神将


 その男は、彼の仕える主を除いて、最も神に近い人物と言われている。
 その男は、彼の仕える主の元、この国の中で最も武勲に優れていると言われている。
 その男は、遥か昔の伝説の英雄の血を引いていると言われている。
 そして、その全ては、真実である。

 大陸南端の大国八俣。龍王の加護の下に繁栄するその国は、この大陸の他の地方にはあまり見掛けられない異民族が暮らしている。
 彼らは、その異相が、竜の血を引いている証だと言う。
 それが真実であるか否かは定かではないが、そうでも無ければ説明のつかぬ事もいくつかある。
 その最たるものが、八俣の国を統べる皇帝の存在だろう。彼が皇帝の座に就いてから、既に700年近くの時が過ぎている。魔術も使わずに、普通の人間がそれだけの寿命を持つとは考えられない。
 その皇帝の下に、その男は居た。

「北が騒がしくなっております」
 彼はそれだけ言って、押し黙った。彼の言葉を聞いた皇帝は、まるで居眠りでもしているかのように閉じていた双眸を片方だけ開け、妙に無機質な目で、目の前に跪いている彼を見た。
「行きたいのか」
 皇帝はただそれだけを尋ね、彼が何も応えようとしないのを見て取ると、嘆息した。まるで諦めきっているような、そして羨望のような、どちらとも取れる溜息だった。
「血は争えぬ、か」
 ぽつりと呟いた皇帝の言葉に、彼は幽かに目を伏せた。同意しているような否定しているような、どちらともつかぬ仕草だった。
「かの魔王が我が八俣を侵すのも、最早時間の問題かと存じます」
 皇帝の呟きには応えず、彼は言葉を重ねた。皇帝は再び呟いた。
「虚無か」
 彼はまたも応えなかった。皇帝は玉座から背を浮かせ、まるで説いて聞かせるかのような優しげな口調で語りかけた。
「そなたも《虚無》に魅せられるか。そなたの先達が魅せられ、囚われたと同じに」
「私の血と、これとは関係ございませぬ」
「嘘を申すな」
 皇帝はやんわりと窘め、再び背を玉座に預けた。
「《獅子の巫女》は、魔王が《虚無》と手を結び、この世を侵そうとしていると言った。神軍の将たる龍王に祈願し、その降臨を願う時だと。されど、龍王は《虚無》が見えぬ。 見えぬ脅威に、我らは立つ訳にはいかぬ。この先、永劫に渡り、人の言葉のみが神を動かしたと言う、事実を作ってはならぬ」
「されど」
 彼は顔を伏せたまま、諳んじるように言った。
「魔王の軍勢は、手を伸ばせば我が八俣に触れんばかりの勢いで膨れております。私が望んでおりますのは」
 彼は一旦言葉を切り、唾を呑んだ。
「私が望んでおりますのは、神事ではございませぬ。ただ、この俗世の争い事にまつわることでございます」
「覇麻流牙よ。英雄の血を引く者よ」
 皇帝は微かな苦笑を浮かべて大仰に手を振った。
「よい。我が八俣の地を侵す者は、何であろうと龍神に楯突くものに相違あるまい。行くがよい」
 しかし、再び、皇帝は身体を起こした。
「だが、忘れるでないぞ。かの英雄殿は、この世の全ての敵を屠り、更なる敵を求めて虚無の世界へと旅立った。そなたは、虚無と戦う為に行くのではない。敵を討ち滅ぼす為に行くのだ。そして、 英雄とは、帰ってくるものだと言うことを、忘れるでないぞ」


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