第一話
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 その部屋には鋼鉄と油の匂いが染み付いていた。ガレージを改修したと思しき、コンクリート剥き出しの殺風景なその部屋には、鉄の塊のような工作台が据え付けられており、その周辺に広がる工具類と雑多な生活用品は、まさに『そこ』が部屋の主の生活の中心であることを示していた。
 部屋の端には申し訳程度のキッチンと、その対角線上の壁に押し付けられた乱れたベッドがある。足の踏み場もないように散らかった部屋の真中で、この部屋の主が仏頂面で工作台の上にだらしなく腰を掛けてピッツァを齧っていた。
 作業の邪魔にならないためか短く切った金色の髪に、灰色がかった青い瞳。深い紅色に染めた唇に、小さな耳を飾る金色のイアリング。すらりとした身体に纏うのは薄汚れた白衣一枚きりで、だらしなく開いたままの前からは柔らかな白い素肌が覗いているように見えた。
 どこからどう見ても、女だった。
 しかし、とても女の部屋とは見えない無骨なその部屋は、確かにこの女のものだ。
 西暦2020年アメリカ、ナイトシティ。国家は崩れ去り、代わりに巨大企業が支配するこの世の中で、もっとも危険と波乱に満ちた街。太陽の光ではなくネオンライトに照らされ、小川のせせらぎの代わりにドブの澱みがあり、花の香りの代わりに血と硝煙と麻薬の臭い、そして権力と金の匂いの漂う街。
 そのナイトシティのダウンタウン、最も危険と言われる地区にこの女は居を構えている。
 通称、ブルーキャット。ドリィという愛称以外、本名は誰も知らない。ちょっとした家電から車両、果ては銃器・火器まで手広く扱う修理屋を営んでいる。もちろん、非合法だ。特に銃器の違法改造をやらせれば右に出る者はいない、と言う程の腕前の持ち主だが、如何せんネームバリューに乏しく、大した仕事は舞い込んで来ない。下らない骨董品紛いのオーディオを直したり、そこらの小僧が間違って壊した銃から詰まった弾丸を取り除いたりする程度では、金も名声も手に入りはしなかった。
「くそっ」
 ドリィは顔をしかめて悪態を吐き、今までのろのろと齧っていたピッツァをゴミ箱に叩き込んだ。冷めたピッツァのチーズが食うに耐えない酷い代物だったこともあるが、彼女は今非常に機嫌が悪かった。
 さっきも述べた通り、無名に等しい修理屋には、ロクな仕事は舞い込んで来ない。仕事が無ければ金は無いし、大きな仕事が来なければいつまでたっても無名のままだ。
 貧乏人が損をする。その悪循環の輪の中に、彼女はいた。
 無論、苦しい家計をやりくりするために、ちょっとした小遣い稼ぎの副業は不可欠だった。一番手っ取り早いのは、身体を売ることだ。勿論、今までにも何度かストリートに立って客を取ったこともある。セックスは嫌いじゃないし、己の純潔に意味も無いこだわりを持っているような頭の悪い夢見る乙女ではなかったからだ。
 しかし、コールガールは客との時間を割かねばならないのが欠点だ。そんな時間があったら、もっと他の研究に時間を割きたい。だから、ドリィは他の副業に精を出していたのだが、そっちの副業が最近さっぱり振るわない。
 その副業とは、自家製ドラッグの精製と販売で、リピーターを確保するのは非常に容易い。一度客を掴まえてしまえば需要は確実に発生するし、自分でやりくりできない商品など作りはしないから供給も確実だ。客が勝手にどこかでトリップしている間、別に自分は好きなことをやっていられる。文句なしに素晴らしい副業だった。
 その商売が振るわない、とすれば原因はただひとつ。
 商売敵の出現しかない。彼女の客を掠め取って、ぬくぬくとしている誰かがいるのだ。
 ドリィは我知らず親指の爪を噛んだ。
「アタシの客、アタシの金」
 ドリィの青い瞳が不吉な輝きを帯びた。
「何処のどいつか知らないけど、きっちり返してもらうわよ」



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