アトランタ1996年夏のページ(1)

暑い夏の、始まり、始まり


1996年夏、アトランタは、盛り上がっていました。世界中からの熱い注目を浴びて、街のあちこちで、新しいこと、新鮮なことが起きる予感がしていたと言っても、過言ではないでしょう。そんなオリンピックに、我がジョージア工科大学のキャンパス全体が「選手村」として使われることになりました。
小生はキャンパスのアパートに住んでいましたが、当然、選手のために引っ越さなくてはいけません。当時、観光客を当て込んで、多くのアパートがぼったくるようになり、結局私たちはキャンパスから45マイル(約75キロ)離れた静かな田舎町、カミング(Cumming)に「離れ」を借り受けることが出来ました。それでも小生は大学での実験を続けるために、毎日約2時間の通学を敢行しましたぁ(バス-電車-バス-車)!

大学の南側を走る、テック・パークウェイを見た所です。この道は、選手が各会場へ行くための連絡バスの乗り場として使われました。道に並んだ各国の国旗が見事です。

こちらは、キャンパス(彼らはそれを、選手村と呼んだ)の地図です。妻と小生は、地図の一番上、ピンク色の地域にあるアパートに住んでいました。
何処かの選手が、「この選手村は素晴らしい、まるで大学のキャンパスのようだ」と言ったそうです。そうです、彼は鋭い。ここはキャンパスなのですよ。

さて、キャンパスの周りには鉄条網が張られ、あちこちにチェックポイントが設けられました。こちとら、図書館に行くにも、特別のIDを申請せねばならず、おまけに空港顔負けのX線検査機も通らされることになりました。(後方で通りを通せんぼしているのが、チェックポイント)なお、右側の大きなテントは、サマランチも喜んだ「ゲームセンター」です。これにはなかなか学生が潜り込むことは、出来ませんでした・・・。

こちら、学生センターの横には、かわいいオリンピックのシンボルが作られました。さりげなく、このシンボルは、大会終了後も、秋口まで見られました。

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