第10話 ソックス・ダイアモンドの三つの靴下痕
| こんなときこそ、冷静になって考えるんだ。バトラーは自らに言い聞かせた。 ダイアモンドを病院に連れ込む、ということが最初に頭に浮かぶ。銃痕については「銃が暴発した」とかいえば信じてもらえるだろう。幻獣との戦いが続いている現代、自衛のために銃を所持している人間はたくさんいる。だから、暴発事故で病院に担ぎ込まれる人間もたくさんいる。ダイアモンドのような少女が事故に巻き込まれるのも、ザラだ。 しかし……ダイアモンドは何故、こんな人気のない場所で緩慢な死を迎えるような真似をしているのか? まるきり自殺行為だ。 ダイアモンドが最後につぶやいた言葉を、バトラーは思い出す。 「追っ手だったらどうしようかと――」 追っ手。 この部屋に踏み込んだとき、ダイアモンドはバトラーを一瞬追っ手と勘違いしたようだった。つまり、ダイアモンドは追われていたのだ。ダイアモンドにいつか教えられたように、追う方の気持ちになって考えてみる。銃に撃たれた人間を探すにあたり、病院はかなり上位の候補として挙げられる。 むやみに近くの病院に駆け込むのは危険だ、とバトラーは判断した。ならばソックスマーチャントを頼るより他にない。ついさっきのことがあるだけに話を切り出しにくくはあるが、事態は急を要する。 頼むからつながってくれ、と祈りつつ、バトラーは携帯電話を取りだし、ボタンを押した。 ぷるるるる…… ぷるるるる…… かちゃ。 「……バトラーやな……!?」 電話がつながったとたん聞こえてきたのは、息せき切ったマーチャントの声だった。 「ええ。実は――」 「まだまよっとるんやな!?」バトラーの声をさえぎり、マーチャントはまくし立てた。「消えるか戻るか、はよ決めんと選択肢なくなるで、自分。考える時間をやったるゆうたけど、ちょお不味いことになってなあ」 「……と言いますと」 「ソックスバットがソックスダイアモンドを使って、今晩熊本港に入る協会の積荷を襲わせたんや。ダイアモンドは熊本港でウチの部下と靴下戦を行った後逃走、ソックスバットも雲隠れしとる。今、二人の行方を全力で探しとるところや」 ………… ………… 「……なんですって?」 「ダイアモンドのほうは、ソックスマシンガンが数発食らわせたみたいやから、そう遠くには行ってへん思うねんけど」 「…………」 「まあ、自分はウチと一緒にいたからアリバイは万全やけど……この3時間、どこにおったのかみんな聞きたがっとるで。戻ってくるゆうんなら、その辺のいいわけ考えといてや。ほんまに時間ないんで、切るで」 ぷつっ。 手から、携帯電話がぽとりと落ちた。 ソックスバトラーは呆然とした。なんだって、今夜になってことが急に動き始めた? しかし、理由を考えるのは無益なことだ。考えるべきは、自分が今からどうするか、だ。協会に追われ、いまや死の淵に立たされている少女を目の前に、考える。俺は一体何をしたいのか。 ……ダイアモンドを助ける。 それ以外に何があるというのか。あとのことはあとで考えればよい。 ならば、まずやるべきことは、ダイアモンドの体から靴下を摘出し、応急処置を施すこと。応急処置のやり方についてはダイアモンドから習ったことがあるだけで、実際の経験はない。 だが、やるしかない。 バトラーはダイアモンドのそばに膝をつき、傷口を仔細に観察した。 銃痕と思しき傷が三つばかり、ダイアモンドのわき腹に爪痕を残していた。うち一つは位置から見て、銃弾が貫通していった跡のようだ。つまり、ダイアモンドは三発ではなく二発撃ち込まれた事になる。 もう一つの銃痕からは、ダイアモンド自身の血にまみれた靴下がはみ出していた。ダイアモンドを撃ったソックスマシンガンが、恐ろしいことにどうにかして傷口に靴下をねじ込んだのだ。 事態ははきわめてまずい。靴下がいまだにダイアモンドの体内に残り、ダイアモンドの体力を徐々に奪っているのだから。ほうっておけば死に至るのは確実だ。 靴下を摘出しなければならない。だが、どうやって? 乗ってきた指揮車に戻り、応急処置セットを持ってくる。役に立ちそうなのは、消毒用のアルコール、縫合用の針と糸(もちろん、穴のあいた靴下を繕うためのものだ)、そしてナイフ、といったところだ。最低限の処置は可能だ。全身タイツ戦闘服にナイフをさしこみ、切り裂いて脱がせる。裏地に予想以上に血糊がべっとり張り付いているのを見て、一瞬手が止まった。だが、躊躇が一番の敵であることを思いだし、意を決して、バトラーは応急処置を開始した。 「ダイアモンド」返事はないものと知りつつ、バトラーは語りかけた。「今から、君の体の中に残っている靴下を摘出する。麻酔は……ない。君の精神力だけが頼りだ」 『いっそそのナイフで楽にしてやったらどうなんだ? それが慈悲ってもんだ』 心のどこかで、別の自分が言う。それを振り切るように、バトラーは語を継いだ。 「必ず……君を助ける」 心なしか、ダイアモンドの顔が肯くように動いたように見えた。 バトラーは、ダイアモンドの傷口からはみ出た靴下の切れ端に手をかけると、一気に引っこ抜いた。 「……ァッ……がァァ――――ッッ!!」 ダイアモンドの絶叫が、月明かりの部屋の中に轟いた。 縫合を行う頃には叫ぶ声も枯れ果て、ダイアモンドは意識を失っていた。 処置は問題なく終わった。終わったはずだ。しかし、問題はまだある。この廃校舎にたどり着くまでにダイアモンドはどれだけの血を失ったのか? この状態で夜の気温は致命傷となりうる。 バトラーはダイアモンドを固く抱きしめ、毛布を引っかぶった。ダイアモンドの体のあまりに冷たさに、バトラーは陶器を抱いているような錯覚を覚えた。 部屋の入り口から死角になる場所に腰を下ろし、靴下を握り締めた右手だけは自由にしておく。もっとも、このようなことは気休めに過ぎない。ダイアモンドと一緒にいるところを見つかれば、それでアウトだ。夜があけて気温が戻り、ダイアモンドが目を覚ますまでこの体勢を動かすことはできない。いまさらながら、指揮車を廃校舎前に堂々と止めていたことを思い出したが、もうどうにもならない。運を天に任せるのみだ。 現在自分がおかれている状況について、バトラーは考えをまとめることにした。 今日ソックスバットから与えられた任務は、敵対組織の輸入靴下を強奪するにあたり、貨物船にアタックをかける実働部隊のサポートを行うこと、だった。だが実は船も積荷もソックスハンター協会のものだった。ソックスバットが敵対組織と組んで裏切り行為を働いた、というところか。実働部隊というのは実は敵対組織の兵隊だったのだろう。普段から連携を行う別チームと面通しをしないのを逆手に取り、バトラーとダイアモンドを捨て駒にしたのだ。事実、二人とも何も知らされていなかったのだから。 ソックスマーチャントの呼び出しを受けたのはまったくの幸運だった。おまけにソックスバットに奪われた記憶を取り戻すことまでできたのだ。もっとも、その幸運のツケはめぐりめぐってダイアモンドがとばっちりをくらうことになったのだが。 何が幸運なものか。 呼び出しを受けてさえいなければ、たとえソックスバットの思う壺ではあっても、ダイアモンドのサポートをすることができた。少なくとも、ダイアモンドがやられることはなかっただろう。二人でこの状況に対処することができたはずだ。 が、可能性を論じてみたところでいまさらどうしようもない。 「……ダイアモンド。俺、記憶が戻ったんだ……」 気がつくと、バトラーはダイアモンドに語りかけていた。 「ソックスマーチャントに教えてもらった。中村光弘が俺の名前だ、って。ソックスバトラーなんて名前より、はるかにましだろ? でも、どういうわけかうれしくないんだ。記憶が戻ったってのに」 物言わぬダイアモンドに話し掛け、相談の真似事をするだけで、バトラーは不思議と心が落ち着くのを感じていた。 「君の言うとおりだったよ。今の俺は、ただの中村光弘だった頃の俺とは、違うものな。何も元通りに戻るわけがないんだ。帰るべき場所に帰れるのか、受け入れてくれるのかどうか、さっぱりわからない。でも」 ……組織の飼い犬は、もうごめんだ。ただ命じられるままに見知らぬ人間を狩るのは、耐えられない。それは、泥沼というものだ。ソックスハンター協会がどこまでも追ってくるというのなら、俺はどこまでも逃げてやる。腹が固まったことで、頭の中のもやもやとしたものが晴れていくような気がした。それで緊張の糸が切れたのか、バトラーの意識は急速に睡魔の深遠へと落ちていった。だが、意識が消え去る寸前、一つの疑問が湧き上がった。 ダイアモンドは……どうするつもりなんだろう? もそり、と腕の中でダイアモンドが動いた。制止する間もなく、弱々しい足取りで立ちあがる。縫合した傷跡を軽くなでたり、ひょこひょこと飛んでみたりして、ダイアモンドは傷の具合を確かめる。残りの体力を推し量っているのだろう。 縫合にあまり自信のないバトラーは、肩を押さえ、ダイアモンドを再び座らせた。 口を閉ざしたまま、ダイアモンドは真意を確かめるように、その黒い瞳をバトラーに向けた。 「……服、要るよな」 何故かその眼差しに動揺したバトラーは、とっさにそう言った。 「私が乗ってきた指揮車の中に、着替える前の服があります」 いつと変わらない冷徹な調子で、ダイアモンドは言った。いたたまれないものを感じて、バトラーは外へ出た。 外は快晴の青空が広がっていた。その陽光の下、ダイアモンドの乗ってきた指揮車は無残な姿を晒していた。そこかしこに銃痕だらけ、運転席には乾いた大きな血だまりが広がり、血にまみれた靴下が何本も落ちていた。こんな状況で熊本港から廃校舎までたどり着いたのは、奇跡としか言いようがない。 部屋に戻り服を渡すと、いつもどおりダイアモンドは臆面もなく着替え始めた。生々しい傷跡が隠れ、不思議と安堵の気持ちがわく。 着替えを追えた途端、ダイアモンドは部屋から出ていこうとした。 「……っておい」バトラーは驚いた。「その傷でどこに行こうってんだ」 「熊本へ戻ります」事務的にダイアモンドは言った。 バトラーがあっけに取られている隙に、ダイアモンドは外へ出ていった。 我に返ったバトラーは、指揮車の前でダイアモンドを捕まえた。 「ちょっと待て! ソックスバットに合流しようってんなら無駄だ。奴は逃げた」 「……離してください。行かなければ」 「どこへだよ!」 「ソックスバットが逃走する時間を稼ぐため撹乱を行います」言って、傷口に手をやる。「今の私にできるのは、そのくらいですから」 ダイアモンドのバットに対する忠誠心は常軌を逸するところがある、と常々バトラーは思っていた。普段は何気なく見過ごしていたが、今回ばかりは看過するわけにはいかない。 「どうしてそこまでしてソックスバットに仕えようとする!? 今回の件だって、君には何も伝えられてなかったんだろ?」 ダイアモンドは一瞬さびしげに視線を宙にさまよわせた。肯定せず、うなずくこともせず……そして、否定もしなかった。 「何故だ? 今の君じゃ、死にに行くようなものだ。そこまでしてソックスバットに従う理由が、どこにある」 バトラーは詰め寄った。すると、冷徹な、突き放したような視線で、ダイアモンドはバトラーを突き刺した。 「あなたにはわからないでしょうね、中村光弘さん」 「――――!」 一瞬、一年もの靴下を嗅がされたような衝撃を、バトラーは覚えた。 「……聞いていたのか」 「ぼんやりとだけど、夢うつつに聞こえてました。――あなたには、中村光弘という名前がある。帰るべき場所だって、よりどころとする記憶だって、ある。私には靴下しかありません。それだけのことです。あなたは、あなたのいるべき場所に帰るべきです」 「――君だって、ソックスダイアモンドでもソックスバンダナでもなくて、本当の名前があるはずだろう?」 「……あったとして、それがなにか?」 その一言で、バトラーは悟らざるを得なかった。ダイアモンドは、現在の状況を全て受け入れた上で、なおソックスバットの操り人形として動こうというのだ。それは即ち、死にに行くということだ。 怒りとも悲しみともつかない感情で胸が締め付けられるのを、バトラーは感じた。じゃあ、昨日の晩、必死にダイアモンドの命を救おうとした俺の努力はなんだったんだ? が、そのような感情がダイアモンドの冷たいロジックには通用しない、ということはわかりきっていた。ダイアモンドを護りたいのなら、まずは説得方法を変える必要がある。 「……よく考えろ」意識して、バトラーは冷たい声を押し出した。「今の君じゃ、すぐに殺されるだけだ。直接撹乱行動に出る危険を犯すより、身を隠したほうがいいんじゃないのか?」 初めてダイアモンドの目に興味と当惑の色が表れた。それを確認して、バトラーは続ける。 「『ダイアモンド』というカードがまだソックスバットの手元にある、と思わせておいたほうがいろいろと都合がよくはないか? 時間を稼ぐなら、そのほうが賢明だ」 何か言いたげに、ダイアモンドはバトラーの顔をみつめていたが、やがて理論に納得したらしく、弱々しげながらもうなずいた。 「……あなたは、どうするんです」 「君と一緒に行く」 ダイアモンドの当惑の色が、濃くなった。 「君に死なれちゃ困るんだよ。君が死んだら、次は俺のところに累が及ぶからな」 今のダイアモンドには、感情よりも、打算に訴えたほうが手っ取り早い。バトラーはそう考え、答えた。 「しばらくは運命共同体だな。……乗りな。逃亡するには、君の指揮車じゃ目立ちすぎるだろ?」 バトラーの行動に戸惑いを感じたつつも、ダイアモンドはおとなしくバトラーの指揮車に乗りこんだ。 バトラーは大きくアクセルをふかし、指揮車を発進させた。行く当てはないが、何を為すべきかはわかっていた。困難が待つのもわかってはいたが、少なくとも迷いはなかった。 |