第四話
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『アルファ・ボム』の真藤が不穏な話を耳にしたのは、その日の深夜だった。
 彼らが溜り場としてよく使っているゲームセンターに、『レイザー』の一団が殴り込んだというのだ。
 その場にいた『アルファ・ボム』のメンバー6人が袋叩きに遭ったと、親しくしているそのゲームセンターの店員が連絡を寄越したのだ。
 その30分後には、『アルファ・ボム』の真藤は残りの仲間をかき集めて、『レイザー』の城谷と対峙していた。城谷の後ろには『レイザー』のメンバーが30人近く揃っている。それに比べて『アルファ・ボム』の方は17人。ゲームセンターだけでなく、その後、他の場所で遊んでいた連中も次々と襲われた結果だ。『レイザー』の先制のお陰で、数の上では既に負けている。
 しかも、ここは『レイザー』が根城としているクラブのすぐ近くの、即ち、『レイザー』の勢力圏内の、汚れきった公園である。昼間でも人が寄りつかない程寂れているこの公園に、この時間に通りかかる人など皆無だ。
 が、頭に血の上った真藤にとってそれらの事柄は、『レイザー』への報復という目的を、なんら妨げるものではない。
「城谷、とか言ったよな。ずいぶんと、面白いマネしてくれんじゃねぇか。話つけてから1週間も経ってねぇはずだぜ」
「そうだな。1週間も経たねぇうちに、お前のダチは殴り込んできたんだがな」
 城谷は冷たい目で真藤の顔を見ながらそう応えた。
「お前の差し金なんだろ?」
 真藤は城谷のその台詞で、やや落ちつきを取り戻した。真藤の把握している限り、あの後『レイザー』に殴り込んだようなヤツは仲間にいない。
 と、すれば……。
「まさか」
 真藤の呟きを引き継ぐように、城谷は嘲笑うように言った。
「今日、ウチに緋ヶ崎が殴り込んで来たよ。最初からそのつもりだったかどうかは知らねぇが、こないだの一件絡みでな」
 真藤の知る限り、慎二はそういう真似を仕出かすような人間ではない。少なくとも、最近は。
 もっとも、最近急激に丸くなったと言われている人物のことだ。昔の喧嘩早い性格や立ち振る舞いを考えるに、あり得ない話ではない。
 しかし……。
 城谷は動揺する真藤の表情から目を離さず、続けた。
「こっちとしても、黙ってるわけにはいかねぇ。分かるだろ? 恨むんなら、緋ヶ崎を恨めよ」
 そこまで言って、城谷は首筋のあたりに嫌な感じを覚えて、周囲に目を走らせた。
 嫌な予感がする。
「……ああ、その台詞、そのままそっくり返したいな、城谷」
 聞き覚えのある声が、その予感の裏付けをする。
『レイザー』の後ろから、その声は聞こえた。仲間の罵声と、それから、鈍い打撃音が1回。
「あんまり邪魔するとな、痛い目見るぞ? あ、もう見た? あっ、そう」
 あまり緊迫感のない、と言うより馬鹿にしているとしか思えないその口調。
 ざわつく『レイザー』の真中を、堂々と掻き分けるように、白い髪の2mの巨漢が歩いてくる。目は真っ直ぐに城谷を見据えているが、怒りでも憎悪でもない、城谷には理解できない不可思議な色を湛えていた。
「恨むなら、俺を恨め。三日前の一件なら、あの時に断ったはずだぞ。……誰だっけ? ああ、あの浩介とかいうヤツと俺との問題だ、ってな」
 慎二は城谷に嵌められたことなどおくびにも出さず、城谷を見下すように立ち止まった。
「慎二。どうやって出てきた。それより、沈んだのはやっぱりフェイクか」
「さてね」
 城谷には、慎二の振る舞いが、理解できなかった。城谷の目の前で、慎二は真藤に目をやった。
「真藤、迷惑かけたな。何人やられたか知らないが、全部俺のせいだろ」
「……慎二、お前、本当に、やったのか?!」
 真藤は、信じられないと言った顔つきで叫んだ。城谷にしても内容は違えど同じ思いに違いない。
 慎二は大袈裟な仕草で肩をすくめた。
「ここんとこ2ヶ月ぐらい、喧嘩してねぇからな。溜まってたんだろな。そういう訳だ、真藤。この件はツケにしといてくれ。俺を半殺しにしてぇなら、やってくれ。後でな。お前の言い値で払うからよ」
 真藤は怒るより前に呆れ果て、疲れたように首を振った。他人の喧嘩を止めておいて、自分から飛び込むとは……。
 慎二らしいと言えば、らしい。
 その慎二と城谷と真藤のやりとりを見ていた浩介は、苛立ちが最高潮に達し、我慢しきれなくなっていた。
 成す術もなく殴り倒されたヤツが偉そうな口をきくじゃないか。
 歯軋りをひとつして、唾を吐く。
「割り込んできて、勝手に話を進めるなんざ、いい度胸してんな」
 浩介はこれみよがしに手の中で、刃渡り10センチほどのナイフを泳がせながら、慎二の前へ出た。
 慎二はそれを見て、小馬鹿にしたように鼻で笑い、更に挑発するように喋りだした。
「オモチャを持たなきゃ、前に出て喋れねぇってか? 手ぇ切らねぇように、気ィつけろよ」
「てめぇ、よっぽど死にてぇらしいな!」
 浩介の顔がさっと紅潮し、怒りの表情に変わる。彼は泳がしていたナイフを握りなおし、身構えた。
「こんだけの人数相手にして、そっちの連中だけで勝てると思ってんのか、え?」
 浩介の恐喝に、慎二は半ば呆れたような顔をした。
「……おい、お前。勘違いすんなよ。誰が『アルファ・ボム』と一緒にやるっつった? これは、俺一人の問題だって言っただろ? 耳ついてんのか? それにそっちこそ……」
 浩介の目の前で、慎二はにやっと笑ってみせた。
「……30人で、足りんのかい?」
 城谷は、慎二の台詞を聞いてとっさに、マズイと感じた。慎二は強がりを言うようなヤツではない。ワザと挑発しているにせよ何にせよ、何らかの自信がなければ大口は決して叩かない。
 しかも、それだけの人数を相手にするのは、初めてではない。50人を相手に大暴れしたという噂が、誇張でも何でもないことを、城谷は知っていた。
 が、浩介は知らなかった。
 城谷が止める間もなく、浩介はナイフの刃を閃かせて慎二に突っ掛かっていた。
「ふざけんな、この野郎ッ!」
 顔めがけて突き出されたナイフの刃を、慎二は顔色ひとつ変えずに紙一重でかわす。それが余計に浩介を煽り立てる。
「ブッ殺してやる!」
「浩介! やめろ!」
 城谷は叫んだが、完全にキレた浩介に、その声は届かなかった。力ずくで止めようにも、めちゃくちゃにナイフを振り回す浩介に近づくにはかなりの度胸がいる。
「城谷、お前も大変だな。ガキの部下がいると、よ」
 その浩介の大暴れを、無駄のない動きで全て捌ききりながら、慎二は心底同情するように言った。それが本心なのか、浩介を挑発する目的で口にされたものなのかは、判断つきかねるが、間違いなく浩介は挑発と受け取ったようだった。
「シカトしてんじゃねぇッ!」
 逆上した浩介は喚き声を上げながら、再び突っ掛かった。その突進を受け流した慎二の左腕に、すっと赤い線が走った。その血の線は、みるみる太くなったかと思うと、肘を伝って流れ出す。
「切り刻んで、ブッ殺してやる……」
 浩介の顔に嗜虐的な笑みが浮かんだが、慎二の方はいたって冷静だった。
「……やれんのか? んな度胸、てめぇにあんのかよ?」
「なんだと……!」
「慎二、やめろ! それ以上挑発するな!」
 慎二の台詞を聞いた城谷が慌てて止めに入ろうとしたが、慎二は怒り狂った浩介の顔から目をそらさずに、言葉を続けた。
「人を殺る度胸ってのはな、てめぇも殺られる覚悟のことだッ!」
 慎二は声を張り上げ、まるで無造作に見える仕草で間合いを詰めると、浩介の胸倉を掴んだ。とっさに振り上げられた浩介のナイフが慎二の左肩を走り、Tシャツに血が滲んだが、慎二は煩わしそうに浩介のナイフを一瞥しただけで手を離さなかった。
「……一度、死んでみな」
 今までとは打って変わった静かな低い口調で慎二は言った。
 それを聞いて浩介は、冷水を浴びせられたように血の気が引いていくのを自覚した。
 殺される。
 ぐいと身体が引かれた。馬鹿力。抗う間もなく足下から地面が消え、視界が反転する。文字どおり頭に血が上るのが判った。
「……さっきはご丁寧に3発も殴ってくれてありがとうよ。3発分まとめてきっちり返すぜ!」
 慎二の嘲笑うような声がやけにはっきり聞こえ、浩介は叫び声を上げた。
 頭から、落とされる。地面は無情にも、ひび割れたコンクリートで舗装してあるのが見える。殺される。……殺される? ……死ぬ?
「やめろ、慎二ッ!」
 誰かが叫んだのが浩介の耳に届いた。続けて、自分の身体が恐ろしいスピードで逆さまに落下するのが判った。身体が竦んだ。衝撃。息が止まる。激痛。声にならない悲鳴が喉の奥で固まる。
 目を開いて、初めて自分が目を閉じていたことに気が付いた。視界に、顔めがけて振り下ろされる靴底が映る。喉の奥の悲鳴は固まったまま出てこない。
 浩介は必死の思いでもう一度目を固く閉じた。
「慎二ッ」
 真藤が再び叫んだ時には、浩介の頭を踏み砕く勢いで慎二の脚は振り下ろされていた。踏み込みの重い音が張り詰めた空気を震わせ、それきり静かになる。
 慎二は身体を起こして真藤を振り返り、微かに傷付いたような表情を浮かべて苦笑した。
「殺りゃしねぇよ、バカ」
 踏み下ろした慎二の脚のすぐ脇で、やっと激痛に気のついた浩介が呻き声を上げ始めた。
 慎二は浩介を見下ろし、真顔で吐き捨てた。
「……一度死んでみたか? 金輪際、殺すなんで軽々しく口にするんじゃねぇ」
 城谷も真藤も、『レイザー』も『アルファ・ボム』も、毒気を抜かれたように、鎮まっていた。ただ、左肩からアスファルトに落とされた浩介の苦痛の呻き声だけが聞こえている。
「城谷。早く医者に連れてってやれ」
 慎二はそう言って浩介の傍を離れた。城谷は『レイザー』の仲間が浩介を助け起こすのを目の端で見ながら慎二の方を向いた。
「お前の方こそ、大丈夫なのか?」
 左腕に走る切り傷からは、まだ血が滴っている。慎二は苦笑した。
「俺なんかより、そいつの方が重傷だよ。いいから早く医者に連れてけって」



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