第三話
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城谷と慎二は、数秒の間無言で睨み合った。
先にその沈黙を破ったのは城谷の方だった。不意に表情を和らげ、静かな口調で賞賛の言葉を口にする。
「鋭いな」
その言葉は本心から出たものだろうが、和らいだ表情の方は違う。城谷の目には、いらだたしい光が揺れている。
「『レイザー』に来い、慎二。その気になれば渋谷だけじゃねぇ。都内でナンバーワンになれるぞ」
「いやだ。興味がねぇ、と言った。城谷こそ、マフィアなんかと手を組むのはやめろ。自分がどれだけ危ない橋渡ってんのか、判ってんのか?」
そう言いながら慎二は、城谷が彼の言うことに耳を貸さないであろうことを既に確信していた。彼は、これ以上城谷に付き合う気はないことを明確にするため、スツールを降りて立ち上がった。
「慎二」
立ち上がった慎二の腕を掴んで引き止め、城谷は不敵な笑みを浮かべる。
「ハイリスク・ハイリターンって言葉、知ってるか? 俺はこいつに全部賭けたんだよ。慎二が来れば、リスクはもっと抑えられる」
うんざりした表情で、慎二は城谷の手を振り払った。態度に棘が混じり、言葉にもそれがにじみ出る。
「夢みてぇなこと言ってんじゃねぇよ」
「夢じゃねぇ」
城谷がそう言うのを聞いて、慎二は頭に血が上るのを自覚した。
何でこいつは解らないんだッ!
まずいな、と冷めた部分で思いながら、そう思った時には既に身体が動いていた。
城谷は慎二の表情と感情の変化を見逃さなかった。
ああ、来るな。
昔から、キレるとすぐに手の出る男だった。
城谷は慎二に殴られることを覚悟で、その場を動かなかった。一、ニ発なら耐える自信はある。それぐらいのことが出来なくて、『レイザー』も『レイザー』のやろうとしていることも、やっていられるわけがない。
が、衝撃は城谷の顔のすぐ脇を通り抜けていっただけだった。
どうやら慎二は、ぎりぎりのラインで思いとどまったらしい。明らかにワザと外している。
再び二人は睨み合ったが、今度は慎二の方から先に手を引いた。無言のまま目をそらし、そのまま背を向ける。
「……じゃあな」
「待てよ」
城谷が呼び止めるのを無視して、慎二は外へ出る扉を押し開けた。
「待てよ、慎二」
慎二は足を止めた。城谷の言うことを聞いたわけではない。彼の言うことを聞くつもりなど、毛頭ない。
「……城谷、てめぇ……」
彼は歯の隙間から押し出すように低く呟いた。
『レギオン』の入り口、つまり慎二の正面に、三人の男が立っていた。ダークなスーツに身をかため、慎二の前を遮るように立つ男が二人。混麻の夏向けスーツを着こなした細面の男がその後ろにいる。
三人とも、東洋人であったが、明らかに日本人ではない。二十代後半から三十代の歳の頃で、身にまとう雰囲気が尋常ではない。呑み屋に立ち寄った会社帰りの連中……、というわけではなさそうだった。おそらく……。
背後で城谷の声がする。
「慎二、紹介するよ。楊さんだ。……お前が推察したとおりの人だよ」
「あなたが緋ヶ崎さン。初めまシて」
城谷の言葉を引き継ぐように、真中の細面の男が微笑んだ。外国人特有の、奇妙なアクセントが耳に障る。
慎二は肩越しに城谷を振り返り、吐き捨てた。
「てめぇ、最初からこのつもりだったな」
城谷はお決まりの仕草で肩をすくめ、それに応える。
「楊さんが、どうしても慎二に会いたいって言うもんでな」
「無理を言ったのは、私の方でス。城谷さんを責めないでやって下サい」
楊という名のその男は穏やかな仕草で、慎二に向かって『レギオン』店内の椅子を勧めた。暗に慎二をそのまま行かせるつもりはない、という含みを持った仕草だ。
慎二は、どうやって穏便にこの状況を切り抜けるかを考えたが、答えは出なかった。やむなく『レギオン』の中に戻り、立ったまま楊と城谷を見据える。
楊は店内に足を踏み入れた。両脇を固めていた二人組は、楊と慎二の間からはずれた位置に立ったが、その距離は有事の際には自由に動ける間合いだった。楊は、至極当然のように椅子に座り、慎二のことを探るような目で見ている。
カウンターの内側にいたバーテンダーは静かに奥の扉へ姿を消し、プライベートと書かれたプレートの張りつけられた扉から、三日前に見かけた『レイザー』の男が二、三人現れた。その中にはもちろん、慎二が殴りつけたあの浩介という男の姿もあった。
最初から嵌められていたのは間違いない。
「……で、俺に何の用事だ」
「ほほ」
慎二の問いかけを聞いて、楊は少しも面白いとは思っていないように聞こえる、笑い声を上げた。
「城谷さンが、言いませんでしたか」
「聞いた。断った。……あんたら、城谷たちに何をさせようとしてるんだ」
慎二の問いに楊は、作り物の笑みを浮かべるだけで応えなかった。
「あんたらみたいに、チームの後ろにいる組織は他にもある。それが判らないあんたらじゃないだろう。変な動きを見せれば、黙ってない連中の方が多いぜ」
「素人のあなたに言われるまでもありませン」
楊は、嫌悪感を覚えるような笑いを浮かべた。この笑みは、作り物ではない。
「願ってもなイことです。日本の法律に縛られた連中が、どこまでやれるか見せてもらいまショう」
「……引っ掻き回したい、ってわけか。面倒事は『レイザー』に押しつけて」
慎二はできるだけ感情を抑えようとした声で言った。次の瞬間、彼は一足飛びに楊に向かって飛びかかっていた。その巨体に似合わぬ素早い動きに、ボディガードであろう二人組は完全に不意を打たれた。
慎二は怒りに任せて拳を固め、澄ました笑みを浮かべる楊の顔めがけて殴りかかった。
彼の膂力なら、頚椎損傷、頭蓋骨損傷は免れない。
が、その致命的な威力を持った慎二の拳の前に、自ら割り込んできた影があった。
「っ!」
慎二はとっさに力を抜いた。飛び込んできたのは城谷だ。拳は城谷のかざした腕を殴りつけるに留まった。
城谷はその自分の腕をさすりながら、口唇を歪めて笑った。
「さすが。手加減したんだろうが、響いたよ」
慎二の両脇を二人組が固める。恐らく、慎二が動いたのを見て抜いたであろう拳銃の銃口を彼の頭に突き付け、無言で威嚇する。
それを見た城谷の表情が、微かに強張り蒼ざめたのを、慎二は見逃さなかった。
「城谷」
慎二は銃を突き付けられているとは思えないような、落ちついた声で言った。
「銃見たぐらいでビビるんなら、こいつらとは縁を切れ」
「立派なもンだ。この状況で動じない人間は、そうはいない」
嘲るような楊の声が言い、手の平を打ち合わせる乾いた音が続いた。
「さて、城谷さン。彼に会わせてくれて、ありがトう。礼を言いまス。あとひとつ、あなたに頼んでいたコトがありまスね。そっちの方も、今日中にお願イしますよ。あなたのことは、信頼していまス。期待を裏切るような真似は、しないで下さい。それから、緋ヶ崎さン。……また、いつかお会いしましょう」
楊はそう言って、立ち上がった。二人組は拳銃を懐に収めたが、慎二から目を離すようなことはない。
「待てよ」
呼び止める慎二の言葉を無視し、楊は『レギオン』の出口へ向かう。動こうとする慎二を二人組が阻んだ。慎二の肩を、背後から誰かが叩く。
「てめぇには、もう用はねぇんだよ」
顔を見るまでもなく、慎二にはその声に聞き憶えがあった。
三日前の、確か、名前は……。
慎二がその名前を憶い出すよりも、また振り向くよりも早く、その声は殺気立った声で一言叫ぶ。
「これ以上邪魔すんじゃねぇ!」
声と同時に空を切る音が耳に届き、衝撃と激痛が側頭部を襲う。目が眩み、僅かの間だけ平衡感覚が失われる。
二秒にも満たない僅かな間だが、それは大きな隙だった。
『レイザー』の浩介は右手に持ったクリスタルの灰皿で、辛うじて振り向いた慎二のこめかみを、遠慮なく殴りつけた。普通、人が死ぬようなものだが、このぐらいしなければ『巨人』は倒れないだろうし、何より気が済まなかった。
殴られた衝撃で足がもつれ、スツールにぶつかってもたれかかった『巨人』に起き上がる暇を与えず、浩介はもう一度、今度は耳の後ろに一撃を振り下ろした。
慎二は起きあがろうとしたところにその一撃を受けて、反射的に頭を振り上げ、浩介を睨み付けた。
目と目が合い、浩介の動きがびくりと止まる。
やばい、と思った。心臓を鷲掴みにされたような感覚が身体の中を走り抜ける。
しかし次の瞬間、居竦められて動けない浩介の目の前で、慎二は微かに呻いて力尽きたように頭を落とし、そのままスツールから床の上に崩れ落ちた。
「……っこのッ!」
浩介は我に返ったようにもう一度灰皿を振り上げた。居竦まされたことに対する、理不尽な報復だ。城谷は声を荒げて浩介を止めた。
「やめろ! ……殺す気か」
城谷の言葉に浩介は微かに不服そうな顔をして、振り上げた灰皿を下ろす。
「面白いもの、見せてもらいマした。それでは城谷さン。後はよろしく」
楊はにこやかな笑みを浮かべてそう言い、二人のボディガードを引き連れて『レギオン』を出て行った。後に残されたのは『レイザー』の面々だ。
城谷は倒れた慎二を少しだけいぶかしむように見つめたあと、顔を上げた。
「浩介、召集かけろ。『アルファ・ボム』を潰す」
城谷の言葉を聞いて、浩介はにやりと笑みを浮かべて表へ駆け出して行った。城谷はそれを目で見送り、店の奥へ声をかける。
「田代」
さっき奥へ姿を消したバーテンダーが城谷に応えて姿を現す。
「……悪ぃが、緋ヶ崎預ってくれ。どっか放り込んで表に出すな」
「ああ」
城谷は残りの『レイザー』に向かって顎で外を指し示すと、気を取り直したように不敵な笑みを作った。
「……行くぞ」
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