波乱


 その奇抜な格好の青年は、前触れもなく部屋の中央に立っていた。
 厚いカーテンの下りたままのその部屋には、高価な絨毯が敷き詰められ、蜜蝋の蝋燭の灯る金の燭台が並んでいたが、調度品の類は少なく、どことなく空虚な 印象がある。
 扉は厚い樫材で、誰もが破る事を諦めたと言われている高名な鍵細工師の手による錠前が三つついている。
 カーテンに隠れて見えない窓には、頑丈な鎧戸が下りている。
 窓の外にはテラスもバルコニーも、手すりさえも無い。
 面した庭には常に衛兵が巡回しているし、扉の前にも二人ずつ控えている。
 この部屋を守るのは、目に見えるそれらだけではなく、この部屋の主に仕える魔術師たちが常にこの部屋の周囲を精神の目で探り続けているし、彼が仕える神が 常に彼を見守ってくれている筈だった。
 即ち、この部屋の中央に、いきなり現れ出ることなど、まったくもって不可能な事であった。
 部屋の主は己の目を疑うかのように、身を乗り出し、その侵入者に目を凝らした。
 その若者は自分を誇示するかのような、派手なローブを身に纏っていた。その表情は明るく、どこか悪戯っぽい煌めきを伴っている。
「……何者だ」
 主は掠れた声で低く問うた。
 侵入者は笑った。
「同類ですよ」
 そして青年はローブの左袖をまくり、肩を露わにしてみせた。引き締まったその腕には、比較的新しい火傷の跡があった。
 主はその傷の形に見覚えがあった。それと同じ形の火傷を、彼は顔に持っていた。彼は思わず、部屋の中においても素顔を隠している覆面の頬に触れた。
 青年は微かに頷いて微笑み、袖を戻しながら言った。
「そう。私も貴方も同じ神に仕える身です。だから私はここへ送り込まれた」
「誰に」
「ククラック神、そのものにですよ」
「……お前も加護者なのか」
「それよりも、神知者の方が響きがよくて好きですね。さて」
 青年は不意に真顔になった。
「用件を済ませてしまいましょう。別に、貴方を取って食ったりとか、引退を迫りに来たわけじゃありません。神託というヤツをね、伝えに来たんですよ」
「神託だと?」
 主は覆面の下で眉を顰めた。ククラックに仕えて40年ほどになるが、そんなものが下された事は未だかつてない。
「そ、神託。小難しいことじゃありません。要約すると、『ザラダンをぶっ殺せ』って内容です」
 主は考え込んだ。
 ――何を言っている? 全てを知った上で言っているのか?
 すると、青年はその考えをまるで見透かしたかのように言った。
「ポートブラックサンドが既にザラダンと交戦中なのは知っていますよ。《海上の嵐》ククラックは地上の事に興味はないから、今まで何もしなかっただけです。 だけど、ここで用事ができた」
 彼は戯けたように肩を竦めた。
「ザラダンが邪魔なんです。海を吹き渡る風は何者にも縛られることはない。もしもそこに刃向かうものがあらば、それは引き裂かれ波間に消える運命にある。 そうでしょ?」
 そこまで言うと、青年は再び笑みを浮かべた。
「伝えろと言われたことは、これで伝えました。それでは頑張ってくださいね。貴方と私は同じ神に仕えているとは言え、見ているものはまるで違う。 それでは失礼」
 青年はそう言って、深々と頭を下げ、仰々しい一礼をした。暗い部屋の主は急いで問い掛けた。
「お前の名前は」
 顔を上げた青年の目が悪戯っぽくきらりと光り、その姿が不意に滲んで一陣の風へと変じた。風は一時渦を巻き、薄暗い部屋の調度品を撫でるように揺さぶると、 いずこへともなく消散する。
 その旋風の名残が部屋の主の頬を撫で、青年の応えを耳元に囁いた。

「――《ククラックの子》ローエン」


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