嵐の予兆


 薄暗い洞穴の中は、酷く暑かった。
 しかし、外の灼熱地獄に比べれば、これ以上は望めない程に涼しかった。それでも、掟によって身に纏わねばならない鋼鉄の鎧は、まるで彼を蒸し殺す為にあるのでは無いかと思えるほどの苦痛を与えてきたが、 彼はただ黙ってそれに耐え、壁際に立っていた。
 車座になって座っている十数人の将兵達は、先程から議論を延々と続けている。
 これから、大戦を始めねばならかなかった。
 しかし、それが問題なのではなかった。彼らはみな、選ばれた戦士達であり、兵一人一人もまた、選ばれた戦士達であった。敵と戦い、これを討ち滅ぼす事は彼らの誇りであり、また名誉であった。
 彼らの意気を鈍らせているのは、行き先が未踏の地である事と、その地がおよそ生きるに相応しからぬ環境であることだった。
「何を恐れる……ある。我らには女王陛下がおわす。この戦は……が命じられ、即ち、神より賜りし聖なる使命。……がご覧遊ばされておるのだ。……を悩ませるものなど、何一つあろう筈がない」
 苛立たしげな様子で、老いた一人がそう発言した。苛立ちの余りか、その仕草には焦りが見え、言葉はやや不明瞭になっていた。
 壁際で甲冑を身に纏っている彼は、ここに置いては異邦人だった。一応はここの言葉を学んではいたが、時折彼らが何を言っているのか判らなくなる事が多々あった。特に、今のように早口であったり、 複雑な言い回しをされると、途端に訳が解らなくなる。
 老将の台詞を受けて、若く思慮深い一人が鋭く息を吸い込んで注目を集め、ゆっくりとした仕草で喋りだした。
「如何に神命と言えど、ただ悪戯に尊き戦士の血を散らせては、それこそ神のご意志に背く。そうではないか? 闇雲に進むことのみが忠誠にはあらず」
「臆したのか、“熱き鏃”よ」
「侮辱するか、老いぼれめ」
 しばしの間、二人の将は睨み合い、奇妙に緊張した空気が張り詰めた。
 まず口を開いたのは、上座に座り、先程からただの一言も喋る事のなかった一人だった。
「我らを凍てつかせ、死に至らしめるかの地へ、我らは行かねばならん」
 堂々たる仕草で、彼はゆっくりと言った。
「“熱き鏃”よ、神命は必ずや果たされねばならぬ。その途上で死するは、戦士の誉れ」
 そして彼は首を巡らし、もう一人を見た。
「“地の轟き”よ、神命を果たさんが為に、己が知恵を振り絞らぬ者は、戦士にはあらず」
 彼は全員を見渡した。
「我らは、行かねばならぬ。ただ行くだけではなく、勝利を勝ち取らねばならぬ。幸いにも」
 彼は、微かに壁際に立つ異邦人に目をやった。それはほんの一瞬の事だった。
「我らには死地をくぐり抜け、聖都へ辿り付きし者がある。さあ、“生ける屍”よ、“異邦の旅人”よ、我らを勝利に導くすべを、明かすがよい」
 壁際に立ち続けていた彼は、静かに鎧を鳴らして歩み出た。すると、“熱き鏃”が鋭く舌を鳴らした。
「奴隷如きの言葉を聞くと言うのか、“誇り高き爪”よ」
“誇り高き爪”は“熱き鏃”を見据えて、落ち着いた仕草で語った。
「彼は、試練に打ち勝ち、死より生き返った。類い希なる戦士とて還る事は難しい『死の塩原』から、彼は帰還した。即ち、我らの女王が認められた“異邦の戦士”にして、“神の戦士”。彼の言葉を聞かぬと言うのであれば、
“熱き鏃”よ、貴様も『死の塩原』より還り来るがよい」
“熱き鏃”は途端に頭をうつむかせ、沈黙した。
「“生ける屍”よ、語るがよい」
“誇り高き爪”は“生ける屍”を促した。
 彼は求めに応じて語り出した。


外伝前話<<  戻る  >>外伝次話