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 薄汚れた衣に袴。腰に佩いた太刀は所々塗りが剥げ、長い間使い込まれた汚れが染み付いている。
 死人のように虚ろな瞳は、この世の全てに興味を無くしているかのように見えた。
 陽が沈み、迫り来る夕闇に覆われつつある山道を、その男は独り歩いていた。
(これは面倒でも街道を行けば良かったな)
 屍丞(シジョウ)は口の中で密かに呟いた。
 途中で見掛けた急造の関所が煩わしかったのだ。どうやら戦の匂いもあるらしく、こんな時期に関所を通れば、 自分のような風来坊は一時雇いの剣士として誘われるに決まっていた。どこかの軍勢に加わるつもりは 毛頭無いが、誘いを断るのも面倒だった。定番の手形改めも、質問責めも鬱陶しい。
 そういう訳で街道を外れたところが、このザマだ。
(今夜は野宿をする羽目になりそうだ。だが、その前に――)
 屍丞は振り返りざま抜刀し、目の前の空間を薙いだ。
 硬く澄んだ音が複数響き、刀を握った腕に軽い衝撃が伝わる。鋭い刃を持つ鉄片が足元に落ち、庇いきれなかった 数個が手足に突き刺さった。
 かっ、と傷口が熱くなり、突き刺さっていた『もの』が抜け落ちる。体内に仕込んだ蟲のお陰だ。傷付いた肉体を驚異的 な早さで癒してくれる蟲とは、既に十年近くの付き合いになる。これに助けられた事は数え切れない程だ。
(忍びか)
 闇を睨めつけながら、屍丞は思った。
 命を狙われるような心当たりは無い。無いが、裏を返せば多過ぎて憶えていないだけかもしれない。
(まあ、何でも構わん)
 生気の乏しい屍丞の瞳に微かな光が宿る。
 そして、沈黙。
 闇に潜んだ襲撃者と屍丞との間に、静寂が張り詰める。
 屍丞は居所の定かではない相手の動きを待ち、相手は屍丞の出方を伺っている。
 遠くでさやさやと風の鳴る音が聞こえた。
 風が、来る。
(ち、厄介な)
 屍丞は緊張を緩めることなく舌打ちしたが、風を止める術など知る筈も無かった。
 そして、風が来た。
 びょお、と耳元で風が鳴った。
(ヤツは動いた。だが、何処へ?)
 おおお……
 風は鳴き続けている。
 その狭間で、きぃ、と何かが鳴った。
 屍丞は頭上を振り仰いだ。黒い影が二振りの白刃を構えて落ちかかってくる。
「ちぃっ」
 太刀を振り払ってそれを迎え撃つ。刃が噛み合って火花を散らし、新たな血臭が夜気に広がる。
 首筋が燃える様に熱くなる。屍丞の頸部から鮮血が迸り、すぐに止まる。
 屍丞は(わら)った。
「その程度じゃ、殺れん……」
「……ッ殺スッ」
 無機質な声が影から響く。両の手に構えた二振りの忍び刀が冷たい光を放っている。が、その胸の辺りで手裏剣を 構えているのも腕であった。更に、腹の辺りに組まれているのも腕であった。
 その異形の姿は全身を鋼で覆っていた。否、全身が鋼でできていた。
「金剛機、だと?」
 金剛機。
 最強にして最兇の殺戮機械。
 その多くは意思を持たず、命じられるままに殺しを繰り返す。
(はて、金剛機まで持ちだせる輩に、恨みを買った憶えはないが)
 屍丞は心の中で首を捻った。
 金剛機の正体は、業深き修羅の魂を封じ込めた機械人形である。その性質上、維持には特殊な技術と手間が必要 不可欠だ。時には封じた筈の修羅の魂が目覚め、暴れ出す事もある。金剛機を使役するには、その可能性に対する 備えも忘れてはならない。
 屍丞は微動だにせず、じっと睨み付けるように金剛機の全身を凝視した。
 六本の腕以外に取り立てて特徴はない。一体何者が遣わしたものか……。
「……ッ殺!」
 金剛機が咆えた。屍丞は同時に深く踏み込んだが、金剛機の姿は霞み消えていた。
 速いのだ。
 突き刺すような殺気が背後から襲い掛かる。全身の肌が泡立つ様な感覚から逃れるように、屍丞は前に身を投げ出した。
 湿った土の上を転げ、素早く立ち上がる。金剛機は先程を寸分違わぬ姿勢で、屍丞の事を睨みつけていた。
 背中に微かな痛み。やはり浅手を負ったらしい。
(まだ、だ)
 屍丞は口元を歪めて笑った。
(それじゃ、まだ、死ねない。はやく、もっとはやく……)
 そして屍丞は微かに重心を傾けた。それを敏感に感じ取ったのか、金剛機の方も微かに動く。
 きいぃ、と再び何かが軋んだ。
 足だ。
 屍丞は目を細めた。
(あの金剛機、足がイカれてやがる)
「それでも()る気か」
(いいねェ)
 屍丞はにやりと笑い、土を蹴った。それを迎え討つ様に金剛機が身を沈めた。
 横殴りの一閃が屍丞の手元から迸り、金剛機の足元を掬い上げるように薙ぎ払う。
 ぎっ。
 金剛機の膝が悲鳴を上げた。屍丞の手に確かな手応えが伝わる。金剛機は体勢を崩して膝を突いた。
(まだまだっ)
「おぉぉあぁぁあっ」
 屍丞が咆えた。
 屍丞の全身の表皮が騒めいた様に見えた。全身の皮膚に、不可思議な文様が浮かび上がった。衣の下で何かが蠢いた。
 ひとつだけではない。背に、肩に、腕に、そして顔にも。
 体型が歪んだ様に見えた。頭髪を掻き分けて角のような突起が現れる。衣の背を引き裂き、肉とも爪ともつかぬ突起が 飛び出す。
「サムライ……」
 金剛機が呟いて、動きを止めた。
 サムライ。
 それは、もはやヒトではない。
 己の肉体に『式』と呼ばれる化け物を埋め込み。自らが化け物となる事を選んだ連中の総称である。
 サムライは、身体の内に眠る『式』を解き放つ事で様々な能力を得る。それが先程の変貌である。
 屍丞は、そのサムライであった。
「サムライ……殺スゥゥッ」
 叫びを残して金剛機の姿が消えた。が、サムライと化した屍丞の目は、その動きを捉えていた。
 右上。
 屍丞は金剛機の後を追う様に、振り向きつつ斬り上げた。
 手応え、無し。
 着地。
 屍丞は完全に振り向き終え、差し上げた刀を振り下ろした。
 確かな、手応え。
 金剛機は飛び退き、再び二人は対峙した。
「ウ……ゥ」
 金剛機の殺気と怒気が一段と高まったのが判った。
 その気配にあてられ、体内の『式』が騒めく。狂気に近い闘争心がゆっくりと頭を擡げてくる。
 屍丞はこの瞬間が好きだった。
「ガッ」
 金剛機が動き、屍丞も動いた。
 白刃が閃き、異なる二つの気迫がぶつかり――
 そして、二人の動きが停止した。
 噛み合った白刃を挟んで、二人は睨み合う。
 と、その時――
「……なぎ? かんなぎィ、どこ……?」
 かぼそい少女の泣き声であった。
 ぴくり、と金剛機が反応した。
「……ふじ、ひめ……」
「藤姫?」
 屍丞の怪訝そうな呟きを聞き咎めた様に、金剛機の力任せの蹴りが屍丞の腹に叩き込まれる。
「ふっ」
 屍丞が派手に吹き飛ばされ、それから立ち直る前に、金剛機はまるでつむじ風の様にその場から走り去っていた。
 少女の声はもう聞こえなかった。
 屍丞は血の混じった唾を吐き捨てながら、暴れ出しそうな『式』を無理矢理に抑え込んだ。
『式』は常に、肉体を乗っ取る機会を虎視眈々と狙っている。それがサムライとなる事を選んだ者に課せられた試練のひとつだ。
(また、死に損なったな)
 屍丞は呟いた。
 誰かが応えた。
(ちがう、あんたは意気地無しなだけだ)
(あんたには、命を捨てる度胸も無ければ、魂を捨てる度胸も無い。いわんや、体を盗られる事まで恐れてる)
(もう、あんたの肉体は、半分あんたのもんじゃないのにな)

(あんたは、ただの意気地無しなのさ――)



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