第9話 福 岡


 切り立った崖の上に立ち、世界を見渡す。無限に広がる大森林と、無限に広がる暗闇の雲。目に入るのは、青と黒の二色だけだった。
 大自然の美しさに、ウキエはただ嘆息するばかりだった。
「ここで、カツオちゃんは修行していたのね……」
「ああ、そうさ」カツオは遠い過去に思いを馳せる。「磯野波平の強さに憧れたオレは、小学校を中退して、この大自然の中たった二人で修行し、そして生活した。思い出の場所さ」
 カツオの表情は「過去の思い出に浸る」ものとはほど遠い。美しく楽しい思い出は、既に壊されてしまっている。苦い顔をするカツオに、ウキエは声をかけてやることができなかった。
 ウキエのいたたまれないない様子に、カツオは気づいた。そう……今は、過去に囚われている暇はない。己が正しいと信じるという事を為す。ただそれだけだ。
 力強い決意をこめて、カツオは宣言した。
「オレは、この大地に返ってきた。ここでオレは、磯野波平を越える力を手に入れてみせる」
 カツオの声は、静かに、だが確実に、福岡の大地に響き渡った。
 そう、ここは――福岡県ギアナ市。

 ギアナ市市役所六階の市長室のドアには、「会議中」の看板がぶら下がっていた。実際の所室内で話し合っているのは、たったの二人だけだったが。
 しばらくの間、市長は窓の外に広がる大森林、そして暗闇の雲を感慨深げに眺めていた。
「……すまないな」市長の声には疲労の色が滲んでいた。「本来であれば、弟の不始末、兄であるこのワシがどうにかせねばならんのだがな」
 ソファーに腰を下ろした客人、ノリスケは首を横に振った。
「いやだなあ、海平おじさん。身内なんだし、困ったときはお互い様ですよ。おじさんには為政者としての仕事があるわけですし」
 フッと軽く笑って、磯野海平――福岡県ギアナ市市長は、窓に背を向けノリスケと向かい合った。
「ま、君たちの助力をアテにしてなどいなかった、と言ったら嘘になるからな。カツオは、元気かね」
「ええ。毎日ギアナの原生林の中で修行に励んでいますよ」
「前途洋々たる少年を過酷な運命の渦に巻き込むのは、心が痛むな」海平の声は、沈痛だ。「もっとも、カツオは生まれたときから十字架を背負った子供だったからな。彼はサザエガンダムの核となるべくして生まれた運命の子だ」
「…………なんですって?」
 ノリスケは聞き返した。
 が、海平はなにも答えない。ただひたすらにノリスケの目を見つめ返すだけだった。
 やがて、ノリスケはその視線の意味に感づいた。
「……ということは、まさか」
 ノリスケは息をのんだ。海平が伝えようとしていることは、ある事実――磯野家の秘められた歴史、磯野家の成人のみが共有する秘密だったからだ。親戚筋にあたるノリスケは、それを直接聞かされたわけではない。だが、伝聞でだけ知っていた。
 その秘密が真実なのか、ノリスケは今まで判断しかねていた。真実として受け入れるには、それはあまりにも忌まわしいことだった。だから、ノリスケは信じていなかった。むしろ、信じたくなかった、という表現が正しいのか。
 けれども、海平の態度は、その秘密が事実である、ということを物語っていた。
「そういうことだったのですか。波平が、カツオという子供を欲した理由は」
「……サザエガンダムとS細胞について私が詳しく調査したわけではないが、当時私は波平から良く聞かされたから、それなりには知っている。だから、波平が今何を為そうとしているのか、ある程度の想像はつく」
 海平は、一拍間をおいてから、言った。
「奴は……サザエガンダムの核を取り替えようとしている。サザエから、カツオへ」

 走る。
 原生林の中をただひたすらに走り抜ける。
 飛ぶ。
 エンジェルフォールのてっぺんから滝壺に飛び込む。
 耐える。
 高さ五メートルはあるであろう棒を立ててその上に足一本で乗り、何時間もただ立ち続ける。
 構える。
 流派磯野波平の型を何度も繰り返し演舞する。
 カツオはただひたすらに修行に明け暮れていた。
 だが――。
「ぐウッ」
 カツオは、うめいた。渾身の力を込めて放たれた一撃は、またしても軽く跳ね返された。百遍攻撃を加えてみても、墓石は百遍錆びた刀を跳ね返す。カツオは虚しい行為を続けていた。
 夜の墓地で墓石を刀で撃ち続ける男の図、は端から見ると果てしなく不気味だった。だが、この罰当たりな行為をカツオは続けざるを得ない。なぜなら、最初にこの墓地に来たときは昼間だったもので、寺の人間に追い返されたのである。
 だから、夜に来るしかない。
「何故だ……!」怒り、焦燥、そういった感情がカツオの中で渦巻いていた。「何故オレは、墓石を切ることができない!? 修行が……修行がまだ足りないというのかッ!?」
「はァ――――ッはっはっはっ!!」その時、笑い声が静まりかえった墓地に轟いた。「甘いッ! 甘いぞッ、カツオッ!」
 反射的に、カツオは錆びた刀を大上段に構えた。
「出たなッ! 変態仮面ッ!」
「そのようななで私を名を呼ぶとは。人の名前も覚えられぬようでは話にならんなァ」
「黙れ! お前のその格好どこからどう見ても変態だろうがッ」
「私の名は日の丸仮面、呼びにくいと言うのなら『ライジングサン』とでも呼ぶがいい」
 雲の隙間から月が顔を出した。徐々に輝きを取り戻していく月の光を背に浴び、自称ライジングサンは墓石の上に立っていた。腕組みをしたまま、唯一外気にさらしている目をカツオへと向ける。
「ところでカツオよ、修行に行き詰まっているようじゃあないか」
「よけいなお世話だッ」カツオは吠えた。「貴様にどうこういわれる筋合いはないッ!」
「要らぬ節介と知ってはいるが、見ていてどうにも歯がゆいものでな。おまえ、それで本当に磯野波平を倒せるとでも思っているのか? 今目の前に磯野波平が現れ、一対一で闘ったとして、勝つ自信はあるのか?」
 一瞬カツオは言葉に詰まった。心中の迷いをこの変態に見抜かれた、そう感じたからだ。
「黙れ!」
 それを認める代わりに、カツオは飛び上がり、ライジングサンに斬りつけた。
 ライジングサンはひょいと軽く飛び、別の墓石の上へ飛び移った。
「ならば、おまえだったら波平に勝てるのか!?」
 今までライジングサンが立っていた墓石に着地して、カツオは吠える。
 ライジングサンはマスクの下の唇を、軽くつり上がらせた。
「少なくとも貴様ほど無様な戦い方はせぬよ。なんなら、一つ試してみるか?」
「望むところだッ!!」
 二つの影が同時に墓石を蹴り、空中で交錯した。

「どれほどの長い期間ループを繰り返してきたのか、もはや誰にもわからん。おそらく波平自身もはっきりとは知らなかろうて」海平は、遠い記憶を掘り起こそうとするかのように、両目を閉じた。「我々の体の中に宿るS細胞の支配者たるサザエガンダムの力によって、ループは行われてきた。S細胞の力によって、我々は記憶、学習、成長――そういったものを阻害されてきたのだ。つまり、我々が自我を取り戻し、己のありようについて疑問を持つようになったということは、S細胞の支配力が弱まってきたことを意味する。我々には寿命は実質的にはないが、サザエガンダムのコアには、寿命があるのだ」
「だから、再びループを滞り無く行うためには、新たなるコア――カツオ君が必要なわけですね」
「サザエコアを再び十全に機能させるには、サザエの肉体を休ませてやる必要がある。いわば休耕田のようなものだ。波平はそのことを見越しておった。ループを起こす前に、サザエガンダムのコアとなる肉体の予備を保持しておく必要があった。波平の血を引く肉体が。だが、フネはサザエを生んで以来十数年、一向に妊娠する気配がなかった。だから――」
 海平は、そこで言葉を切った。
 ノリスケは、おそるおそる疑問を口にする。
「――カツオ君自身は、知っているのでしょうか――自分が、波平とフネの間に生まれた子ではない、ということを」
「おそらく、知らないだろう」海平は頭を振る。「ワシが恐れるのは、それだ。遺伝子学上の親はどうあれ、カツオは波平とフネに育てられた子供なのだ。敢えて真実を教え、カツオを迷わせるようなことがあってはならない。だが、このような事態に陥った以上、カツオは真実と向き合わざるを得ないだろう……少なくとも、世田谷ソサイエティがそう仕向ける」
「真実を知ったら、カツオ君はどう反応するでしょう」
「想像もつかぬ。だがどうなるにせよ、カツオを受け止め、道を迷わせないようにしてやるのが、我々、周りの大人の仕事ではないかね」
「そう……ですね」
 その時、執務室のドアがノックされる音が響き、会話が中断された。
「入れ」
 海平は即座に答えた。
 きしむ音を立てながら、ドアが開かれる。入ってきたのは、海平の秘書、三河屋三平だった。
「お話中の所失礼いたします」三平が一礼する。「つい先ほど、世田谷方面でイソノルーク級の熱源反応が確認されました」
 途端、部屋の中を衝撃が走った。
「なんだとッ! 波平がイソノルークを動かしたというのかッ」
 三平は、頷くことで肯定した。
「この反応はイソノルークに間違いない、とのことです。市長……ご指示を!」
 海平はしばし天井を仰いだ。が、再び三平に向き直ったときには、ギアナ市民二万人の命を背負う為政者としての光を、両目に宿していた。
「遺跡守備部隊に厳戒態勢を敷かせろ。これは総力戦となる……三平はワシについて来い。ワシがギアナ市青年団の指揮を執る」
「おじさん自身が出るのですか!?」
 ノリスケが驚きに腰を浮かす。
 海平は笑みを浮かべた。
「聞いただろう、波平がイソノルークを出してきた、と。波平は徹底的にやる気だ……遺跡地下の『オリジナル』を発動させるためにな。なればこちら、全力を尽くして止めねばならん。それが、波平の『悪魔との契約』を止めることができなかった、兄としての義務だ。ワシの命に代えても、波平の野望は止めてみせるさ」
 そして、もう一度海平は三平に命令した。
「ワシ自らうって出る! イソノサンダーの発進準備を急げ!」

 その日、大地震の発生により東京都世田谷区が壊滅的な被害を受けた、というニュースが全国を駆けめぐった。事後、大地そのものをえぐりとられたような世田谷の惨状が画像として流れ、世界中の人間が天災の爪痕に戦慄を覚えることとなった。
 だが、世田谷付近にいながら、「大地震」の被害をかろうじて避け得た人々は、誰もが口々に言った――あれは決して地震ではなかった、と。カモメ第三小学校に通う小学生、早川さん(11)は、偶然高層ビルから、「大地震」が起きる瞬間の世田谷地区を見下ろしていた。
「あれは、五芒星というんでしょうか……? 私たちが住んでいるあたりで巨大な星形の線が光ったと思うと、外側の円に沿って世田谷全体が隆起し始めたんです。世田谷はどんどん盛り上がっていって……最後にはすっかり空中に浮きあがっちゃったんです。巨大な球体が浮かんでいて、その上部にちょこんと世田谷地区が乗っている、って感じでした。信じられないと思うんですけど……球体は、球体というか……同級生のカツオ君のお父さんの顔みたいでした。おかげで今、私には帰る家がないんです」
 地震の被害者の声として報道されたのは、最後の一センテンスだけだった。

「フフフ……海平め、今頃慌てていることだろうて。一介の政治屋に成り下がった今の貴様に何ができるというのだ」
 超弩級戦艦イソノルーク艦橋――磯野家の茶の間――にて、波平は茶をすすりつつ一人ごちていた。
「波平様……」
 ちゃぶ台の向こう側から、女性が話しかける。波平の参謀を務める女、お軽――コードネーム「エンジェルお軽」だ。
「此度の作戦、本当にうまくいくのでしょうか……? 私には、波平様が焦っておられるように見えます」
 世田谷ソサイエティの中で唯一、面と向かって波平の方針に疑義を唱えられる人間、それが彼女だった。他人であれば一喝して下がらせるところだが、波平はお軽に笑いかけることで答えた。
「焦ってなどおらぬ。サザエドライブは既に手元に二本あり、最後の三本目も『不動』に回収に向かわせた。万が一『不動』が回収に失敗したとしても、なに、カツオからドールリカを取り返す方策などイクラでもある。いざとなればこのワシ自らがやつを叩いてくれるわ」
「波平様は世田谷ソサイエティを率いるお方。みだりにその身を危険にさらすものではございません」
「ふ……お軽よ。無論、無用な危険に好んで首を突っ込む趣味など、ワシにはない。だが、ときには、『冒すべき危険』というものがあるものだ。『鷹作戦』はなんとしても成就させねばならぬ。そのためならばあらゆるものを投げうつ覚悟を、ワシはしているつもりだ」
 尊敬すべきリーダー、そして愛する男に、お軽は最大限の敬意をもって一礼した。

 磯野家の屋根の上に一人立ち、ただ夜の闇の中を見つめる影があった。
 白いトーガを身にまとい、フードを目深にかぶったその女性は、大聖母フネだった。
「けして思い通りにはさせぬ……」誰に語りかけるでもなく、フネは呟いていた。「悪魔の子をコアにはさせぬ……カツオは呪われた子……けして思い通りにはさせぬ……」

第10話 開戦

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