第十三話
目次へ戻る



 この、緋ヶ崎の『悪霊話を煽り立て話が大事になるのを防ぐ為、何もかも黙っている』と言う方針は、見事に裏切られた。
 翌日の早朝、何やら興奮気味の伊部からの電話を受け取った瞬間、緋ヶ崎はひっそりと天を仰いで嘆息した。伊部の頭には、既に『悪霊』が実在のモノとして住み着いてしまったに違いない。恐らく、瑞穂が昨夜の経験を打ち明けたのであろう。事実、その予想は的中していた。
「夕べ、出たそうではないか。瑞穂はすっかり学園に行くのを怖がって、今日は休んでおる」
 それ見たことか、とでも言いた気な伊部の表情と口調に、対面する前から辟易していた緋ヶ崎は、予想通りの顔付きと言葉で出迎えられて、うんざりした表情を隠しきることができなかった。伊部は、緋ヶ崎のその表情を見て取りつつも完璧に無視して話を続けた。
「とにかく、悪霊が見つかったのだから、早急に手を打ってくれ」
「お孫さんには、説明したはずですよ? 夕べ会ったのは泥棒か何かだ、って」
 微かに苦い顔をして緋ヶ崎がそう言うと、伊部はもじゃもじゃの眉毛を不機嫌そうに動かした。
「では、その泥棒とやらを捕まえて来たまえ」
「……んなの、できる訳ないじゃないすか。同じ所に二度も入る泥棒なんて、いませんよ」
 緋ヶ崎のふて腐れ気味の反論を聞いた伊部は微かに口元を緩めた。その微かな笑みを見て、緋ヶ崎は自分が過ちを犯した事を悟ったが、もう手遅れだった。
「では、もう一度学園に行って、確かめてくるんだ。二度と現れなければ、君の言うとおり泥棒だったのだろう。だが、もう一度現れるのなら、それは悪霊ということだ」
「んな、無茶苦茶な!」
 横暴だ。と言うよりも、ハメられたに近い。このままでは、延々と悪霊が出るまで学園に拘束されるようなものだ。そんなのは真っ平ごめんだ。緋ヶ崎は抗議の声を上げたが、伊部がそれを聞く筈もないことは、既に判りきってい た。
 どんなに理不尽なものでも、依頼人の依頼なのだ。少なくとも、『悪霊祓い』を一度引き受けたからには、『悪霊』の不在を証明しない限り、拒絶するわけにはいかなかった。仕事を途中で放棄するなど、とんでもない。今後の信用問題にまで発展したら大事だ。伊部はそれが判っているに違いない。判っているからこそ、こんな風に話を運んだのだ。
 このクソジジイ。
 とても声には出せず、心の中で緋ヶ崎がそう呟くと、伊部はまるでその呟きが聞こえたかのように笑みを浮かべて見せた。
「伊達に歳を重ねてはいないよ」
 このクソジジイ。
 緋ヶ崎はもう一度心の中で唸り声を上げた。そして、もはや表情を取り繕うことも忘れて、恨めしげな顔で伊部の顔に目をやった。伊部はただ笑っているだけだった。緋ヶ崎は伊部のその笑みから視線を外し、大きな溜息を長く長く吐いた後、軽く深呼吸をして気を取り直し、顔を上げた。
「……判りました……。繰り返して言いますけどね、伊部さん」
 緋ヶ崎は諦めたような口調で言った。
「俺は事を穏便に済ませるのが苦手なんですからね? 何があっても知りませんよ?」
 こうなっては、何が何でも『悪霊』とやらを始末して見せなければならない。さもなければ、伊部の我儘に永遠に付き合わされるハメになる。そんな趣味は毛頭ないし、永遠に続く忍耐力など持ち合わせていない。
 第一、そろそろこの仕事にも飽きてきたところだった。
 ――老人のお守はもう沢山だ。



第十四話へ
蔵書室へ戻る
目次へ戻る