情熱


 醜く歪んだ顔には、飢えと怒りにぎらつく落ち窪んだ双眸と、黄色い牙の並んだ巨大な口があった。肉を詰め込めるだけ詰め込んだような巨躯は乾いた泥にまみれている。 厚い皮に覆われた皮膚には、幾筋かの赤い傷跡が走り、赤い血を滴らせていたが、その痛みは意気を萎えさせるどころか、返って煽り立てる結果となっていた。
 少年は、汗で濡れて滑りやすくなった剣の柄を握り直し、恐怖に竦みがちな身体を叱咤して、その巨体へと挑み掛かって行った。
 
 少年がかくも無謀な行動に踏み出したのには理由があった。
 少年の父は、領主だった。そしてその街に、今、危機が訪れていた。
 彼の街は鉱山をその収入源としているのだが、どうやらその山に噴火の兆候が見えると言うのである。
 山に抱かれるように広がる彼の街は、ひとたび山が火を噴けば、とうてい助かりはしない。
 そして、その危急の事態に、少年の父である領主は不在であった。
 少年は、父の留守を守らねばならないと、心に決めていた。少年が今までに受けてきた、跡継ぎとしての教育が、彼にそう決意させたのかもしれないが、彼は真剣にそう思っていた。
 少年は、街を救うため、山の守り神に祈りを捧げる為に、鉱山へ踏み入った。
 鉱夫たちに守られながら、辿り着いた山神の祠で、彼は一心にお祈りをしたが、山の神は何も応えなかった。
 少年はそれでも祈り続けた。それでも、山の神は何も応えなかった。
 山の神は沈黙を守り、鉱夫たちは心優しい少年に屋敷に戻るよう進めた。神々には神々の仕事があり、我々人間がその邪魔をする事はいけない事なのだ、と。
 それを聞いた少年の中で、何かが燃え上がった。
 人が人の手ではどうにもならぬ事に対して救いを求めている時にさえ、応じようともしない神は、果たして『神』なのか。そんな『神』の存在が許されるのか。
 幼さ故に明確な言葉にならないそんな想いは、純粋な怒りの言葉として迸った。
 神を罵る少年の言葉に鉱夫たちはぞっとしたが、彼らが祀った祠が突如炎に包まれ燃え上がった時には恐れ戦いた。
 言葉を無くし茫然と炎を見詰めている少年の前に、どろどろに煮え立つ溶岩の身体を持つ影が現れ問い掛けた。
“何故に我に怒りを覚えるか。我に捧げる祈りはまだ足りず、従って我が応える務めはあらじ”
 頬を焦がすような熱気に晒されながら、少年は灼熱する神を正面から見据えて声を張り上げた。
 自分の街を襲おうとしてる災禍から、街を救ってくれるように、と。
 しかし、神は応とは応えなかった。
“汝、その地が救うに値するか、証を立てよ”
 それきり、不意に空気が冷え、気が付くと灼熱の神は去っていた。

 少年は、考えた。
 どうすれば、山の神に証を立てられるのかを。この街が救うに値する街がどうか、どうすれば判って貰えるのかを。
 幼い頭で、彼は考えた。
 どれほどこの街を大切に思っているか、その純粋な想いに翳りは無かった。その一点だけなら、少年は誰にも負けないと思っていた。
 しかし、それを山の神に判らせる事ができるかと言うと、それは全く別の話だった。

 森に醜く巨大な化け物が出る、と言う話を聞いたのは、正にその時だった。

 少年は、これこそ天啓だと考えた。  これこそが、神の与え賜うた試練なのだと、彼は確信した。
 そして、現在へ、今この瞬間へと至る。
 それはあまりに無謀な試みだった。
 しかし、彼は幼いが故に、勝ち目のない事にさえ気付かずにいた。
 化け物が横殴りに殴りつけた拳が、少年の腹をまともに捉え、間に合わせの鎧をばらばらに吹き飛ばした。
 何が起きたのか判らないまま、少年の小さな身体は空を飛び、森の木々の苔むした地面に叩き付けられる。
 かつて味わった事のない苦痛に泣きじゃくりながら、彼は地面をはいつくばり、手を離れた剣を捜したが、それは見付からなかった。
 その無防備な姿を見て、醜い化け物は無造作にその小さな足を掴んで持ち上げ、再び地面に投げ付けた。
 そんな中でも、少年が感じていたのは死の恐怖ではなかった。
 自分の信念が神に伝わらぬ事への理不尽な怒り、目の前の化け物への憎悪、そして、街への変わらぬ愛情。
 それらが混然一体となった、彼自身にも理解できない衝動が渦を巻き、出口を求めてのたうっている。

“汝の心を見たり”

 山の神の声が聞こえたと思った時、少年の不在に気付いた捜索隊の呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。
 少年は、自分の身体が再び持ち上げられるのを感じながら、そして自分の意識が途切れそうな事を感じながら、大急ぎで山の神に言葉を投げ付けた。

 この街を守ってください。

 再び、自分の身体が空を飛んだ。
 視界が暗闇に閉ざされる間際に、少年は神の声を聞いた。

“我が寝所に再び詣でるがよい。汝の心は見たり。汝、我が炎道を往く者とならん”


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