承章
目次へ戻る



 甲浪(こうらん)の都は城下町である。それも、かなりひろい。
 往来には人があふれ、活気に満ちた都。それが甲浪である。
 だが、今日は何か雰囲気が違っていた。
 何となく活気に乏しい。何やら色彩を欠いた空気が都を覆っているような……。
 街中で出会った生意気な子供は、最近の戦でこの甲浪の姫君が行方不明なのだ、と屍丞に教えてくれた。それを裏付けるものも確かめた。
(そんなものか)
「わざわざ、お呼び立てして、申し訳ありませんな」
 ぼんやりと庭の池に映る雲を眺めていた屍丞は、その声に少しも恐縮などしていない響きを感じ取りながら、視線を移した。
 にこにこと微笑む男だった。いかにも問屋の主、といった風貌の男だ。
 甲浪の都に店を構える、乾物問屋の木津屋の主。そう聞いてはいるが……。
(こいつ、何者だ?)
 屍丞は思った。
 気配がない。いくらこちらが油断していたからとて、ただの町人が気取られずに部屋に入ってくる事など、ありえない。
 屍丞は微かに目を細めた。
(では、この男は只者ではないという訳だ。この男は何を考えている? 流れのサムライから太刀も取り上げず差し向かう、その真意は)
「ほぅ、怖い顔をなさる。さすがは、おサムライさまですな。気付かれましたか」
 主は微笑みを絶やすことなく、屍丞の向かいに座った。
「わけを聞こうか」
 屍丞は淡々とした声で言った。
「藤姫さまのことにございます」
 主はそう言って、屍丞の顔色を伺った。屍丞がそれを知っていると十分承知しているといった口振りだった。
 屍丞は何も応えなかった。彼が応えようとしないのを見て取り、主は話を続けた。
「ご存知でございましょう。甲浪城の姫君であらせられます」
「何故、おれがそれを知っていると思う」
「簡単なことにございます。あなたさまは、六河原大橋の立て札を見て、やはり、とおっしゃった。藤姫さまのご災難を報じる札を見て、やはり、と」
「……なるほどな」
 屍丞は眉を動かした。
 彼の興味を引きつけた事を確信したのか、主は居住まいを正し、表情から微笑みを追い払った。
「単刀直入に申しましょう。あなたさまに藤姫さまを救い出していただきたのです」
 しばらくの間、屍丞と主は無言で睨み合った。
(こいつ、何を企んでいる?)
(藤姫を救い出せ、だと?)
 藤姫。
 金剛機の呟き。
 六本腕の金剛機。
 金剛機との死闘。
(そうか、こいつらの理由など、おれには関係ない、必要ない)
(あの金剛機ともう一度――)
(そう、もう一度)
(それで充分だ)
 そこまで思ってから、屍丞は言った。
「……詳しい話を聞かせて貰おう」
 そして付け加える。
「あんたの正体もな」
「構いませんとも」
 主は間髪入れずに応えた。柔和な顔だった。
「わたくしは、甲浪に仕える者。わけあって、この様に身をやつしております。お判りでございましょう」
 そう言って主は再び微笑んだ。
「忍びか」
「さて」
 主は肯定とも受け取れる一言ではぐらかした。
「では、お尋ねの詳細でございますが……」
 主の話は簡潔を極めていた。
 藤姫は五日前の合戦にヨロイ乗りとして出陣し、引き上げ間際に敵方の奇襲を受け、そのままヨロイごと連れ去られた。藤姫を守っていた親衛隊は全滅。ただ、藤姫を襲ったのは金剛機であることのみが判っている。
「ここまでお聞きになった以上は、ご協力いただけるのでしょうな?」
 主はそう言って微笑んだ。
 ヨロイ乗り。
 ヨロイと呼ばれる動甲冑に乗り込み、文字通り心身一体となって戦場を駆ける者。
 穢れ無き魂の持ち主だけがヨロイと一体化することができ、戦場での旗印となる役目とも相俟って、主に領主などの息子、 娘が選ばれる事が多い。
 藤姫もまた、そうであることは言うまでもない。
 だが、穢れ無き無垢の魂も、いつかは世の闇に触れる。その闇を知ったヨロイ乗りは、もはやヨロイに受け入れられることは 無いという。
 藤姫の魂がヨロイに拒まれるのも、時間の問題であろう。
 屍丞は何も言わずに先を促した。
 主は不意に声を落とした。
「ただ……、藤姫さまが自らの意思でやつらの元へ下ろうとした時は……」
「なるほど、おれのような流れ者に声を掛けるわけだ。……いいだろう」
 屍丞は咽の奥を鳴らして小さく(わら)った。
「ご推察、痛み入ります」
 主は深く頭を下げた。
 屍丞は口の端を微かに歪めたまま、主のその様子を眺めていた。
(姫は殺すことになるだろう)
 かんなぎ、どこ?
(あの声は、頼りにできる者を求めて泣いていた)
 ふじひめ。
(金剛機は、それに応えた)
 かんなぎ、どこ?
(あの声は、金剛機を求めて泣いていた)
 ふじひめ。
(金剛機は、姫の身を案じていた)
 それを思うと、すなおに姫が戻るとは思えない。
(姫は殺すことになるだろう……)
「何か、お入用な物はございますか?」
 顔を上げた主が尋ねた。屍丞は主の顔に目をくれ、訊いた。
「……かんなぎ、という名に心当たりはあるか」
 それを聞いた主は困惑した様な表情を浮かべた。
「寒薙、……でございますか。はて、聞いた事はございませんなぁ……」
「そうか」
(なら、いい)
 屍丞は立ち上がった。
「お引き受け、下さいますな」
「……断る理由はない……」
「おお、ありがとうございます。では、これはほんの心ばかりのお礼でございます」
 主は金を包んだを思しき包みを差し出した。五両は入っている。
「首尾よく事を終えることが叶いましたならば、この倍はご用意してお待ちしております」
 屍丞は無言でその包みを拾い上げ、微かに頷くとその座敷を退出した。
 その姿が立ち去った後、主はじっと正座したままであった。
 やがて、閉じられた襖の奥、隣の座敷から、低く、聞き取り難い声が主に囁き掛けた。
「あの男……、何ぞ知り過ぎておるようですな」
「構わぬ。いずれ、事が済めば始末する。目を離すな」
「御意」
「……寒薙はどうしている」
「山を下りた様子はございませぬ。姫もヨロイも共にあると思われまする」
「ふん……」
 主はしばし考え込み、やがて吐き捨てる様に呟いた。
「寒薙……、裏切り者め。だから機械人形は信用ならん」
「頭領さまは、敵のヨロイが減っただけでもよし、と申して下されましたが……」
 声が囁いた。
「馬鹿め、つとめを果たさずしてシノビと言えるか!」
 主は小声で、しかしきつく叱咤した。
 隣間で囁き声の主が平伏する気配がした。
 主は改めて命じた。
「なんとしても、甲浪の姫を仕留めるのだ」



転章へ
蔵書室へ戻る
目次へ戻る