不和


「私がかつて申し上げたこと、お判りになられましたか」
 中立神ロガールに仕えるユーマ・トレイラはそう言って、獅子神ロガールに仕えるエクセタ・トリノリアの顔を見た。
 齢80を越えるその老齢の神王は、憔悴と疲労の見えるその顔をかすかに俯かせたままだった。
 ここはクランロガールにあるロガール神殿総本山の一室である。月に一度執り行われる会合が執り行われていた。この会合にはクランロガールにある数々の 善神の教会の司教らが集まり、様々な議題を解決する。しかし、今回は、特別に《中立神》の神官が参加していた。
 今、彼らが抱えている大きな問題を解決するために、エクセタが列席を許したのである。
 大きな問題とは、クランロガールの東に布陣する蜥蜴族の軍勢のことである。
 蜥蜴軍とクランロガール王軍が交戦を開始した翌日、ロガール神殿宛てに一通の書簡が届けられた。差出人はシュフリィ・チャ。蜥蜴族を率いる女王である。
“我々蜥蜴の僕はは獅子の僕と戦うために来たのではない。世界を喰らいつくす虚ろなる神の僕を殺し、異邦の神を追放するために来た。共に手を取り、 同じ敵を討ち滅ぼさん。これは我らが神より賜りし使命である”
 シュフリィ・チャはそう言っていた。
 そして、手紙を届けに来たのは《中立神》の代弁者たるユーマであった。かつて、善と悪はいがみ合う時ではない、と説きにきた女性である。
 エクセタは以前から、魔王ザラダンの脅威を説き、魔王が奮う《虚無》のを放逐するべく聖戦を起こそうとしてきていた。しかし、《聖戦》に必要な条件は揃っておらず、 未だに《聖戦》は発動していなかった。その上、ロガール神殿の中で《虚無》に気付いている者はほとんど皆無であり、エクセタの言葉を理解する者も ほとんど居なかった。
 その一方で、蜥蜴軍からの休戦の申し入れは、王軍に対しても行われていた。
 もっとも、なし崩しに交戦へと雪崩れ込んだ形の開戦は、どちらの兵にも良い印象を与えておらず、また、悪を滅ぼすことを信条とするロガール教の信者である タルムード王がそれを呑むはずもなかった。
 予想通り、王軍は休戦の申し入れを断り、蜥蜴軍の魔術攻撃に対抗するべく国中の魔導師たちを招集している。
 この王家の決断を喜ぶ者は教会の内部にも多い。エクセタ一人が主張する、目に見えない《虚無》よりも、神々が敵と定めた《悪》を滅ぼすことに意義と正統性を見出す のは当然のことだ。過去、《聖戦》は《悪》に対して宣言されてきたのである。
 エクセタの切り札は、やはり《虚無》の存在に気付いた一人の神官の存在だった。その神官は《正義と真実》の神リーブラから御言葉を賜っていた。 もしもその神官がリーブラの代弁者としての資格を備えるのならば、その言葉は神の言葉と等しくなる。《正義と真実》の神は決して真実ではないことを口にしない。 その資格を得た神官が、《虚無》の存在を肯定し、危険を説けば、それは《善》にとっての敵として認められたはずだった。
 しかし、今、その神官は手元には居なかった。《聖戦》に必要な《獅子王の御子》を探す旅へと出てしまったのである。
 エクセタはロガール教の総大司教でありながら、ロガール神殿の中で完全に孤立する形になってしまっていた。
「お前の言葉は信用できねぇ、《中立神》」
 粗野な男の声が会合の席のひとつから上がった。その声の主も、エクセタを悩ませるひとつだった。
 がっしりとした身体つきの赤毛の巨漢がそこにいた。その席は、《虎神》マギールの大司教が座るべき席だったが、本来そこに座っているべき大司教はその男の後ろに 控えている形になっていた。
「スシス・チャは俺達の敵。あのトカゲどもをぶち殺すことこそが、俺達の最優先事項だ。《悪》を目の前に、それと戦うか否かなんぞ決める必要はねぇ。 戦うことはもう決まってんだ。神はそう言ってんだからよ」
「貴方は判っていないのです」
 ユーマは静かに男を見据えた。微かに軽蔑するような眼差しだった。
「いいや、判ってねぇのはお前の方だ《中立神》。《善》は《悪》の味方なんぞしねぇ。お前はロガーンに仕えてるかもしれねぇが、俺は親父から聞いてるんだ。お前とは 格が違う。俺は神の子だぞ」
 赤毛の男はそう言って、嘲笑うように鼻を鳴らした。
 男の名はトリスタンと言う。《虎神》マギールの子を名乗っていた。その証拠に、その男はマギールの徴だけではなく、虎の姿へと変じる能力を持ち、虎と言葉を交わすことができた。 蜥蜴軍と王軍とが対峙した際に、真っ先に飛び込んでいった深紅の虎は、彼である。
 ユーマの目が冷たくなった。
「格のことを言うのならば、《獣神》とてかつてはイスターレル神が作りだしし生命のひとつ。いわば貴方は神の創造物から生まれた子であろう。だが、我ら人は《中立》のロガーンが 直々に創り出された神の似姿。どちらが神に近いか、言わずとも判ろう」
「《善》でも《悪》でもない半端者が抜かすな。どっちつかずの裏切者の言葉なんざ、聞くだけで怖気が走るぜ。神の似姿がどうだってんだ。確かに俺は半端物の形で生まれたきたが、 俺の中の神の血は、俺のその無様な裏切り者の形を、もっと正しい虎の形へと変える力を授けてくれている。その点に関しちゃ、俺はこの中の誰よりも神に近いって言えるんだぜ」
「聞き捨てならんな」
 今度は、エクセタの後ろから声がした。そこに居るのは、ロガール神殿に仕える戦士であった。獅子神ロガールの試練を果たし、神の代弁者としての資格を備えた男である。
「ロガール神殿の中で、総大司教猊下よりも神に近しいと抜かすか、貴様は」
 不穏な響きを持つ男の言葉に、トリスタンは動じなかった。
「《マギールの子》とやら。尊き獣神の姿を取れるのは、お前だけではないぞ」
 男の黒い瞳の色が徐々に薄れ、金色の光と縦長の瞳孔が現れ始める。トリスタンは、初めて表情を強張らせ、座っていた席から腰を浮かせて男を睨み付けた。


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