第一話
目次へ戻る



 薄暮。薄紫色の闇に包まれた緑地公園のベンチに寝転がり、本を読みふけっていた彼は、 無遠慮に近付いてくる気配に気付いて本を閉じた。
「こんな所で、何やってんだ、慎二?」
 その声には聞き憶えがある。
 緋ヶ崎慎二(ひがさき しんじ)はむくりと起き上がり、 かったるそうな仕草で伸びをひとつすると、声の主を一瞥した。
 細身の黒いスーツにぴったりと身体にフィットした同じ色のノースリーヴシャツを合わせた、痩身 の男が、整った顔に呆れたような表情を浮かべて慎二を見ていた。さりげなく散りばめられた シルバーのアクセサリィや、無頓着なようで実は念入りに手が加えられている長く伸ばした前髪を見る 限り、良く言って芸能関係者、悪く言って遊び人にしか見えない。
「……そりゃ、こっちの台詞だよ、兄貴」
 慎二はどうでもよさそうに呟き、まるで冬眠から覚めたばかりの熊のような緩慢な仕草で立ち上がった。
 近付いてきた男の方、即ち実の兄である緋ヶ崎誠一(ひがさき せいいち)とは 大違いの、堂々たる偉丈夫だった。誠一にしても180センチ近くの長身を誇っているのだが、更にそれを越える上背と、常人離れした逞しい身体を している。安っぽい黒いTシャツと迷彩柄のコットンパンツを身に着け、ベーシックなペイズリー柄の バンダナで頭を包んでいるあたり、格好だけはどこにでも居る若者のようだ。
 この二人が血を分けた兄弟であるというのは、俄かには信じがたい事実だが、良く観察すれば良く 似た面影に気が付くことだろう。兄の誠一が二十三歳、弟の慎二が二十歳。中性的な顔立ちをして おり、意外と美形の兄弟であるが、二人揃ってどこかしら馴染みにくい雰囲気が漂っている。
 誠一は弟の投げやりな対応に、眉をかすかに動かし険のある表情を作って反応した。
「何だその言い方は。せっかく気にして(かまって)やったのによ」
 血族ならではの棘のある言い方で恩着せがましく文句を言いながら、それでも誠一はちょっかいを 止めなかった。
「……仕事の方はどうした? クビにでもなったか。え?」
「……関係ないだろ」
 慎二は煩わしいものでも見るような目で誠一を見ると、さっきまで読んでいた本を脇に抱えて兄に 背を向け、歩き出した。
「お、図星か?」
 弟の拒絶の意に気付いていながらまるきり無視して、誠一は慎二の隣に並んだ。まるで嫌がらせ をして楽しんでいるような表情だった。
「最近は物騒だからなぁ。真っ直ぐ帰れよォ?」
 誠一のその台詞は慎二にとって余計なお世話もいい所だった。うざったそうな表情を隠そうともせず、 彼は短く応えた。
「うっせえな。ほっといて……」
 慎二はそこまで言いかけて、ふと何かに気付いたように言葉を途切らせて立ち止まった。誠一の方 もほぼ同時に足を止め、首を捻じ曲げて振り返る。
 兄弟が立ち去ろうとしていたこの公園の反対側の出入り口に、幾つかの人影が見える。
 下卑た騒ぎ声と身なりから察するに、よくそこらをうろついているタイプの青年たちのようだった。 アルコールでも入っているのか、時折耳障りな笑い声を上げている。
 その笑い声と騒ぎ声に混じって、怒ったような響きを持つ声が切れ切れに聞こえていた。
 慎二は無言のまま踵を返し、その大騒ぎの一団の方へ歩き出した。誠一はその様子を見て、やれやれと いった仕草で肩を竦め、慎二の後を追って隣に並び、前方に見えるその一団をまるで軽蔑しているように 顎で指した。
「知り合いか?」
「いや」
 慎二は兄の問いに短い否定の言葉で応え、一団から目を逸らさずに目を凝らした。
 身体中をジャンクジュエリーとタトゥで飾り立てた、ろくでなしの集団のようだった。その真中に、その 一団とは似つかわしくない、欧米人らしい女が混じって声を荒げている。
「……ああ、あれ」
 誠一は納得したように頷き、弟の横顔に目をやった。
「相変わらず、女のことになると、鼻が利くな」
 兄の台詞に、慎二は不意に表情を和らげて苦笑した。
 もう、限界だ。今まで、ちょっと独りきりになりたくて自分の周りに垣根を張り巡らせていたのだが、元々 そう言うことには慣れていない。それに、兄貴の前では何の効果もない。それは今のやり取りだけで充分 証明されている。やるだけ、馬鹿を見る事になる。いや、もう充分見た。
「……うるさいな。けど、あの娘、嫌がってるだろ」
 慎二はそれが全てだと言わんばかりにそう応えた。誠一は、その応えを聞いて、わざとらしく嘆息した。
「はーあ。だから、お前は女にだらしがねぇ、って言われんだよ。……ま、あの娘に関しちゃ、俺も同意見 だけどな。可愛いじゃん」
「だらしがねぇのは、兄貴の方だろ。あー、兄貴にゃ言われたくねぇ……」
 ワザとらしく天を仰ぎ、慎二は額を押さえた。
 そんな下らないやりとりと交わしながら、兄弟は集団に向かって歩いて行った。



第二話へ
蔵書室へ戻る
目次へ戻る