第六話
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翌日、『耐震調査』などという、当人にとってはちんぷんかんぷんな名目で伊部老人が理事長を務める学園を訪れた緋ヶ崎は、読んでも意味の良く判らない書類を留めたクリップボードで顔を扇ぎながら、放課後の校舎を歩いていた。
校庭から聞こえてくる部活動の声や、教室に残って下らないお喋りに興じる生徒達の姿。
既に学校生活とは無縁となった者に特有の、妙な居心地の悪さと疎外感を味わいながら彼は、体裁を整える為に時折コンクリートの柱を叩いてみたり、顔を近付けたりしていた。
無論、その行為がそれっぽく見えるかどうかなど、彼には判っていない。
学園中を歩き回って、伊部老人の言う『悪霊』とやらを探し出さねばならないのだが、そもそも『悪霊』などというものが、陽の落ちる前からうろつき回るものだろうか? それ以前に、『悪霊』とは目に見えるものなんだろうか?
運良く(或いは運悪く)その『悪霊』なるものを見つけたとして、何か手を施すことが果たして彼に出来るのだろうか? そして最も気がかりなのは、『悪霊』なるものを見つけることが出来ず、従って処置をすることも出来なかったら、どうするべきか、だ。あのクソジジイが、「何もありませんでした」の一言で納得する訳がない。
山積する諸問題に緋ヶ崎は嘆息して、手に持ったクリップボードで自分の頭を小突いた。
「……何でこんな仕事引き受けちまったんだ、俺?」
その時、
「あの……」
おずおずとした声が彼の背に投げかけられた。頭の片隅でその声に聞き憶えがあるな、と思いながら、彼は思わず背筋を伸ばして振り返る。漏らしたボヤキを聞き咎められた、というまるでイタズラを見つけられた子供の様な面持ちで声の主を確かめると、そこに立っていたのは制服姿の見覚えのある女の子だった。
「ええっと、瑞穂さん……でしたっけ」
記憶の中を探って、緋ヶ崎がその女の子の名前を引っ張り出すと、彼女は何となく嬉しそうな顔をした。
「はい。憶えていて戴けたんですね」
瑞穂の言葉に緋ヶ崎は、思わず自分が探偵であることを指摘しようとしたが、止めておいた。物憶えが悪くては探偵なぞ務まりはしないが、自分はずば抜けて記憶力がいい方でもない。特に、一度『特に重要でもない人物』と決めた相手の名前など、片っ端から忘れてしまうのだ。下手な探偵根性を見せたが最後、いつかきっと自分の首を締める事になるだろう。
「ま、昨日の今日ですから」
緋ヶ崎は当り障りの無い返事をして、後は黙って笑っておくことにした。
「あ、やだ。そう言えばそうですね」
瑞穂は微かに顔を赤らめて笑い、まるで話を逸らすように再び話し出した。
「祖父の……、どうなりました?」
「皆目」
緋ヶ崎は笑ったまま、さらっと一言で応えた。こう言う時の彼の台詞は、図々しくもふてぶてしくも無く、あっけらかんとしている。この物言いに激怒する者も居れば、好感を持つ者も居るが、自分の至らない部分をこうやって無
造作に曝け出してしまう彼は、異性の保護欲を駆り立てるらしく、女性にはかなり評判が高かった。
瑞穂と緋ヶ崎は顔を見合わせて笑い声を上げた。
「面白い人なんですね、探……、ええと緋ヶ崎さんって」
探偵さん、と言いかけて瑞穂は口をつぐみ、言い直した。緋ヶ崎は笑みを表情に残したまま、まるで世間話の様に切り出した。
「良く言われるよ、変わり者だって。だから、こんな真昼間から、幽霊だかお化けだか、探させられてるんだろうな。……で、君は信じてるワケ? その理事長の言う『悪霊』ってヤツをさ」
理事長の話をした途端、瑞穂は冗談めかして鼻の頭に皺を寄せた。そんな表情でさえ、可愛らしさを感じさせるのは、若さゆえか、瑞穂の元々の器量か。緋ヶ崎は無意識の内に瑞穂の顔を値踏みして前者に末梢線を引いた。
瑞穂は、緋ヶ崎の極めて男本位の鑑識に気付かず、小首を傾げて口を開いた。
「学校の怪談みたいのは、この学園にだって勿論ありますよ。けど、信じるとか信じないとかじゃなくって、何て言うか、話題として楽しんでるだけで……」
「ああ、解る解る」
緋ヶ崎は相づちを打った。どんな学校にも七不思議のようなものは伝わっている。大概、最後の七番目の不思議はその内容が不明だったり、『全部嘘』と言う内容だったりするものだ。
瑞穂が緋ヶ崎の同意を得て、嬉しそうに更にその先を続けようとしたとき、廊下の先から瑞穂を呼ぶ声が響いてきた。
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