神を欺きし者達


“お前達は選ばれたのだ”

 物心がついた時から、聞かされていたのはその言葉だった。“厳めしい顔付きの爺さん達”は、揃ってそう言い、選ばれた事がこの上なく栄誉であるとでも言う風に振る舞った。
“選ばれた”のは、年端も行かぬ幼子から、成人を迎えたばかりの青年まで、様々な年齢の人間ばかりだったが、強いて共通項を上げるならば、その全てが男であり、健康な肉体を持つ者ばかりと言うことだろうか。
 彼は、物心がついた時から、その集団の中で暮らしていた。親の顔は知らなかった。彼の親を知っている者は誰一人いなかった。それが異様であることに気が付いて 尋ねた彼に与えられたのは、数週間に渡る孤独な生活だった。血のつながりもない、“選ばれた”仲間達からさえも切り離され、ひどく殺風景で狭い部屋に押し込められ、決して言葉を交わそうとはしない 無表情な世話役が日に三度、食事やその他の世話に訪れるだけの生活。
 幼かった彼は最初は怒りの余りにわめき立て、自分を閉じこめている扉を叩き蹴り付けて抗議したが、それは聞き届けられなかった。彼は泣いて許しを乞うたが、やはりそれも聞き届けられなかった。 ようやく、その独房から解放された彼は、もう二度と親や兄弟の事を誰にも尋ねはしなかった。自分の家族は、自分を取り囲んでいる“選ばれた”仲間達であって、顔も知らない誰かの事ではない。 そう自分に言い聞かせながら。
 彼を含む“選ばれた”者達の生活は風変わりだった。
 毎日、彼らは武器を持たされ、延々と厳しい稽古をつけられた。その激しさに、命を落とす仲間さえ居た。命を落とした“選ばれた”者は、“厳めしい顔付きの爺さん達”に言わせると、 『まがい物』らしく、その日のうちにその仲間の剣や鎧、細々とした私物、果ては彼が書き残した悪戯書きさえも綺麗さっぱりと取り除かれていた。

“選ばれたお前達の中に、『まがい物』はあってはならない”

“厳めしい顔付きの爺さん達”はそう言って、後は決して『まがい物』については一言も喋らなかった。
 運命の日は、唐突に訪れた。彼が成人を迎えて間もない、ある風の強い日の朝、“爺さん達”がやってきて、“選ばれた”者達全員に各々の鎧を着せ、武器を持たせると、 彼らが暮らしている屋敷をぐるりと取り囲んでいる出入り口ひとつない壁に、魔法で戸口を開いて外へと誘った。
 外へ出たのは初めてだった。外はひどく殺風景だった。灰色の角張った石だらけの、荒廃した景色がそこにあった。見渡す限りの雲海が石だらけの地面のすぐ先に広がっている。“爺さん達”は 彼らを連れて更に高台の方へと歩いていった。
 岩の転がる足下は非常に不安定で、歩きにくかった。道らしき道もなく、彼は幾度も転びかけた。やがて、彼らの目の前に、深い谷とその渓谷に掛かる細い吊り橋が見えてきた。
“厳めしい顔付きの爺さん達”は立ち止まり、この先は“選ばれた”者だけが行くことのできる聖地だと告げた。そして、“選ばれた”者はこの先へ行かねばならない、とも。彼らは“爺さん達”に 追い立てられるように吊り橋を渡り始めた。
 吊り橋の下には深い深い谷が口を開けていた。地の底から響いてくるように、谷を渡る風の音が囂々と鳴り響いていた。谷の底は遥か遠く、風と霧とに遮られて見ることはできなかった。
 吊り橋が切られたのは、彼がその深淵を覗き込んでいた時だった。
 何が起きたのか判ったのは、速度をぐんぐん増しながら虚空を落ちていく真っ最中だった。谷にこだました、“爺さん達”の恍惚とした声を彼は聞いた。

“そなた達は『王』に会いにいくのだ”

 そして、“爺さん達”がその『王』とやらに捧げる祈りが続いた。

“『王』よ、荒ぶる『嵐の王』よ、我らが供物と祈りを受け取りたまえ!”

 風を切りながら落ちていく彼の耳に、その祈りはすぐに聞こえなくなった。回りには、同じように落ちていきながら、無駄に暴れて足掻く者や、既に気を失ったのか諦めたのか身動きひとつせずに まっしぐらに落ちていく者が居た。不意に、彼の上の方から、恐怖の悲鳴が上がり、血しぶきが降り掛かった。強張って動かない身体を無理矢理に動かして上を見上げると、人よりも大きな翼を持つ 異様な怪物が十羽近く舞っていて、仲間の一人をそのかぎ爪の生えた足で掴んで引き裂こうとしているところだった。
 彼は激しく震えだした。いずれは谷の底に叩き付けられて形も留めぬ肉塊になる事は、判っていた。それでも、目の前の殺戮からは、どうしても逃れたかった。筋道の通った理由など、 そこには何もなかった。彼は、死にたくはなかった。死が定められていたとしても、その瞬間までは何としても死にたくはなかった。
 彼は、腰に吊していた筈の小剣をまさぐった。幸運にも、留め金は外れておらず、剣は鞘に収まったままそこにあった。彼は慎重に留め金を外し、取り落とさないようにしっかりと柄を掴んで 白刃を引き抜いた。
 その煌めきに気が付いたのか、有翼の異形は耳障りなわめき声と共に、彼へと目を向けた。翼が一斉に羽ばたき、醜い怪物は何事かをわめき立てながら彼の方へとまっしぐらに突っ込んできた。
 彼は、怪物のわめき声にも負けぬ大声で、鬨の声を上げた。死まで僅かのこの瞬間に、生にしがみつくことの無意味さに、気付くだけの余裕は何処にもなかった。
 彼は、最初に突っ込んできた怪鳥の大きく開いた口目がけて、小剣を突き入れた。思わぬ反撃に遭った化け物は、痛みにたじろぎ、大きく翼を振って舞い上がった。その翼が彼の身体を打ち、 彼の身体は勢いよく弾かれて谷の岩壁へと近付いていった。谷底へたどり着く前に、更に死は近付いたようだった。
 彼は神を呪う言葉を吐いた。“爺さん達”を呪う言葉を吐いた。“爺さん達”の言う、『王』を呪う言葉を吐いた。
 次の瞬間、まるで全身を切り刻むかのような、強い風が渦を巻き、彼は意識を失った。

 次に気が付いた時、彼は全く見慣れぬ場所にいた。どこを見ても、足下さえも真っ白な霧に包まれていた。しかし、その霧は遥か遠くを厚く覆っているだけのように見え、周囲に彼と同じように倒れている 仲間達の姿は明瞭に見て取る事ができていた。
 彼は彼の『家族』である仲間達を一人一人助け起こした。谷から落ちて、ここでこうして生き残っていたのは十人ほどだった。『家族』の残りの半分は、何処にも見当たらなかった。
 彼らは、歩き始めた。何処にあるか判らぬ帰り道を探し求め、ひたすらに歩き続けた。しかし、歩き続けても、歩き続けても、霧に閉ざされた風景は変わることはなかった。その上、時折、突風のように 吹き抜ける風が、彼らの身体を薙ぎ倒すこともしばしばだった。そしてついには、恐るべき暴風の渦へと彼らは踏み込んでしまったのだった。
 渦の中では、風が刃物のように鋭く彼らを痛めつけた。痛みだけではなく、実際に肉は裂け、骨を断たれる者もいた。疲労に耐えかねて力尽きる者もいた。運良く切り裂かれなかった者でも、 突風に突き転がされたまま行方知れずになる事があった。
 彼らは、手を取り合い、進み続けた。彼は右手に小剣を握り締め、左手に誰かの手を握り締め、ただそれだけの感触を支えにして、歩き続けた。彼の心の中には、 自身のこの境遇を嘆く気持ちなど、一片もなかった。ただ、全てのものに対する怒りと訳の解らぬ衝動だけが渦を巻いていた。自分の左手にすがっている誰かにさえ、その怒りの矛先は向いていた。
 何故、自分がこいつの先導をしなければならない。
 何故、こいつが自分で歩かない。
 何故、自分はこいつを護ろうとしている。
 こいつを捨てれば、もっと歩きやすい筈なのに。
 その怒りは、左手をより強く握り締めさせた。左手の中で、ぐきり、と嫌な感触がした。
 風が止んだのは、それから暫くしてからだった。
 そして、彼は『王』の姿を視た。『王』の唇が動き、彼の身体を圧するような言葉がほとばしり出た。肉体も魂も何もかもを消し飛ばしてしまうような、圧倒的な“言霊”だった。

“お前の中には荒ぶる風がある。お前の魂は我の器に相応しい。我はお前を選ぼう”
“我が贄よ、その器を我に差し出せ。我、今こそ剣を取りて、このアランシアの地に溢れる邪悪を討ち滅ぼさん”
 
 彼の右手から剣が滑り落ち、霧に飲まれて消え失せた。『王』の存在の前に、彼の自我は完全に麻痺しかかっていた。『王』の言うがままに、歩み出ようとした彼を引き留めたのは、 彼が左手で掴んでいた手だった。
 手は、今までとは逆に彼の左手を掴んで強く引っ張った。彼は、それで我に返った。『王』が自分に何を求めているのか、彼はようやく悟り、そして、自らの意志でそれを拒絶した。
 彼は一言叫んで身を翻し、左手を引く仲間と共に走り出した。

“失格者の分際で、我の邪魔をするか”

『王』が呟くと、前を走る仲間の足下が不意に消え失せた。仲間の青年は、彼を巻き込むまいと咄嗟に彼の手を離し、独り悲痛な絶叫と共に虚空へと落ちていった。
 彼は振り返り、『王』を睨み付けた。そして、侮蔑の笑みを浮かべて唾を吐き、一瞬の躊躇いも見せずに仲間の後を追って虚空へと身を躍らせた――

「おい」
 呼ぶ声に我に返ると、そこには、“仲間”の顔があった。彼は折り畳んだ羊皮紙を差し出していた。彼がその羊皮紙を受け取るとき、その仲間の右手の指が引きつるようにぴくりと震えるのが見えた。
 今から十年以上前、荒ぶる風の巣の中で、ワケの解らぬ怒りに駆られた彼の左手が握り砕いた後遺症がそれだった。彼は無言で指から目を逸らした。
「目を開けたまま寝たかと思ったぞ」
 仲間は皮肉な口調でそう言い、彼の隣に腰を下ろした。そこは簡素ながら居心地の良い兵舎の一室だった。
「寝ていたワケじゃない。ただ、夢を視た」
 彼はそう言いながら、手渡された羊皮紙を開いた。そこには、簡潔に、次に赴かねばならない任務が書き綴られていた。その遂行の為ならば、幾人の命を奪っても構わないとの注釈付きだった。彼はにんまりと笑みを浮かべた。
「起きていても、夢を視るのか?」
 仲間が尋ねた。彼は笑みを消さず、仲間の言葉にも応えず、ただ嬉しそうに口唇を歪めて呟いた。
「殺すんだ」
 彼の言葉の真意を、解っているのは仲間だけだった。彼は応えた。
「そうだ」


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