第二話
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それから三日ほど経った夜のこと。
城谷と慎二の二人は、再会を祝すという名目で、『レギオン』という名のちっぽけな呑み屋にいた。平日、しかも週の前半ということと、開店から間も無い時間のせいか、店内には他に客もなく、意図せず貸し切りの状態になっている。
二人とも三日前とあまり変わらぬ格好だった。城谷は同じレザーのパンツに黒いTシャツを合わせ、一見して合皮製と判る薄手のジャケットを携えている。恐らく、そのジャケットのどこかには、『レイザー』のマークが入れられているのだろう。慎二の方はストーンウォッシュのブラックジーンズに無地の白いTシャツという、ありふれ過ぎた格好だった。無論、彼自身の主張であろう、赤いバンダナは頭の定位置に収まっている。
二人は並んでカウンター席に着いた。
「まったく、薄情なヤツだよなぁ。同級生の顔も判んねぇなんてな」
城谷はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。
「ま、慎二は昔っから人の顔やら名前やらを憶えなかったけどな」
「うるせ。お前に言われたくねぇよ。お前だって俺に気付かなかったじゃねーか」
その口調とは裏腹に、慎二の顔には決まり悪そうな表情が浮かんでいる。城谷の非難はあながち外れではないようだ。
苦し紛れの慎二の反論に、城谷は肩をすくめて、さも当然のことのように応えた。
「気付くかって。俺の知ってる緋ヶ崎慎二は茶髪で長髪の喧嘩の大巨人だぜ?」
「……大巨人は余計だ」
「みんな言ってるもんはしょうがないだろ。とにかく、そのお前が、まさか喧嘩の仲裁にくるなんて、思わねぇよ」
城谷はジンライムの入ったグラスを取り上げて口を湿らせ、後を続ける。
「昔のお前だったら、仲裁どころか、俺たちのところに殴り込んできたよな。間違いなく」
「……」
返答に詰まった慎二は、落ちつかない視線を手元のビールのグラスに落とし、一息に呷った。
そんな彼の様子を横目で覗いながら、城谷は軽く探りを入れるように口を開いた。
「俺たち三十人ぐらい、慎二なら軽く片付けかねねぇもんな。俺も危ない橋渡ったもんだ」
「やめろよ」
「冗談さ。そうはならなかったんだ。なぁ?」
城谷は、慎二の短い返事の中に、かすかな拒絶の意思が含まれていることを悟って、その話を打ち切り、話題を変えた。
「そういや、慎二。今何やってんだ? 進路希望欄に『探偵』って書いたのは知ってるけどよ」
「……その『探偵』事務所でちゃんと働いてるよ。失礼なヤツだな」
空のグラスを挙げて二杯目のビールを注文しながら、慎二は苦笑いを浮かべて城谷を睨みつけた。しかし、城谷はいぶかしむような表情をして言い返す。
「本当かよ。4月だったか、その事務所の方行ったら、長期休業中って札が下がってたぞ。潰れてんじゃねえの?」
「……来たのか? それより城谷、お前、事務所知ってたっけ?!」
目を丸くする慎二に、城谷は笑って片眉を上げた。
「確かにお前から聞いた憶えはねぇな、この薄情モン。お前の親父さんに聞いたんだ。引っ越したって」
「ああ……、なるほど。それで事務所」
慎二は納得がいったように、一人頷いた。高校卒業後、家を出た彼は就職先の事務所があるビルの一室を借りて一人暮しをしている。彼の家が判れば、彼の勤務先も判ろうというものだ。
慎二は城谷の顔を見て尋ねた。
「で、城谷。何か俺に用事だったのか?」
「いや、そん時の用事はもう済んだ。手ぇ借りたかったんだけどな、足りちまったよ」
薄く笑った城谷の横顔を見て、慎二にはその『用事』の内容が判ったような気がした。
「……『レイザー』の用事、か?」
「さすが、探偵。よく判ったな」
「冷やかすな。わざわざ俺ンとこに来る用事なんつったら、そっち方面しかないだろ」
慎二は自嘲めいた響きを含ませてそう言い、城谷の顔から目を逸らした。
「さすが、探偵。自分のこともよく判ってる」
「……怒るぞ」
「悪ィ。でもま、そういうことだ。俺の知る限り、喧嘩で一番頼りになるっつったら、お前だからな。何たって、『鉄塔大巨人』の緋ヶ崎だからな」
「その名前、やめろよ。ほんとに」
「みんな言ってるもんはしょうがないだろ? しかも事実だ」
城谷の、心なしか意地悪な響きを持つ言葉に、慎二は頬杖をついて不機嫌そうな表情を作った。
確かに、『鉄塔大巨人』は慎二の(しかも、本人にとってはかなり不本意な)通り名であった。
ひたすら喧嘩に明け暮れた高校時代に築いた不沈神話と、その巨躯からつけられたものである。
いくら本人にとって不本意な通り名であろうと、全ての要因が慎二自身にあることは明白だった。
殴った方の手が痛いだの、木刀で殴りつけたら木刀の方がへし折れただの、殴られたら一発で死にかけただの、五十人相手に一人で勝っただの、彼にまつわる伝説は枚挙に暇がない。
高校を卒業して喧嘩を引退したとは言え、それらの噂話と通り名だけは未だにあちこちで語り継がれていた。
ふてくされる慎二を横目で見ながら、城谷は喋り続けた。
「俺はてっきり、お前があのまんま、どっかのヤクザにでも拾われるかと思ってたんだぜ? お前に目ェつけてるその筋の連中、多かったんだぞ」
「……らしいな」
慎二の目は、目の前の新しいビールグラスに注がれているままだった。城谷は慎二の様子から少しも目を離さずにいた。
「だから、今はその手の仕事でもしてるのかと思ってな」
「してねぇって。俺は、とりあえず『探偵』やってるっての」
慎二は苦笑して、何かを吹っ切ったように顔を上げて城谷の顔を見た。ふと、城谷の目に何か思惑があるように感じたが、それが何なのかを慎二が掴みきる前に城谷は悪戯っぽい笑いを浮かべて訊き返してきた。
「『浮気調査』? 『素行調査』? 『猫探し』? ……似合わねぇなぁ。できんのかよ?」
「……ああそりゃ、得意じゃない、な」
城谷の予想した通りの応えを慎二は返し、二人は顔を見合わせて笑い声を上げた。
「じゃあ、何やってんだよ?」
笑いの下から切れ切れに城谷が訊くと、慎二は宙を見上げて何かを思い出すような仕草を見せ、指折り数え上げた。
「用心棒とかボディガードとか……。こないだのは私用だけど、ああ言う喧嘩の仲裁もしたっけ」
「おいおい、それ『探偵』の仕事かぁ? お前らしいけどな」
「『探偵』なんか、ただの『何でも屋』だと思ってる人が多いからな。そういう仕事も多いんだよ」
慎二はそういって自分の仕事を正当化したが、城谷にはそれを鵜呑みにした様子は無かった。
「へぇ? 慎二がいるから、そういう仕事が増えたんじゃねぇの?」
慎二は城谷の鋭い指摘に僅かに怯んだが、負けじと言い返す。
「うるせ。そういうお前はどうなんだよ。最近何やってんだ?」
城谷はその慎二の切り返しに不意を突かれたような顔をした。慎二の顔から目をそらし、ジンライムのグラスを手に取る。溶けかけた氷を揺らして玩び、彼は応えた。
「……こないだ見ただろ」
その返事に、慎二は半ば呆れたような表情をして、城谷の方に向き直った。
「『レイザー』のことか? おいおい、もう引退時だろ?」
「ん? いや、まぁ、そうなんだがな……。後を任せられるヤツがいねぇ。それに……」
「それに?」
「……いや、何でもねぇ」
城谷は手に取ったグラスを置き、言葉を切った。
慎二は微かに目を細めた。
何だろう、この嫌な気配は。何か。分かっているはずの、何か。
城谷の横顔を見ながら、頭の中でまとまりつつある事柄を確認するように、慎二は落ちついた真摯な口調で話しかけた。
「城谷」
……『レイザー』の急成長、犯罪組織の影、無謀な喧嘩沙汰。
「お前、今、何やってるんだ?」
……定職のない城谷、2ヶ月前の急な訪問。
「ヤバい橋、渡ってんじゃねぇだろうな?」
城谷は慎二の顔を見ずに目を伏せ、口唇を歪めてニヤリと笑った。
「……デカい山、と言ってくれ」
「城谷」
慎二は再確認するように言葉を切った。
「『レイザー』の後ろに組織があるって噂……、やっぱり本当か」
「詳しいな」
城谷は軽く笑って目を上げた。慎二の視線を受け止めた城谷の眼差しには、不敵な笑みが混じっていた。
慎二はその目を見据えたまま、漠然とした不安を覚えた。
「城谷。悪いことは言わねぇから、手を引いた方がいい。そういった連中をナメてかかると、痛い目見るぞ」
多分、城谷は言うことを聞かないだろう。
「慎二」
慎二の不安は的中した。城谷は慎二の台詞を遮り、笑みを浮かべる。
「俺はそんなドジは踏まねぇ。ナメてかかってもいねぇ。……おい、慎二」
城谷は不意に慎二の肩を掴み、真顔になった。
「俺ンところへ来ないか」
「……それが、今日の目的か」
慎二は苦い顔をして城谷の視線から目をそらした。確かにさっきからの城谷の台詞の中に、そう
いった徴候はいくつかあった。
それに気付かなかったのは、自分の落ち度だ。
城谷は目をそらした慎二の横顔から目を離さず、説得するように喋り出す。
「お前は今でも注目株なんだよ。お前を欲しがってる連中は山ほどいる。最近はお前の武勇伝は聞かねぇが、腕が鈍ってねぇのは見させてもらった」
城谷が言っているのは、三日前の一件のことだ。慎二はその時殴った『レイザー』の男のことをふと思い出して尋ねた。
「あいつ、大丈夫だったか? 手加減はしたつもりだったんだが……」
「浩介のことか? 馬鹿にすんな、場数は踏んでる男だ。あの程度で参るようなヤツじゃない。もっとも、相当頭にきてたみたいだがな」
そして城谷は、何かを思い出したように声を上げて笑い出す。
「そういや、慎二は昔っから、人を怒らせるのが上手かったっけな。変わってねぇや」
「……それじゃ、そのついでにあんたも怒らせることになんのかな」
慎二は口唇だけで笑みを浮かべて言った。しかし、その目は決して笑ってはいない。
「お前ンところには行かねぇ。俺はそういうことに興味はねぇ。お前も、そんな馬鹿げた考えは捨てて、さっさと足を洗うんだ。お前の後ろにいるのは……」
慎二は二秒間だけ言い淀んだ。果たして自分の直感が正しいのかどうか、迷っているかのようだった。結論が出たのか、出なかったのか、そして彼は言い切った。
「……海外のマフィアだろ」
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