第6話 襲 撃


 どうしてこんなことになったのだろう。
 ウキエは冷蔵ケースの中のコーラの値札「150円」を見ながらぼーっと考えていた。
 東海道新幹線の中に、ウキエ達一行はいた。サザエガンダムとの一件で己の未熟さを思い知らされたカツオは、修行のやり直しをすべく、磯野家発祥の地福岡に向かうことにしたのだ。かつて住んでいた福岡へ。
 自我に目覚めたとき、全ては変わってしまった。ある瞬間に突然に自我が芽生えたわけではない。気がついたときには、ウキエは世田谷という謎めいた空間に疑問を抱いていた。磯野家の家族、それを取り巻く人々に疑問を抱いていた。それから何もかもが変わり始めた。波平はマスター世田谷を名乗り、じん六はその波平の手下となり、父難物はノリスケを救うためその命を散らした。この変化は何なのか。自我に目覚める前は何の兆しもなかったはずだ。波平は磯野家の父として君臨していた。じん六はうだつの上がらぬ浪人ではあるものの良き兄だったし、父は著名な作家ながらも呑気な老人だった。何が彼らに、そしてウキエ自身に変化をもたらしたのか。
「……わからない」
 としかウキエには言いようがない。S細胞やら「悪魔」やら、謎が多すぎるのだ。情報が少なすぎる。ということはつまり、今ここで悩んでも答えは得られないということである。悩んでも仕方がない、とウキエは考えを頭から追い出した。飲み物を買って席に戻ろう。
「…………?」
 その時初めて気づいた。ビュッフェ全体が不自然に静かだ。目を上げると、売店にいるはずの売り子の姿が見えない。カウンター越しにのぞき込んでみる。
 制服を着た女性が血塗れになって倒れていた。
「…………ぐっ!」
 背後から手が伸びてきて、ウキエの首を力一杯締め上げた。首をねじって後ろを見る。首を締め上げているのは見知らぬ四○代の男性だった。両目がただならぬ凶器の光を放っている。
「いぃっぱいやりましょうよういぃっぱいやりましょうよういぃっぱいやりましょうよう」
 針の飛ぶレコードのように同じ言葉ばかりを繰り返す。一杯やりましょうよ、と。酩酊状態にあるようだ。その言葉でウキエはおぼろげに思い出した。他者を催眠術で操る特殊能力を持つ男が波平の麾下にいることを。
 肘撃ちを入れて男をひるませ、ウキエは手から抜け出した。ささっと辺りを見回す。新幹線の中のどこかにこの男を操る者がいるはずだ。
 ところが。偶然その場に居合わせた乗客が四、五人まとまって飛びかかってきた。不意をつかれたウキエはその手の中に捕らえられてしまった。腕を、足を、一本ずつ一人一人にとりつかれる。老人やら女性など、顔ぶれは様々だが、異常な力で押さえつけにかかっているところは共通しており、おかげでウキエは身動きできない。全員が顔を真っ赤にしている。酔っているのだ。
 かたん。
 冷蔵ケースの扉が、誰も手を触れてないのにひとりでに開き、中の缶ビールがふよふよと空中に浮き出てきた。海を泳ぐクラゲのようにふよふよと。8本の缶ビールが円を描いて空中に静止したかと思うと、ウキエめがけて突進してきた。あたかも缶ビール自体が、ウキエを傷つけようという意志を持っているかのごとく。
 回避することができなかった。最後の瞬間ウキエの視界に入ってきたのは、白い壁に描かれた血文字だった。それはアルファベットでくっきりと描かれていた――「massacre」(皆殺し)と。

 ばしっ。
 ノリスケは顔面めがけて飛んできた缶ビールを片手で払いのけた。
「……さすがノリスケさん。不意打ちにも動じませんね」
 声は、ダブルデッカーの二階席の入り口ドアからやってきた。そこに立つのは、カートを押す、新幹線内の販売員。制服に身を包んでいるものの、その上にのっかった顔は、ノリスケもよく知る男の者だった。
「今日はいつもと違う服装じゃないか。どういう風の吹き回しだい、サブちゃん」
「ちわー、三河屋です」
 サブは営業スマイルで返した。
 ノリスケもまた、余裕の笑みでサブを見返す。
「世田谷十傑集ともあろう者がこんなところでバイトだなんて、零落もいいところじゃないか」
「やだなあノリスケさん。バイトはおまけですよ。ボクの仕事はあなた方3人の抹殺です」
 カートに備えられているアクエリアスの缶が空中に浮かんだ。一時静止したかと思うと、ミサイルのごとく缶はノリスケを襲う。ノリスケはどこからともなく日本刀を取りだし、アクエリアスを切り落とす。放射状に透明な液が散った。不幸な同乗者がその液をかぶった瞬間、叫び声を上げた。かぶらなかった人も、突然現れた日本刀を見てパニックになる。蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「静まれィ!」
 だが、ノリスケの一喝で客席は瞬時にし〜んとなる。「キチガイに反論しても災厄を呼び込むだけ」と考えているのかもしれないが、それはその際どうでもいい。ノリスケは席を立ち、サブを見据えつつ歩き出した。
「それが噂の缶缶ファンネルか」一歩、また一歩とノリスケは前進する。「だがその程度じゃオレは倒せない」
 必殺のファンネルを回避されたサブは見るからに動揺していた。一時ドアの向こうに退避し、気絶しているウキエを抱えて戻ってくる。
「と、止まれ」うわずった声でサブが言う。「止まらないとこいつを殺すぞ」
 しかしノリスケの歩みは止まらない。
「やれるものならやってみろ。次にカート内の商品が動いた瞬間に、斬りつける」
「…………ぐ」
 サブは言葉に詰まった。張りつめた空気の中、ノリスケは日本刀を構え、少しずつにじり寄る。決め手を失ったサブは冷や汗をだらだらと流し始めた。
「どうなってるんだよお」
 その空気を、泣き出しそうな声が破った。客席に座っていた男が緊迫感に耐えられなくなり、半狂乱の体で通りかかったノリスケにつかみかかったのだ。
「缶は空を飛ぶしアンタは日本刀を持ち出すしあわあわあわ」
「黙っていろ」ノリスケは横目で見下ろした。「騒ぐと死ぬことになる」
 すると男は目を細めた。
「いいや。死ぬのはおまえだ」
「…………!?」
「直ざわりは効くぜぇ!」
 男の手にさわられた部分から体全体へと体温が急上昇していくのをノリスケは感じた。体内に一挙にアルコールが回っていくような感覚。明らかに肝臓の許容範囲を超えている。ノリスケはぶっ倒れた。
 ノリスケを卒倒させた男は席を立つと、上着を着た。頭頂部で髪を真っ二つに分けた、やけに鼻の巨大な男だった。
 サブはぱっと表情を明るくした。
「アナゴ兄貴! そこにいたんですか! さすが兄貴の能力はスゴイや」
 アナゴはつかつかと歩み寄ると、サブに平手打ちを食らわせた。完全に予想外の攻撃に、サブは倒れ、後頭部を思い切り打ち付けた。
「何するんですか兄貴!」
「だからおまえはマンモーニ(ママっ子)って呼ばれるんだよ」アナゴは手厳しく批判した。「おまえは覚悟が足りない。だからノリスケに気圧された」
「…………」
 その通りなので、サブは言い返せない。
「いいか? オレ達はなあ、その辺のオタク向けショップで藤崎詩織の胸像10万円を買うとか介錯のプレミア同人誌を買うとか綾波の1/1スケール人形を買うとか言っている負け犬どもとはワケが違うんだ」
「兄貴、欲しいんですかい?」
 アナゴはほんの数秒言葉に詰まったが、気を取り直すと懐から銃を取りだした。
「『殺す』と思った瞬間にはッ! すでにその行動は終了しているんだッ!」
 ぱんぱんぱん。
 アナゴは床に伸びたノリスケの胸に3発撃ち込んだ。
 いきなりのことに表情を凍らせるサブ。
「あとはカツオだな」アナゴ自身は飄々としたものだった。「新幹線の奥を探すか……が、その前にウキエも始末しておこう」
 デッキに寝ているウキエの側に立ち、再び銃口を向ける。
 その時。
 投げつけられたものに手を打たれ、アナゴは銃を取り落とした。床に落ちた瞬間銃は暴発し、弾がアナゴの足を捕らえる。
「ウキエさんは殺させない!」
 カツオがデッキの階段の踊り場に立っていた。痛みに顔をしかめながら、アナゴは投げつけられたものの正体を知った。
 浜松名物ウナギパイが2つに折れて、床に落ちていた。
「カツオ、貴様どこにいた!?」
「トイレで用を足していたのさ。最近下痢で苦しんでいるから、今日も何回も出入りしていたんだが、どうやらいいタイミングだったらしい。災い転じて福と為すってね」
「兄貴、あれを!」
 背後でサブが叫んだ。見ると、3発食らったはずのノリスケがゆらりと立ち上がっている。
「どういうことだ!?」
 ノリスケはYシャツのボタンを上から3つ外した。弾痕の残った雑誌がボロボロと床に落ちる。
「念のために雑誌を仕込んでおいたんだが……いきなり撃ってくるとは想像外だった。やれやれだぜ」
「ナイフならともかく銃弾は雑誌では止まらないんじゃ……」
 サブが冷静なツッコミを入れる。
 前門の虎、後門の狼。アナゴとサブはノリスケとカツオに挟み撃ちにされる形になっていた。そして、運悪くアナゴは足に一発もらっている。
「引くぞ」
 冷静な判断を、アナゴはした。言葉が発せられた瞬間、アナゴとサブの姿は煙のごとく消え失せた。
「……僕らを始末しに来たのか」
 カツオの問いに、ノリスケは表情を曇らせる。
「そのようだな。しかも十傑集のうち2人でお出ましだ。これは愉快な旅になりそうだ……席に戻ろう」
 席に戻る途中、カツオは窓の外を見た。静岡駅がものすごいスピードで西から東へと流れていく。
 カツオは感想を漏らした。
「やたらと速いな。駅を通過するときはもっとスピードを絞るものじゃないのか」
「同感だ」
 ノリスケも同意する。少し考えてから、2人は顔を見合わせた。
「……まさか」
 予想通りだった。新幹線の運転席には3つの惨殺死体が転がっていた。自動で加速を続けているらしく、このまま放置すれば大惨事になるのは間違いない。
「ノリスケさん、どうする!?」
 カツオは慌ててノリスケを見た。
 対照的にノリスケは沈着冷静だった。
「カツオ君は乗客に事態を説明してくれ! 運転はオレが何とかするッ」
「ノリスケさん、ひょっとして新幹線運転できるの!?」
 ノリスケはぐっと親指を立て、カツオに自信満々の不敵な笑いを見せつけた。
「大丈夫だ。『電車でGO!』をノーコンティニューでクリアできる」

 その日、東海道新幹線はものすごい脱線事故を起こした。

「交通機関を利用するわけにはいかないな……」
 ノリスケは意見を述べた。頷くカツオとウキエ。
 3人は新幹線沿線、静岡の森の中で顔をつきあわせていた。結局、イクラーロボを呼び寄せ、3人だけ暴走新幹線から脱出したのだった。
「でも、イクラーロボを使うのは目立ちすぎるわ。燃費も悪いし」
 ウキエがもっともな事を言う。
「ここは静岡だろう? 母さんの実家を頼るのはどう? 事情を説明すれば自動車を貸してくれるんじゃないかな」
「どうやら、それしかなさそうだな」
 結論が出た。カツオを先頭に、3人は歩き出した。静岡のどこかにある石田家を目指して。

 物陰でそんな3人の姿をこっそり窺う影があった。覆面にコートと爆発的に怪しげな出で立ちである。3人が歩き出したのを見ると、男はマスクの下の口元をわずかに歪めてにやりと笑い、姿を消した。

 

つづく


第7話 亀裂

戻る