした騎士たちは、その瞬間の事をまるで昨日の事のように心に蘇らせることはできたが、彼を始めとする若い見習騎士や、王都を遠く離れていた
がゆえに命の助かった騎士らは、そうではなかった。彼らは、心に憎しみを抱き続けることはできなかった。
彼の父はただひたすらに王の無念を晴らすため、魔王の手勢を探り出してはこれを襲い、戦い続けた。いずれは魔王その人と剣を交え、その命を奪う事を夢見て、剣を振るい続けた。
しかし、その思いは天に通じることなく、カルバーン王国近衛兵団長はその生涯を周辺の寒村で閉じたのだった。
一人息子である彼の手元には、カルバーン王国近衛兵団長が代々引き継いできた一振りの剣と、父が身に纏っていた正式甲冑が託された。それは、一振りの剣と甲冑に過ぎなかったが、
そこに託されている父の(妄執にも似た)想いは、それ以上の重責を彼に強いたのだった。
もはや魔王を討ち滅ぼしたとしても、カルバーン王が蘇るわけでも無いことは、彼には痛いほど判っていた。父の必死の捜索にも関わらず、カルバーン王の血筋に連なる者は誰一人とて
発見できなかった。それは即ち、王家の断絶を意味し、カルバーンという王国がもはやどこにも蘇らない事を意味していた。
これから辿る道の先に、栄光など何一つない。
父の鎧と団長の剣を前に、彼は既に判りきっている事を自分に向かって呟き続けた。それは、自分に課せられた無意味な使命から逃れようとする、最初で最後の抵抗だった。その呟きが
死者の列に加わった父や父信じた者達に通じることを願って、彼は祈り続けた。
しかし、死者は何も応えてはくれなかった。
カルバーン近衛兵団の剣と鎧は、重かった。
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