第十三話
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 情婦の家は、ナイトシティの歓楽街の裏手に立つ小さなアパートにあった。ほんの二、三週間前に拾った、素性の知れない女だったが、時折会話の受け答えに見せる鋭さが気に入っていた。
 いつも通り、通りに停めたままの車の中で、マスクラットが彼女を待っていると、迎えに行かせた男と帰ってきたのは全く見も知らぬ女だった。
 細身のブラックレザーのパンツに、同じ色のスリムなジャケット。豊満な胸を強調するように、黒いレースの下着を着けている以外、ジャケットの中には何も着ていない。灰色がかった青い瞳は挑戦的な光を宿し、真っ直ぐにこちらを見詰めている。短く切った金色の髪や、ややキツめのシャドウから察するに、力で支配されることを好まないタイプの女のようだった。
 女はウィンドウの外で立ち止まると、見下すようなポーズで喋り出した。
「始めてお目に掛かるわ、ミスター・マスクラット。こうでもしなければ、アナタには会えないと思ったの。悪く思わないで頂戴。大丈夫、あの部屋にいた女には、傷ひとつつけちゃいないわ。ちょっと買い物にでも出掛けてもらっただけ」
 そして彼女は微かに居心地悪そうに自分を連れてきた男を見た。マスクラットは緑の瞳でじっと女の目を見詰めた。その反応は当然だ。マフィアの大幹部と無理矢理に面会して、無事に済む確率は非常に低い。周辺にいる男たちがボディガードなのは判りきっているし、ヘマを仕出かせば一瞬で殺されるのも判りきっている。ここまで来られただけで、僥倖とでも言うべきだ。マスクラットは微かにウィンドウを開け、冗談めかした口調で訊いた。
「そんな危ない橋を渡ってまで俺に会いに来るなんて、光栄だな。要件は何だ。抱いて欲しいのか?」
 彼のからかいに隠された苛立ちを感じ取り、周囲のボディーガード達の空気が変わる。女は平静を装って応えた。
「ドラッグよ。アンタが今、手を焼いている、例のドラッグ。あれを捌いてる連中の情報があるわ。二万$で買って頂戴」
 女の声音に滲む緊張に、マスクラットはこれが冗談でも言い訳でもないことを悟った。しかし、初対面で二万とは。彼は鼻で笑った。女は慌てたように言い募った。
「例のドラッグは、アンタの縄張のドラッグのシェアを横取りするだけじゃ済まないわよ。その根拠もあるわ」
「証拠は」
「証拠?」
 そこで女はせせら笑った。それが強がりではなく本音なのだと、マスクラットには判った。彼はその女を少しだけ見直した。女は言った。
「そんなものが出るまで待ってたら、勝機を逃すんじゃなくて?」
 マスクラットは笑い声を上げた。久しぶりに面白い人間に出会えた。こういう女は嫌いではない。彼は笑い声を収めると、無言のまま先を促した。それを悟った女の表情を安堵の色が掠めたことを、彼は見逃さなかった。女は自分では気付いていないようだったが、その表情は確かに顔を掠めた。表情の端々にこぼれる本音は、この女がこういった交渉事に不慣れな事を意味している。即ち、ある程度までは信頼できると言うことだ。
 女はマスクラットの密かな分析など気付かずに話し出した。
「連中、陰でコンバットドラッグを扱っているわ。ドラッグで確保した客の中から、適当なのを見繕って、見かけは同じアンプルのコンバットドラッグを売る。最近、ナイトシティで凶悪なジャンキーが暴れて手に負えない、って話聞くでしょ。あれよ。サイコシス紛いの強力な使い捨て兵力を揃える準備をしてるのよ、連中」
 マスクラットはウィンドウを更にもう少し開けて、女に微笑み掛けた。
「連中のシェアに、ちょっかいを出していたのは、お前だな。騒動を起こしてネタを拾ったか。いい度胸だ、気に入った。……乗れ」
 女はそうあしらわれるのに馴れているようなどこかサバサバとした表情で、ぐいと車のドアを引き開けた。臆せずに乗り込んでくる女に向かって、マスクラットは訊いた。
「名前は」
「ドリィ。ブルーキャット、って呼ぶ人もいるわね」
 彼女はそう答えて冷たく微笑み、ドアを閉めて胸の間に挟んでいたメモをマスクラットに差し出した。
「連中の溜まり場と、首謀者の名前よ」
 マスクラットはメモに目を走らせ、セルラーホンに手を伸ばした。



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