第8話 策 謀
| その部屋は時が止まっているかのように、静謐で、整頓され、動くものは何一つ無かった。部屋の主が亡くなって以降積み重ねられた年月の重みが、じん六の両肩にのしかかってくるようだった。 じん六は相変わらず波平より命じられた任務を続けている。で、大阪はマスオの実家のフグ田家へ侵入しているのだった。波平の友人であり、マスオの父であるフグ田ニジマス(仮)は既にこの世の人ではない。だが故人の部屋自体は、いつ故人が帰ってきてもいいように整えられていた。 じん六に課せられた使命、それは「石田共栄丸(仮)とフグ田ニジマス(仮)の所持する緑色の液体が詰まって真ん中に梅干しが浮かんでいる円筒状の物体を回収せよ」。その円筒状の物体がなんなのか聞かされてはいない。静岡では同じ十傑集の手によって回収を阻まれた。失敗を繰り返さぬために、じん六は常に周辺への注意を怠らぬように心がけていた。 とうとう十傑集内部の対立が鮮明になってきたようだ、とじん六は考える。フネ派の台頭は近年著しく、虎視眈々と世田谷ソサイエティの指導者の地位を狙っている。十傑集内でもフネ寄りの者、波平寄りの者とさまざまで意思統一は図られていない。じん六自身はといえば一応波平派ということになるのだろうが、それは組織の名目上は波平がトップだから、という消極的な理由に過ぎない。じん六の願いは、妹ウキエと一緒に大過無く過ごすこと、それだけだ。 デスクの上の冊子に手を伸ばしてみる。古い日記のようだった。じん六は何気なくページを開くと、その内容を読み始めた。 カツオはフグ田ニジマス(仮)の墓前に百合と祈りを捧げた。一拍遅れて、ノリスケとウキエも同様に手を合わせ、目を閉じた。 「そう滅多に来られないから、近くに寄ったときには必ず来ることにしてるんです」とカツオは説明した。「姉の夫の父というだけで、ボクとの血のつながりは全くないんですが」 「私にとっては母の兄の娘の夫の父だな」とノリスケ。 「隣人の親戚……」とウキエ。 「今の義兄さんと姉さんの姿に、ニジマスさんが喜んでいるはずはない。マスオも、波平も、……必ずこの手で倒してみせる!」 ぐぐっと拳を握りしめ、カツオは断言した。 だがその時、カツオの誓いをさえぎる大音声が閑静な墓地に轟いた。 「甘い! 甘いぞッ! カツオォ!」 咄嗟に三人は背中合わせになるように円陣を組み、構えた。 「十傑集の新手か!?」 ノリスケの声に呼応するかのように、フグ田家の墓が奇妙な動きを見せた。石がどろどろ溶け始めたかと思うと、急速に盛り上がっていき、やがて一人の人間の姿へとメタモルフォーゼした。 その男は覆面にコートと爆発的に怪しげな出で立ちだった。特に覆面は目の部分だけ開いていて額の部分にガンダムのごとき角があり、かつ顔面のど真ん中に日の丸が描かれているというとんでもねえデザインだった。 「へ……変態サン!?」 とウキエが悲鳴を上げるのも無理はない。 改めて覆面男に構えを向け、カツオは叫んだ。 「貴様一体何者だ!?」 「10才のクソガキに名乗る名は持っちゃあいねえが!」珍妙なポーズを決めつつ覆面男は自己紹介した。「それでも聞きたいというのなら、耳の穴かっぽじってよぉぉぉぉくお聞き! 俺の名はッ! 謎の覆面ファイター! 日の丸仮面だぁぁぁっ!!」 「自分から謎っていうなぁぁぁぁっ!」 「そのような細かいことはどうでもいい!」さらにでっかい声を出して、日の丸仮面とやらはカツオを黙らせた。「それより貴様、磯野波平とサザエガンダムを倒したいそうだな……」 「何!? 貴様世田谷ソサイエティを知っているのか!」 「磯野波平に個人的怨恨を持っている、とだけ言っておこう」と、日の丸仮面は遠い目をする。「しかァし! 貴様ごときの腕ではサザエガンダムどころか磯野波平を倒すことすら夢のまた夢!」 「なんだと!?」 挑発されてカツオは一歩前へと踏み出した。が、長剣の束を突き出して、ノリスケがそれを止める。 「やめろカツオ君。この男、なかなかできる」 「しかし……!」 日の丸仮面は腕を組んだ。覆面の唇の部分が、笑みを浮かべたかのように微妙な動きを見せた。 「さすがノリスケ殿はわかっている。だが貴様は分からないようだな、磯野カツオ?」 「ああ分かるものか! オレより強いのならば、その拳で証明してみせろッ!」 「フフッ、若者は元気がいい!」日の丸仮面は余裕を見せる。「だがここは墓地だ……死者の眠りを妨げるようなことがあってはならない」 背負った刀を抜き、別の墓前に立つ。日の丸仮面は刀を大上段に構えると…… 「ハァァァァッ」 気合一閃、刀で墓石を真っ二つに叩き割った。 「な…………ッ!」 カツオたち三人は目を丸くした。 「なんて罰当たりな!」 だが日の丸仮面は非難の声を気にする風もなく、刀をカツオに投げて渡す。 「この刀でやってみせろ」 「お安いご用だ!」 カツオは、最初に目に入った天理教の墓石に大上段から斬りつけた。が、がきんと嫌な音はしたものの、刃は3ミリほども石に食い込んではいなかった。 その時初めてカツオは気づいた。 「はっ!? この刀錆びてる!?」 「見たか! 今の貴様の腕では天理教の墓石一つすら叩き割ることができぬのだ!」 天理教の墓石は正方形に近い板を縦にしたような形状をしており、普通の墓石より薄くて背が低いのである。 「その刀は貴様に預ける! せいぜい腕を磨いておくことだな!」 言い捨てると、日の丸仮面は両手を肩の高さに掲げて回転を始めた。三秒もしない内に、つむじ風が自然消滅するかのように、その姿はいずこかへ消え去った。 あまりの唐突ぶりに、三人はただ呆然とするばかりだった。 「一体何者なのかしら……」 「墓場を荒らすのが趣味のキチガイさんに一票」 ノリスケの意見に、カツオは深く頷くことで心からの賛同の意を示した。 フグ田家の墓の墓石は無くなったままだった。 「アナゴ、御前に」 「同じくサブ、御前に」 二人のかしづくその壇上にいるのは磯野波平と白いローブをまとった老婆だった。 「静岡での一件は聞きました」と、老婆はしわがれた声で囁く。「じん六の方が先に仕掛けてきた……そうですね?」 「その通りであります、大聖母フネ様」 顔を伏せたまま、アナゴは答えた。 二人の間ですでに打ち合わせ済みなのだろう。そうわかっていながらも、断罪することのできない波平はいらだちを隠そうとしない。 「貴様らにドールシリーズを回収してこいという命令を下した覚えはないぞ」 「じん六一人では不安だと思ったのです。全ては波平様の役に立たんがため、思いあまって勇み足を踏んでしまったようで」 アナゴが説明すると、サブがそれを補強する。 「ところがじん六のヤツ、勘違いしてプライドを傷つけられたと思ったか、我々に攻撃を仕掛けて参りまして」 「あの通り、二人とも反省しております。是非とも寛大なご処置を」 「よかろう」昂然と波平は頭をもたげた。「来るべき『鷹作戦』においておまえ達は欠かすべからざる戦力だ。今回の件は不問に付す」 アナゴとサブは伏せた顔をニヤリと歪ませた。 波平は続ける。 「福岡へ行け! おまえ達二人には鷹作戦の中核部分を担ってもらう」 今度はアナゴが頭をもたげる番だった。 「名誉であります。しかし、我ら二人のみで『鷹作戦』を行えと?」 そして、波平がニヤリと顔を歪ませる。 「そのような無理強いはせんよ。タラオッ!」 物影から飛び出てきたのは三歳の男児だった。壇の下に降りて、ひざまずく。 「ココにいるです」 「ドールタラオ、おまえの出番だ。おまえも福岡に行ってこの二人の補佐役を務めるんだ」 「はいです」 アナゴは表情をこわばらせた。ドールタラオの真の目的がアナゴの監視であるのは見え見えである。これでは常に背中に波平のナイフを突きつけられているようなものではないか。だが、拒絶はできない。鷹作戦という名目がある以上、フネの力でも、波平の監視を外すことはできない。 波平は左手を振り上げた。 「鷹作戦を実行するッ! 十傑集は全員福岡に集合せよッ!」 じん六は日記帳を閉じた。 指先で畳をなでると、濡れていた。むしろ寒いくらいのこの部屋の中で、じん六は汗をかいたのだ。無言のまま、タンスの中身を探る。奥まった部分に、この部屋には不釣り合いなブリキの工具箱を見いだす。取り出し、開けると、綿にくるまれた円筒形の物体が現れた。緑色の液体がつまり、梅干しのような球体が浮いている。 じん六は蓋を開けた。途端球体が宙に飛び出し、流星のように光り輝きながら部屋の中を飛び交って、やがて空中の一点に静止し、人の姿を取る。 そいつは一言だけ発した。 「ばっぶー」 「……ドールイクラ」 日記帳に書いてあった名を、じん六は呼んだ。 「波平達はこんなものを発掘したというのか……!」 「はーい」と、イクラ。 じん六は知ってしまった。磯野家五○年の狂気と背徳の歴史を。はじめじん六は、ドールイクラを回収して世田谷に戻るつもりでいた。だが、日記帳を読み、真実を知ってしまった今、彼の心は揺れていた。何を信じればいいのだろう。ウキエと静かに暮らすという希望を叶えるためにはどうすればいいのか? 目の前にあった道ががらがらと音を立て崩れ去ろうとしているのが、じん六には見えるようだった。 その時、携帯電話が鳴り始めた。着メロから判断するに、世田谷からの指令らしい。己の指針を定める事のできぬ今は、とりあえず波平の指示に従うフリをするのが良かろう、と判断し、じん六は携帯をとった。 ドールイクラを手元に置いておくことは、武器の一つとなるだろう。 「福岡に行くのはいいけれど、行くあてはあるの?」 福岡に向かう高速道路の車中で、ウキエは訊いた。 「泊まる場所は問題ないよ。海平叔父さんの家があるから。磯野家は福岡出身なのさ」 カツオがいい、ハンドルを握るノリスケも保証する。 「それに、私の実家も福岡にある。心配することはない」 「たしかに、今のボクの腕では波平は倒せない。それだけはあの変態仮面の言うとおりだ」カツオは悔しさに歯がみした。「だからこそ修行して強くならなきゃならないんだ」 後部トランクの方に視線を向ける。そこには日の丸仮面から受け取った錆びた刀が入っているはずだった。 トランクに入っているのは刀だけではなかった。日の丸仮面その人が膝を抱え、横になってトランクの中に収まっていた。日の丸仮面はにやりと笑ったが、場所が場所だけに苦しそうだった。 静岡ナンバーの自動車は一路福岡へ向かう。 |