第五話
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 悪霊祓いをやれ、だって?
 確かに緋ヶ崎の『先生』は、除霊や慰霊などというオカルトめいた仕事も引き受けてはいた。しかし、緋ヶ崎自身の方は探偵業を開始するに当たって、その手の看板を掲げたつもりはない。それで無くとも、緋ヶ崎の身長192cm 体重112kgの体躯を見てそんな依頼を持ち込む人間がいるとは、到底考えられなかった。少なくとも今この瞬間までは。
 まさか、そんな人間が実際に現れようとは。
 緋ヶ崎は心の中でひっそりと嘆息して、愛想笑いと苦笑いの入り混じったような表情を浮かべて言った。
「……俺、一応探偵っすよ? 専門の拝み屋か寺か神社か教会にでも頼まれた方が、いいんじゃ……」
 しかし、伊部は少しも動じなかった。
「なに、あの先生の下にいたのなら、経験ぐらいあるだろう」
 助手と言うぐらいなのだから、確かにそういった仕事に居合わせたことはあるが、未だに『先生』のやり方はちんぷんかんぷんで、お世辞にも『お祓い』ができるとは言えなかった。だから、緋ヶ崎は引き攣った苦笑いを浮かべ たまま、言葉を濁す以外なかった。
「……いや、そりゃ何度かは、ありますけど……」
「では、決まりだな。よろしく頼むぞ」
 伊部はそう言って満足そうに笑った。何が何でもこの依頼を緋ヶ崎に引き受けさせるつもりなのは、その表情や言い回しから明らかだった。
「あのですね……」
 強引な伊部に、緋ヶ崎は異議を申し立てようとしたが、その表情の奥にしっかりと見える頑固さ加減には何を言っても通じないのは判りきっていた。こんな時、自分の、人の本質を見抜く目が恨めしくなる。
「……判りました」
 緋ヶ崎は溜息混じりに伊部の言葉を承諾した。
「ただ、あまり期待しないで下さいよ? 最善は尽くしますが、見ての通り俺は事を穏便に済ませるのが、得意じゃないんですからね?」

 伊部の屋敷を出ると、さっき降っていた雨は霧雨になっていた。濡れた緑の濃い匂いが鼻をつく。
 門扉の外で、淡い紫色の傘を差した女性が一人立っていた。年齢は16、7の、野生の鹿のような躍動感を秘めた少女だ。ショートカットの黒髪に、白いハーフコート姿。すらりと伸びた両足は、この雨の中では肌寒そうに見え た。
 少女は出てきた緋ヶ崎に目を留めると微かに頭を下げ、意を決したように近付いてきた。
「あの。探偵事務所の方ですよね」
「ええ、そうですが」
 少女の言葉と表情と態度に、何か特別な要件を感じ取った緋ヶ崎は、慎重に言葉を選んでそう応えた。
 少女は緋ヶ崎の返事を聞いてもう一度頭を下げ、軽く深呼吸をしてこう切り出した。
「祖父の依頼、お受けになったと思いますが、あまり真面目に受け取らないで下さい。祖父はあの通り迷信深く、ありもしない幽霊話を真に受けています」
 少女はそこまで言って一端言葉を切り、言葉を捜して言い淀んだ。緋ヶ崎は何も言わずにそっとその先を待っていた。少女は言葉を見つけたらしく、再び口を開いた。
「ただ、私達は祖父の言葉を頭ごなしに否定したら可哀想だと思って……。だから、適当にそれっぽいことをやって、祖父を安心させてあげて下さい。ごめんなさい、探偵さん。祖父の我儘に付き合っていただくような形になってしまいました」
 彼女は三度頭を下げた。そして、思い出したように慌てて彼女は付け加えた。
「あ、私、伊部秀次郎の孫の伊部瑞穂(みずほ)です。祖父が理事長をやってる学園に通ってますから、もしかしたら、学園でも会うかもしれませんね。それじゃ」
 くるりと身を翻して勝手口の方へ姿を消した瑞穂を見送りながら、緋ヶ崎は嘆息した。
 どうやら、面倒な仕事になりそうだった。伊部は悪霊と信じて疑わないが、伊部の家族は誰一人として悪霊など信じていないらしい。その両方を納得させることなど、果たしてできるのだろうか?



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