第4話 集 結
| 食料を買うときにもウキエは細心の注意を払っていた。伊達眼鏡をかけて髪を下ろし、化粧は控えめ。全体的にもったりとした雰囲気を醸し出すようにしている。この世田谷のどこに敵が潜んでいるのか、全くわからないのだ。用心に越したことはない。 「……あっ」 揺らめく人の波の中で何かが光った。あれは磯野波平のハゲ頭ではないだろうか。山川商事のサラリーマンが、何故昼間に商店街を闊歩しているのだろう。疑問は猜疑心を刺激する。 ウキエは尾行してみることにした。 10メートルほどの距離を保って歩く。その後ろ姿は間違いなく磯野波平そのものである。右手にカバン、左手には普段かぶっている中折れ帽。しっかりした足取り。いまさらながら、波平がどのような仕事をしているのかまったく知らないということをウキエは感じた。そんな迷いとは無関係に、波平はするりと店と店の間の小道に分け入る。反射的にウキエは罠のにおいをかぎ取った。立ち止まって黙考する。波平に尾行を気づかれたのだろうか? 気づいたような素振りは見せていないはずだが。 たとえ罠でも、太陽が南天にあるこの時間なら敵も妙なことはできないはず、と考え、ウキエは波平を追い路地に踏み込んだ。そもそも、波平が敵であると決まったわけではない。 10メートルほど先にビールのケースが山積みされ、行き止まりになっていた。歩み寄ってみる。ウキエの遙か頭上まで綺麗に積み上がっていて、とても上れそうにない。 だが、波平の姿はどこにもない。どういうことなのだろう。いくら考えてみても答えは思いつかない。引き返そう、とビールケースに背を向ける。 商店街に降る日の光を背に、路地の出口を塞ぐ人影があった。 「久しぶりだね、ウキエ」 逆光の為はっきり姿が視認できなかったが、その一声で正体が知れた。 「じん六兄さん」 「ウキエ、イクラーロボに乗るのをやめてくれ」単刀直入だった。「世田谷の住人同志で争うなんてばかげている。一緒に仲良く生きていこうよ」 その言葉にウキエは兄の心情を感じ取った。じん六は、ただ妹の身を思い、心の底から言っている。 「でも」ウキエは憂いの眼差しで兄を見た。「私たちのありようが今のままでいいはずがないわ。成長することも学習することもなく、ただ漫然と生きていくだなんて。そんなの、間違ってる」 「どうしても……僕の言葉には従えないって言うんだね」 悲しみ以外のなにものでもない表情で、じん六は右手を挙げた。じん六の表情に気を取られ過ぎたため、その挙手が誰かへの合図であることにウキエは気づかなかった。すっと背後に気配が生まれ、鼻に布を押しつけられる。クロロホルムを思い切り吸い込み、ウキエは急速に意識が失われていくのを感じた。気絶する寸前に見えたのは、頂点に一本だけ毛の生えた禿頭だった。 「ウキエ預かった。深夜12時にカモメ第三小学校に1人で来られたし」 という文面は、午後6時、ありとあらゆる放送局の通常の番組に割り込みをかけ、1分間表示された。 「ノリスケさん、これは」 カツオの問いに、ノリスケはディスプレイを見つめたまま答えた。 「敵が何者かは知らないが、電波ジャックをできるだけの実力を持っているらしいな」 「ウキエさんを人質に取るだなんて、なんて卑劣な! 許せない」 「まったくだ! タイマー録画のカードキャプターさくらの頭の部分が切れてしまうじゃないか! 許せん」 「……ノリスケさん?」 「……ゲフン、ゲフフン! ……作戦を立てよう。あと6時間の猶予しかない」 春先とはいえ、深夜ともなると肌寒い。カツオはパーカーを羽織っていた。カモメ第三小学校の校庭は静まり返っている。あの放送が流されたにもかかわらず。「きっと誰かの悪戯ですよ」というのがほとんどの人の感想だった。呑気なものだ……が、これこそ永劫輪廻という檻のなせる技なのだ。誰一人、深く物事を考えようとしない。カツオは身震いした。夜の寒さのせいだけではない。 校舎を見上げる。はたしてウキエは、いた。校舎正面の大時計の前にロープでぶら下げられ、冷たい風に晒されている。 「カツオちゃん!? 来ちゃダメーッ!」 遠くからの叫び声。だがカツオはそれを無視し、走り出した。 「…………!?」 空気の流れを乱すものを敏感に感じ取り、カツオは跳ねた。直後、地面をえぐる激しい衝撃。カツオは空中で一転し、大きく飛びすさる。 「何者だ!」 攻撃の来た方向に向き直り、誰何する。 雲の切れ目から顔を出した月が、その男の全身を照らし出した。浴衣を着て帯を腰に巻いている。ほんの一瞬、禿頭がまばゆいばかりの光を放った。 「ほお、不意の一撃を見事に避けきるとは、さすがはカツオ」 「……父さん」 「たわけィ!」波平は一喝する。「もはや貴様とは父でも子でもなんでもないわ! この親不孝者がッ」 「……そうか! 父さんも悪魔の手先なんだな!」 「人の話を聞けい! ワシの名は磯野波平マスター世田谷! ワシと貴様は『流派・磯野波平』武術の使い手たる2人の男、それ以上の何者でもないわ!」 「いいだろう」カツオは拳を握りしめた。「マスター世田谷! ウキエさんをさらったのは貴様の指図か!」 「むろん。でなくば何故ワシがここにいる? 全ては我らの主上の意志よ。主上の復活を邪魔する要素は全て取り除かねばならぬ」 「復活とはどういうことだ!」 「今の貴様に教えてやる必要はない!」叫んで、腰帯をすっと抜き、構える。「ウキエを返して欲しいのだろう? ワシに勝つことができれば返してやってもよいぞ」 波平は不敵な笑みを浮かべた。 カツオもにやりと笑い返した。 「選択の余地は無いみたいだな。……だがッ!」 カツオは空へ高く飛んだ。空中でぱちっと指を鳴らす。 「ノリスケさん!」 校舎の裏側からイクラー海がぬおっとその偉容を現した。顔の側面に備え付けられたミサイルを2本、磯野波平をめがけ同時に発射する。 カモメ第三小学校の校庭は大爆発した。 爆風の中、カツオは校舎へ飛び込み、階段を駆け上がって、屋上へ出る。 が、そこで気配を感じ、立ち止まる。 「波平1人だけで来ているとは思っちゃあいない。そこッ! 姿を現せ!」 「ばれちゃあしかたがないわね。ぐふふふふ」 びく、とカツオは跳ね上がった。その特徴的な笑い声は間違いなく…… 「花沢さん!?」 「ぐふふふふ。私はS細胞の力によって地獄の底から蘇ったのよ!」指先を首に巻いたチョークに当てる。「はなー・ふらーっしゅっ!」 一瞬の閃光の後、花沢さんは赤毛でレオタードを着てレイピアを持った娘に変身していた。ただし、顔の造作は3mg程の変化も見られない。 「そう! 9Tハナーとしてねっ!」 「きゅきゅきゅきゅうてぃ」 あまりのことに、カツオはその名を復唱するばかりだった。 「さあ、カツオ君、力ずくでも私たちについてきてもらうわよ。できるだけ痛くないようにしてあげるから」 カツオは空を見上げた。 「私を引きつけておいて、その間にイクラーロボにウキエさんを助けてもらうつもり?」見透かすように花沢さんが言う。「無駄よ、あれをご覧なさい!」 イクラーロボのさらに背後から巨大な人の姿が現れ、イクラー海を羽交い締めにした。 「ぐああああっ」 「ノリスケさん!?」 ノリスケの悲鳴が暗い空へと吸い込まれていく。今のカツオにはそれを見る事しかできなかった。 「あれこそ三体合体ロボ、『世田谷巨神タラオン』よ。じん六さんとカオリちゃんとサブちゃんが操縦してるの。たとえ同じロボットでもパイロットが3対1じゃあかないっこないわよ」 「がああああッ」 今度はカツオが悲鳴を上げる番だった。飛んできた帯がカツオの首に巻き付き、締め上げたのである。 その帯のもう一端を持つのは、頭頂部の禿げ上がった男。 「マスター世田谷! ミサイルを食らったんじゃなかったのかッ」 苦しいながらも声を絞り出すカツオに、波平は邪悪な笑いを返す。 「あの程度、蚊に刺された程度にも感じぬわ! さて、貴様を捕まえた以上人質に用はない。9T、ウキエをつっているロープを切れ」 「はぁ〜い」 花沢さんがレイピアを一振りすると、ロープはあっさり切れた。引力に任せ、ウキエの体は地上へとまっさかさま。 「これでイクラーパイロットが一人いなくなるってワケね……あっ」 「どうした9T?」 「今、誰かが飛んできてウキエを空中で拾ったような気が」 「そんなバカなことあるはずが……ぬおお!?」 一筋の光が波平の布を切り裂いた。戒めが解け、カツオはせき込みながら崩れ、膝を床につく。 「ワシの布を、布を切り裂く貴様は、貴様は一体何者だッ!?」 2つの影がカツオと波平の間に降り立った。1人は両手にウキエを抱いている。 カツオは左手の甲に痛みを感じた。見れば、「は」の文字が光を発して浮かんでいる。 「紋章が輝いている……ということはッ」 「我ら世田谷の秩序を守り!」 男が「い」の文字の輝く手の甲を掲げた。それに続き、女も同様に「ろ」の紋章をみせつける。 「世田谷の滅亡を防ぐ!」 最後に2人で和する。 『その名も長谷川同盟!!!』 カツオを守るかのように、波平と対峙して立つその2人は、カツオのよく知る人々――伊佐坂難物といじわるばあさんだった。 |
つづく