布告


 クランロガールの王、《賢王》タルムード・ウィズマン・ザイイドは、その使者が携えてきたと言う書簡に目を通し、暫くの間、目を閉じてじっと考えに耽っていた。
 傍らに控える第一王子にして大将軍の地位にあるアズライル・ザイイドは、険しい表情で老王の様子を見守っていたが、王が何も応えようとしないのに痺れを切らしてよく響く声で王の判断を促した。 じっと固唾を呑んで王の言葉を待っていた家臣団は、アズライルの破鐘のような声に打たれたかのように身体を震わせ、密やかに視線を交わし会い、囁き交わす。
「父上」
 再び、アズライルが言葉を促した。彼は、ここに集まっている家臣団とは違い、既に書簡の内容を知っていた。その書簡に対する返答はただひとつしか無く、その為にはぐずぐずしている暇は無いことも 充分に判っていた。
《賢王》はアズライルの声で目を覚ましたかのように、瞼を開けた。彼は開いた書簡を畳んで右手に持ち、穏やかな表情で息子の顔を見た。
「アズライル。そなたは答えを出しておるのだな――?」
 アズライルの目に微かな動揺が揺れた。《賢王》が政務の上で彼を名で呼んだ事など、今までに一度たりとも無かったからだ。殆どの場合、彼は《大将軍》であり、王族――いわゆる、王の跡継ぎとして 式典に臨む時などは《王子》であった。せいぜいが、《アズライル王子》であり、ただの《アズライル》と呼ばれる事など、本当の私事にまつわる時ぐらいしか無かった。
 アズライルは《大将軍》でもなく《王子》でもなく、ただの《アズライル》として、父の目を覗き込んだ。そこにいるのは、クランロガールの王ではなく、ただの《父》だった。それはほんの一瞬の事で、 瞬きをした時には、既にそこに《父》はなく、《賢王》タルムードが戻っていた。
 アズライルはその時、《王》が《父》に戻ったワケを全て悟った。アズライル・ザイイドは、王の息子として力強く頷き返し、クランロガールの《大将軍》として朗々と響き渡る声でそれに応えた。
「我らクランロガールは、戦神ロガールの名に恥じぬ振る舞いを為さねばなりませぬ。我らクランロガールの主は、我らであって、他の何者かではありませぬ。我らを貶め、辱めるような 求めを受け入れるはおろか、耳を貸すことも為りませぬ。我らの誇りは我らと共に」
《賢王》は頷き、威厳のある仕草で立ち上がった。そこに居合わせた人々は、その一瞬に老いた王が十も二十も若返ったかのように錯覚をした。王は言った。
「《悪魔の山》の魔王より、書簡が届いた。我がクランロガールに、大陸北部一帯の征圧を"命ずる"と――」
 その時一斉に家臣らの中から怒りのどよめきが沸き上がり、王の言葉を掻き消した。王は再び声を張り上げて繰り返した。
「――命ずる、との内容であった。魔王は、彼がこの大陸を統べる者がゆえに、その命令を我がクランロガールに対して発する権利を持つと言っている。静まれ」
 憤慨を隠せない一同を見渡し、彼は静かに命じた。
「《大将軍》が言った通り、我が国の主は我が王家……否、余である。《魔王》めが、赤き龍の騎士を使者に仕立てて送って寄越したのは諸君も見ての通り。嘆かわしくも、《龍王》の眷属で さえもかの《魔王》の元に屈しておることを見せつけ、脅しつけようとしておるのは見え透いておる。だが、余はそのような脅しには屈したりはせぬ」
 王は一旦言葉を切り、厳かに命令を下した。
「我がクランロガールの主は余一人である。――戦の準備だ」
《大将軍》は畏まってその命令を受け、身を翻して大音声で命令を発した。
「まずは、《魔王》の使者を引っ捕らえい! 王国と王家を侮辱した罪、決して軽くはないぞ」
 ひしめいていた家臣らが下された命令を遂行するために慌ただしく散って行ったあと、アズライルは王を振り返った。
 王がこの戦に勝ち目が無い――或いは、この王国の存亡を賭けるには余りに分が悪すぎる、と考えていることは判っていた。先程無言で視線を交わしたとき、王は息子に尋ねたのだ。
 一国の王としての意地の為に、死んでくれるか、と。
 だから、アズライルは頷いたのだ。だが、彼は父の願いをそのまま呑むつもりは毛頭無かった。彼はこう返事をしたのだった。
 一国の王としての意地の為に、勝利を勝ち得ましょう、と。


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