カツオは自宅の物置小屋の前にいた。磯野家に今人はいない。フネもサザエも外に出かけている時間帯を選んで忍び込んだのだ。
懐かしい思い出がカツオの脳裏によぎった。昔は、何か悪戯をしでかすと、波平に一発殴られ、この物置に閉じこめられたものだ。大泣きして「出して〜」と懇願したこともあったものだ。だが、いい加減何度も入れられると慣れてしまい、「あと2時間くらい待っていれば出してくれるかな」という予想を立てる余裕も出てくる。ある日、あまりに暇だったので物置の中を徹底捜索したことがある。Hな本が隠されていることを期待して。残念なことに、見つかったのは古い新聞と週刊誌だけだった。そして、床の上げ蓋。持ち上げようとしても、当時の幼いカツオの腕力では開けることができなかった。晩、夕食後にその話をすると、両親は急に口をつぐみ、そんなことは忘れなさい、と言った。その日以降、カツオが小屋に閉じこめられることは2度と無かった。
当時は、その上げ蓋の下にはHな本が隠されているものと思っていた。両親の態度から察するに。だが、磯野家の秘密を知った今、カツオには、幼き日の自分の想像は間違っていた事が解っている。何か、磯野家の秘密に関する何かが隠されている。そう直感していた。
小屋の中に足を踏み入れる。果たして、上げ蓋はあった。小屋の中だけが、あの日以来時間が止まっているかのようだった。蓋を持ち上げて、中をのぞき込む。小さな部屋のようだった。個室トイレくらいの広さだろうか。慎重に降りて、中をライトで照らしてみると、コンソールが丸い光の中に浮かび上がった。四角いボタンにはB1、B666、開、閉の表示。B666を押すと、エレベータは音もなく地下の闇へと沈んでいった。 B666に降り立った。はじめ、狭い通路がまっすぐ続いているように思えた。が、ライトで照らし出すとそれが間違いであることがわかった。いかにも通路ではあるが、左右にあるのは壁ではなく、鉄格子だった。警察の留置所のごとく、檻が並んでいるのだ。冷たい汗が背中を流れるのをカツオは感じた。11年磯野家で生活しておきながら、こんな場所があるのを知らなかったなんて!
はっとして耳をそばだてる。小さな音が聞こえたように思ったのだ。低く、波打つような、すすり泣くような、人の声。一番奥右手の檻から発せられているようだ。ライトで檻の中を照らし出す。
「…………!」
人がいた。ボロボロの下着を着て、四つん這いで泣いている男。微妙なカールのかかった黒い髪、ぼさぼさと生えた髭。
カツオはその姿に見覚えがあった。
「……浜さん!? 隣の浜さんじゃないか!? しばらく前に引っ越したと思っていたのに! 浜さん、どうしてこんなところにいるんです!?」
しかし、浜はカツオの呼びかけに全く答えず、ただ泣き続けていた。ある時は大きく、ある時は小さく、泣き声を漏らす。埒が開かない、とカツオは感じた。
「浜さんを助け出すのはあとだ。今はここを調べる必要がある」
突き当たりに、ドア。カツオは静かにそれを押し開けた。
今度は長方形の部屋だった。左右に人一人が入りそうなカプセルが立てかけられていて、それが奥へと続いている。向こう側の壁は暗がりになっていて見えない。注意深く歩を進め、カプセルの一つ一つをチェックする。ガラス張りになっているので中身は見えるが、しかしカラッポである。初めて中身入りカプセルを発見したのは、部屋も半ばに到達した頃だった。ガラスの表面を手で拭い、のぞき込む。目を閉じた顔が見えた。毎朝、鏡を覗き込むときに見る、見慣れた顔。
「……僕だ。これはどういうことだ……」
「それは君が次に入るべき肉体さ」
声は入ってきたドアからやってきた。よく聞き知る声に振り向くと、そこには人影が2つ。
「中島! それにワカメ!?」
「お兄ちゃん、とうとうここに来ちゃったんだね。世の中には知らない方がいいこともあるのに」
「……どういうことだ」
「ここは永劫輪廻を達成するための工場なのさ。奥のカプセルを見てごらん」
ライトを奥へ向ける。並んだカプセルの中身が浮かび上がった。マスオ、サザエ、フネ、波平……磯野家の一族の肉体が順番に並んでいた。
「S細胞にも限界はあるのさ」中島が説明する。「永遠に同一年齢を保つ肉体も、長い年月のうちにはすり切れてダメになってしまう。だから、あらかじめ次の肉体を作っておいて、体にガタが来たときに精神を移し替えるのさ。どういうわけか声帯だけは完全なコピーが作れなくて、その時には声が変わっちゃうんだけど」
カツオは中島に真っ向から相対した。
「おまえも悪魔の手先か!」
中島の眼鏡が光った。
ぶいん。
反射的にカツオは飛び上がった。床が小さくえぐれる。着地してから、中島が目からビームを打ったことを理解する。
「今のはわざと外したんだよ。君にもしもの事があったら困るからね」
「なんだと!?」
「あの方は君に磯野家の当主になってもらいたいんだよ。そして永劫輪廻を文字通り永遠に続けるのさ。カツオ君、一緒に永久に生きていこうじゃないか。一生小学生のままなら、受験で頭を悩ませることも、就職で頭を悩ませることも、社会の風の冷たさを感じることも無いんだ。親に頼ってのんべんだらりとした生活を送っていこうじゃないか」
「……断る!」明快にカツオは断言した。「たしかに就職しなくていいってのは魅力的だけど……そんな生き方は間違っている!」
「ちょっと痛い目をみないと解らないようだね。ワカメ!」
ワカメのスカートと足の間にある白いもこもことした物が巨大化し始めていた。床につくほどの、曖昧模糊として名状しがたい物にその形を変える。瞬間、それは2本の触手となってカツオを襲った。
「なにっ!?」
不意をつかれて、カツオの体は触手にからめとられた。力を込め引きちぎろうとするものの、触手はゴムのごとく伸び縮みし、裂くことも抜け出すこともできない。
「少しくらい体に傷がつくのは仕方がない。我慢してくれよ」
中島の眼鏡が光った。
どるるるるるるるる
視界が全くなくなってしまったかのようにカツオは感じた。が、違った。無くなったのではなく、ふさがったのだ。イクラー陸のドリルによって。
「カツオちゃん! 大丈夫!?」
ウキエさんの声。カツオは回転するドリルに触手を当て、無理やり引きちぎった。ドリルの向こう側でワカメの絶叫。
「逃げるわよ! 早く乗って!」
「待ってくれ! イクラーロボでここを完全に破壊しなきゃ!」
「ダメよ! 事情はあとで話すから、早く乗って!」
切迫したウキエの口調。なにかがある、とカツオは直感し、黙ってイクラーロボに飛び乗った。即座にイクラーロボは退却していく。
「お兄ちゃんがあ〜、うあ〜んあんあん」
泣きじゃくるワカメを抱き起こしてやりながら、中島は一人ごちる。
「逃げたか。どうやら、ここに何がいるのか知っているみたいだな。好判断と誉めてやろうじゃないか」
部屋の一番奥の暗がりに、中島は目を向けた。
何かが鈍く邪悪な光を放った。
「あの場所に巨大なS反応が検知されたの」
病室の廊下を歩きながら、ウキエは言った。
カツオは目をぱちくりさせた。
「それは、つまり」
「ああ。あそこは敵の中枢部、ということだ」ノリスケが結論を述べる。「知らなかったとはいえ、君は敵陣のまっただ中に一人でつっこんでしまった、ってわけだ。君が助かったのは幸運以外の何物でもない」
カツオは下を向いて唇を噛んだ。
「でも、彼を助け出せたのはカツオ君のおかげだわ。あの人が生きていたなんて」
ウキエが病室のドアを開ける。
ノリスケは悲しげにため息をついた。
「このような状態を、生きている、というのかね」
浜はベッドの上で相変わらず泣いていた。常に布団の上に手を這わせ、むせんでいる。
「あああ……おおお……おああ……おお……」
「何かを探しているみたい」
ウキエが指摘する。
カツオはどこからともなく絵筆を取りだした。
「……ひょっとして」
筆を、カツオは浜に手渡した。
「あああ……ああ……あああ…………!」
明らかに、浜の泣き声が変わった。右手で筆をつかみ、震える手でゆっくり振り回す。
はじめは単に筆を振っているように見えた。が、その行為の真の意味を理解するのには少し時間がかかった。
カツオは顔を青ざめさせた。
「空中に絵を描いているんだ……!」
何年も闇の中に閉じこめられ、目も見えず耳も聞こえず、発狂してしまってまでなお、浜の芸術家の魂が、芸術を求め、絵を描いているのだ。
「これがあの偉大なる芸術家のなれの果てか」
ノリスケの言葉は暗く、絶望に満ちていた。ウキエはもはや言葉を語ることもできず、口に手を当て、ただ身を震わせるばかりだった。
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