第四話
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「……ところで、時間、間に合うの?」
暗くなり始めた街並みを見渡しながら慎二が問うと、誠一はのんびりとした仕草で銀の時計を
ポケットから引き出して目をやり、妙に落ち着き払った態度で首を捻った。
「いや?」
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫。ウチは遅刻当然だから。最低三十分、ってとこかな。けけ」
ワザとらしい妙な笑い声を上げた誠一は、ふと通り過ぎた路地の奥に目をやって、二歩後戻り
した。
「お?」
それにつられた慎二が同じように二歩戻り、同じように路地を覗き込むと、奥の方で不穏な
気配が揺れているのが見て取れた。
「ありゃ。あれ、昨夜の娘じゃないか?」
その誠一の言葉通り、数人の男に囲まれて立ち往生しているのは、昨夜ろくでなしの集団
に絡まれていたあの欧米人の女だった。
彼女の後ろのアスファルトには、スーツ姿の若いサラリーマンらしき男が伸びていて、どうやら
彼女はその前に立ち塞がって庇っているように見える。
「はぁ、昨日の今日でこれかい。よっぽど巻き込まれやすいんだな……」
慎二が呆れたように呟いて路地に足を踏み入れようとするのを見て、誠一はその背にのんびりと
声を掛けた。
「彼女、男連れじゃん。期待できねぇよ」
「バカ。んなつもりはねぇよ。兄貴じゃあるまいし」
呆れ果てたような慎二の返事に、誠一は肩を竦めて首を振った。
「やれやれ。お前も物好きだね。……しょーがない。正義の騎士サマ役はお前に譲ってやるよ。
残念ながら、俺サマは仕事で時間が無い。んじゃ、頑張れよ」
意味ありげにニヤつきながら立ち去る誠一の表情が言っていることを無視して、慎二は暗い
路地に足を踏み入れた。
入ってきた慎二に最初に気付いたのは、一番奥にいる欧米人の女だった。その女の視線
と表情の変化に気付いた四人の男達が一斉に振り返る。
「おいおい、四人がかりで口説き落とそうったって、無理じゃねぇの?」
慎二が兄そっくりの仕草で肩を竦めてそう言うのと、女が血相を変えて叫ぶのは同時だった。
「逃げて!」
「?!」
一番手前にいた男が鋭く右手を振り上げた。強烈な害意に思わず身体を退いた慎二の鼻先
を鋼色の何かが通り抜ける。
――ナイフ?
しかし、慎二は相手が刃物を持っていることよりも、四人の男たちの表情の方に恐怖を覚えた。
四人の男の顔には、そういった荒事につきものの荒々しい気配は微塵も無く、冷酷とも言える
程落ち着いている。
目の前の男の手に握られているのは、ナイフと言うには大振り過ぎた。アンティークショップ
ででも売っていそうな、刃渡り三十センチほどもある古めかしい刀剣である。切れ味はすこぶる
悪そうだ。
「早く逃げなさい!」
女がもう一度叫んだ」
「それで、あんたはどうすんだよっ!」
慎二は怒鳴り返し、一拍の間も置かずに目の前の男に殴りかかった。ためらっているヒマは
ない。流れるような動作で、顔面に一発と胸板に二発拳を叩き込み、壁を背にして身構える。
殴られた男は刀剣を取り落とし、鼻血で顔を染めてよろよろとあとずさった。
別の一人が、同じような無感情とも言える顔付きのまま、右腕を振り上げて襲い掛かってくる。
そいつが握っているのは、鉈のように見えた。
頭を狙った横殴りのその一撃を、身体を沈めてかわす。背後の壁と鋼が打ち合って、耳障り
な音を立てた。慎二はそのままアスファルトを蹴って、鉈を持った男に身体ごとぶつかった。
力任せにその男の身体を反対側の壁に叩きつけ、怯んだところをまるで投げ捨てるように脇
へ突き飛ばし、入れ替わるように再び壁を背に回す。
それを見て、一番奥にいた男が前へ進み出た。
「小僧。それ以上続けるなら、死ぬことになるぞ」
淡々とした声だった。
ごく目立たない、どこにでもいそうな男だった。年の頃は二十から三十。ブラックデニムの
シャツに、薄汚れたジーンズ姿。ただし、だらりと下げた右手には、1メートル半ほどの長さの
鉄パイプが握られている。先を平らに潰して斜めに切り落とし、切っ先を鋭く研ぎ上げている
あたり、まともな神経の持ち主ではない。
手製の鉄槍を無造作に上げ、切っ先を慎二の方に向けて男は続けた。
「今すぐ立ち去り、この一件を忘れるなら、命だけは助けてやろう。……帰れ」
男が語るその間に、壁に叩き付けられた男がふらつきながらも立ち上がり、顔を鮮血で染め
た男は落とした刀剣を拾い上げた。
慎二は行動を起こす機会を伺いながら、緊張に強張った笑みを浮かべて尋ねた。
「……俺がこのまま帰ったら、その娘をどうする気だ?」
「始末する」
半ば予想していたとは言え、余りにも率直に返ってきた返事に、慎二はぞっとしたが、表情に
は出さなかった。
――やっぱり、まともじゃねぇ。
「……それを聞いちゃ、尚更帰れねぇな」
「ほぅ」
鉄槍を持った男の顔に、初めて感情らしきものが浮かんだ。それは慎二に対する微かな興味
のように見えた。彼は慎二から目をそらさないまま、後ろに居る女に向かって声を掛けた。
「……人の死で、己が身を汚すか? 所詮、堕天した者の末路など、そのようなものだ」
そして槍を突きつけている右腕を下ろし、慎二に向かって微かに口元を緩めた。
「今は見逃す。次に我々の邪魔をすれば、その時は命は無いものと思え」
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