Places in the Dark

Part9 春歌 拳の砕ける音

2003/06/01

 前作の理不尽としか言いようのない暴力の嵐はすっかり影を潜めたように見えるが、彼女が生得している獣の本能がそう簡単に失われるようなものなのだろうか。僕の想像だけど、以前に書いたとおり、春歌はドン・コルレオーネが生み出した「暴力の元の秩序」をこの町に作り出しているのではなかろうか。一週間もあれば町を支配するギャングスターになりあがることができる、とはジョジョ第五部でも証明されている事実。その春歌に喧嘩を売る柿ノ本とかいう小娘が出てくるらしいが、どうなりますやら。

 ドイツの祖母に何か贈り物をしたいので、つきましてはベティーズにお付き合いいただけませんでしょうか、と春歌からメール。ドイツの祖母というと、春歌に非常に偏った日本観を植えつけた諸悪の根源だな。正しい日本の姿を知らしめるような贈り物を見繕わねばなるまい、と僕は決意を固め、ベティーズに向かった。
 とはいえ、だ。日本文化を象徴するような物品を贈ったらそれは逆効果ではないのか、と商品を見ながら思った。日本文化独特の物品、たとえば河童の置物を贈ってみたとしよう。そうすれば祖母が「日本にはこのようなものがあふれているのか」と信じ込むに違いない。それは第二第三の春歌を生むだけだ。ムムム。春歌となんだかんだと相談した結果、オルゴールを贈るというあまり面白みのない結論に落ち着いた。あまりにも芸がないので、曲はこっそりゴッドファーザー愛のテーマにすりかえておいた。

 二人でサイクリングに行こう、という話になる。当日自転車で春歌の家に向かったのだが、何故か向こうから春歌が道着姿で歩いてやってきた。なんでも自転車が故障したとのこと。えーと、春歌、自転車のチェーンが袴を巻き込んだんだと思うよ。というか袴はいて自転車に乗るという発想がさっぱり理解できぬ。多分「ヤマテンナデシケンは袴はいて自転車に乗るのだ」という誤った知識を祖母から叩き込まれたのだろう。ま、結局のところ二人乗りでサイクリングに行こうという話になり、春歌に背中にぴったりと張り付かれることになったので結果オーライだったわけだが。

 梨狩りに行こうという話になる。ドイツにいた頃から日本の梨を食べてはまだ見ぬ兄の姿を想像してたんですと。梨園に行ってみると、たわわに実った梨の木が列を成していた。「これならたくさん取っても、他の方々のご迷惑にはなりませんわ」と春歌は手近な梨の木にいきなり鉄山靠をかました。何をするだァーッ! 春歌を止めようとすると、「崩拳のほうが効率よく落とせるでしょうか?」と聞き返してきた。そんな問題じゃねえってえの! 鉄山靠も崩拳も北斗百烈拳もダメ!
 といったアクシデントはさておき、梨はうまかった。それだけが救いだ。

2003/06/02

 合気道の稽古に付き合う。すると道場で柿ノ本とかいう小娘が春歌に突っかかってきた。「あなたの腕前、試して差し上げますわ!」といきなり構えをとる。そんな春歌を怒らせるような態度を取るんじゃあないッ! 君三秒でミンチ肉にされるぞ!? 惨劇を回避すべく僕が割り込んで「えーと、稽古なんだし、稽古をする姿勢で勝負をつけたほうがいいんじゃないかな」と提案してみたが、柿ノ本は僕をにらむばかりで聞く耳持たない。イヤだから君の身を心配してるんだって! なんという向こう見ずな奴。その年で人生を投げてかかることもあるまいに、と本気で思った。結局のところ、柿ノ本が適当なところで引いたこともあって、幸い春歌の殺人空手が振るわれることはなかった。兄としてこれほどうれしいことはない。

 明日の和裁の稽古に柿ノ本さんがくるので同行いただけないでしょうか、というメール。行かなきゃ! さもなくば、春歌が怒って柿ノ本を手にかけようとしたとき誰が止めるというんだ。鋏とか針とか糸とか、武器だらけじゃねえか。生け花の剣山で人を殴ったことのある春歌のことだ、何をしでかすかわかったものではない。兄の義務として、稽古場に同行した。
 案の定というかなんというか、柿ノ本は「早縫いで勝負よ!」と挑戦状を叩きつけてきた。稽古事に勝負を持ち込むだなんてなんとくだらないことを、と春歌は口先では言っていたが、いざ針と布を持つと狂ったような勢いで縫い始めた。しかもミシンのような正確さだ。ミシン、ミシン、ミシンのミ〜は〜みんなのミ〜、とか歌っている間に縫い終えてしまった。やってくれる。一方柿ノ本はというと針で指を刺すし縫うのは遅いし仕上がりは雑巾みたいだしといいことなし。あまりのダメさに居残りまでさせられていた。さすがの春歌も、このときばかりは同情の目を向けていた。どうやら互角に組する相手にあらず、と判断した模様。この調子なら殺人空手がうなる恐れはあるまい。柿ノ本がヘタレで本当に良かった。

 たまたま通りかかると、春歌が庭で朝顔に水をやっているのが見えた。夏の太陽が出てる間に水やったら植物が焼けちまうだろうが、と思ったのだが、ただ注意するのもつまらない。花のほうに集中しているみたいだしいっちょ驚かせてやろうか、とこっそり近づいて「はーるか!」と大声で叫んでみた。
 次の瞬間、寸止めの拳が僕の鼻先にあった。危うく漏らしてしまうところだった。すんでのところで止めたがね。しかし春歌は「大変ですわ。こんなに濡れて!」と僕の服を脱がしにかかった。キャー! やめてー! つうかここ外だし! 春歌を必死に説得し、僕はやっとのことで逃げ帰った。後先を考えなかった僕が悪かったのだろうな。はあ……

 明日のお茶の稽古に同行いただけないでしょうか、というメール。行かなきゃ! さもなくば、春歌が怒って柿ノ本を手にかけようとしたとき誰が止めるというんだ。武器とおぼしきものはお茶の稽古には存在しないはずだが春歌のことだ、茶筅とか器とかを誰も想像もつかない方法で凶器に仕立て上げるに違いない。というか春歌の存在自体が凶器だよな。兄の義務として同行することにした。
 案の定、柿ノ本はいた。春歌のお手前を殺人的な眼光でにらんでいたが、そのおかげで自分の器の中身をこぼして師範に怒られていた。プププ。ここまでくると哀れとしか言いようがない。

2003/06/03

 明日の生け花の稽古に同行いただけないでしょうか、というメール。行かなきゃ! さもなくば、春歌が怒って柿ノ本を手にかけようとしたとき誰が止めるというんだ。なんといっても春先に春歌が暴行事件を起こした場所である。兄の義務として同行することにした。いざとなったら、彼女が振るう剣山をこの身に受ける覚悟である。「針がッ! 針が顔中に!」と叫ぶ羽目にはなりたくないものだが、人様を傷つけるよりはよほどいい。
 稽古場で出会った柿ノ本は、今日は妙におとなしかった。なんか妙だ。座布団の下に剣山を仕込んでいるとかそういう陰湿な手で来るんだろうか、とも思ったが特にどうということもなく、平穏無事に稽古は終わった。とうとう柿ノ本、春歌にちょっかいを出すことの愚に気がついたようだ。よかったよかった。彼女のきれいな顔が拳で砕かれるようなことは、もうないだろう。そんなとこ見たくないものね。

 明日の弓道の稽古に同行いただけないでしょうか、というメール。行かなきゃ! さもなくば、春歌が怒って柿ノ本を手にかけようとしたとき誰が止めるというんだ。いやさすがに柿ノ本はもう春歌の敵ではないか。いやしかし、いつ第二第三の柿ノ本が現れるか知れたものではない。春歌を倒してこの町の新たなるゴッドファーザーになりあがろうとする人間は、いるはずだ。だが春歌には親衛隊もいなければチョコラータ&セッコもいない。僕がドッピオの役を務めるしかあるまい。
 弓道場に、柿ノ本は現れなかった。この間の帰り道、雨が降ってきたので春歌に傘を貸してもらうという屈辱を与えられたので、とうとう再起不能になったのか。

 宿題を片付けるべ、と図書館に行ったら春歌と会った。春歌はすでに宿題を終え、適当に読む本を見繕いにきたのだという。チッ。というわけでちょっと勉強を見てもらうことにした。妹に勉強を教わるとは兄として内心忸怩たるものがあるが、背に腹は変えられない。
 勉強を開始してしばらくした頃、近くでガキどもが騒ぐ声が耳に入ってきた。うるさいがお子様だし、こっちが注意したところで聞く耳持たないだろう、さっさとどっか行ってくれねーかなーなどと思っていると、それを察した春歌がギロリと殺人的な眼光でガキどもを刺した。
 途端、ガキどもはぴたりと口を閉じ、弾かれるようにその場を去っていった。あとに残ったのは耳が痛くなるような静寂だけだった。春歌さん、その年で支配者としての貫禄十分ですね。

 明日の礼儀作法の稽古に同行いただけないでしょうか、というメール。行かなきゃ! さもなくば、――いや、もうよそう。春歌はもう今までの理不尽な暴力を振るう春歌ではない。いうなれば春歌2。ドイツ語風にいうなら春歌ツヴァイなのだ。それはともかく、稽古にはついていくことにした。
 稽古はごく普通に終わり、その後柿ノ本が春歌の前に現れた。どうなることかと思ったが、柿ノ本さん、今までの前非を悔い春歌に頭を下げるではないか。あらら。柿崎みたいに「おまえたち兄妹を地獄に叩き込んでやるっ!」とかいう勢いで最後の戦いを挑むような展開を期待してたのに。「これは合気道の分! これは和裁の分! これはお茶の分! これは生け花の分! この、この怨みっ、この悲しみっ、この怒りっ、思い知れ――っ!」てな感じで。ま、柿崎同様ボコボコにされるのがオチだろうけど。

2003/06/07

 旅行の準備をしよう、と一緒にベティーズに行った。ふと春歌サンが「こちらの下着などはいかがでしょうか」と聞いてきた。彼女の指差す先にはふんどしがあった。以前ベティーズではダチョウの卵が売られているのを発見して大いにビビッたものだが、まさかふんどしまで置いてるだなんて! あーでも実際にはいている老人もいるらしいしなあ。しかし僕は若いのでノーだ。そもそもはいたことねえし。しかし春歌は「きっとお似合いだと思うのですけれど」と言って譲らない。是非とも遠慮したいところであるが、春歌は履かせる気満々だ。あの目は多分腕力に訴えてでも僕にふんどしを買わせる気だぞ。妹に力ずくでふんどしをはかされた日には一生消えないトラウマになるだろう。ならば自分から、と春歌の言いなりになってふんどしを買うことにした。情けなくて涙が出てきた。

 旅行当日。春歌はいきなり「この旅行は新婚旅行の予行演習」と言い切った。俺は今まで……十二人の妹の中で一番妄想が激しいのは白雪だと思っていた……だが春歌はさらに悪化している! この俺がこいつに好き放題させたら……こいつは暴走するッ! とブチャラティ風に思ったが後の祭りだ。というか春歌さんは春先から暴走しっぱなしだ。

 和風旅館の広い座敷の部屋に、僕たちは落ち着いた。昼間海で散々遊んだおかげで、飯を食べた途端パタンキューと寝てしまったのだが、ふと夜中に目が覚めるとなにやら妙な物音がする。座敷だけに座敷わらしかと反射的に思ったが、ここは金田一温泉ではないので多分違う。幽霊! まさか春歌、今度は幽霊に喧嘩売りに行ったのか!? 実際のところ、僕を脅かす存在であれば春歌は幽霊だろうが悪魔だろうが殺人空手を振るうことをためらわないだろう。そして撃退してしまうに違いないのだ。春歌を探し、止めるために僕は布団から這い出た。幽霊にたたられるような真似をしたら、いくら春歌でも許さないからな!

 結局のところ、物音の正体は春歌がすすり泣く声だった。聞けば、ドイツの祖母が病に倒れたため帰らねばならないのだが、いつ日本に戻ってこられるかわからない。いち早くドイツに帰りたいが、兄君さまと別れるのはつらい、と思い悩んでいるのだという。う〜ん。この間贈ってあげたゴッドファーザーのオルゴールに興味を抱いて映画を見たら、暴力シーン連発で発作でも起こしたんだろうか。そういえば「日本のサシミも食ってみたいだろう」とあとから奮発して魚も贈ってあげたんだっけ。シシリアの古い挨拶で、「宛名の人間は今、海の底にいる」という意味だ。ちょっと演出が過ぎたかな?
 一晩考え、僕は結論を出した。春歌はドイツに行くべきだ。ただし、僕もドイツについていって祖母の看病をする。日本を離れねばならないのはつらいが、春歌のためだ。できるだけ春歌が早く日本に戻ってこられるよう、最大限の努力をしよう。こっそりチューブをはずすとか、こっそりベッドそばの機械のなんかのつまみをひねって目盛りを0に合わせるとか、より直接的に濡れタオルを顔にかぶせてやるとか。実際のところ、春歌をこのようなトンチキ少女にしてしまった祖母は、日独の相互理解を進める上での障害だと思う。

 義妹エンド。前作の半分狂ってるとしか思えない暴力はどこに行っちまったんだよ春歌さん。老若男女人畜問わず閃光のようなストレートをかます君が好きだったのに。柿ノ本を叩きのめすイベントが見たかった。そのかわり妄想のほうが激しくなっているようで、まるで数年来の許婚同士のごとき立ち振る舞い。しかしふんどしはないだろう。
 次は雛子。

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