第11話 俺たちに靴下はない
| 指揮車は、どこまでも走っていく。 強情だったダイアモンドも体力の消耗がこたえているらしく、助手席であるかなしかの寝息を立てていた。その寝顔を見ながら、バトラーは考える。 本当にこれでいいのか、と。 傍目から見れば、ダイアモンドを連れて逃げることは明らかに愚行だ。自ら好んで災難に巻き込まれているようなものだった。 しかし、とバトラーは自分に言い聞かせる。これは自分で選んだんだ。ダイアモンドを救うと自分で決めたのだ。誰に強制されるでもなく、自分の意思で。ちっぽけなプライドを護るためにソックスハンター協会に一人で立ち向かっているようなものだが、かまわない。自分の意思は最後まで貫き通してみせる。 問題は、この決意をダイアモンドにいつ、どのようにして伝えるか、だ。マーチャントはダイアモンドを評して言った、「ロボット」と。ロボットのごとく感情論を廃した計算を奉じるダイアモンドに、どう言えば納得してくれるだろう。 考え事をしているうちに、道路標識を見逃してしまった。鹿児島までの距離が書いてあるはずなのだが、バックミラーの中の標識は、視認するには小さすぎた。 「……夕方までには、鹿児島県に入れるでしょうね」 ぼそり、とダイアモンドが呟いた。 「……起きてたのか」 「そこで降ろしてください。あとは自分で何とかします」 「いや、一緒に行こう」 「……どこまで?」 「最後まで。一緒に二人で逃げよう」 ダイアモンドから疑惑の目が向けられるのを、バトラーは感じた。 「……正気なんですか?」 「正気の沙汰じゃあ、ないよな」自嘲混じりにバトラーは呟いた。「いつだったか、君が言ったよな……『これは、発狂するか靴下を嗅ぐか、それまで覚めない悪い夢だ』って」 「……そんなこと言いましたっけ」 「言った」 言ってから「ほんとにこんなフレーズだったかなあ」と不安になったが、話を進めるためにバトラーは断定した。 「オレは、靴下を嗅いでないのに悪い夢から覚めた。つまり、正気の沙汰でないことをしたって不思議じゃない」 「ふざけないでください」ダイアモンドは冷ややかに言った。「命のかかっている話なんです。まじめに話す気はないんですか?」 「君だって、自分から死にに行こうとしている。正気の沙汰とは思えない」 「私は……」言葉に一瞬詰まってから、ダイアモンドは続けた。「ソックスバットの意思を、全うするだけです」 「そんなことをして、何の意味がある」 「あなたには、もう関係のない話でしょう」 膝頭に視線を落とし、ダイアモンドは俯いたままじっとしている。口論をするのも億劫だ、と言いたげだ。 空しい言葉を連ねるのを諦め、バトラーは身分証明書を取り出した。 「これがそんなに大事か」バトラーは、問い掛ける。「こんな紙切れ一つで、そんなに変わってしまうものなのか?」 バトラーはカードの両端に指をかけ、力をこめて握りつぶした。ぺき、と乾いた音がして、カードは二つに折れた。 「……なんて……なんてことするんですか!」 演技でもなんでもなく、ダイアモンドは素のリアクションを返した。 「あなた……自分が何をしたのかわかってるんですか!?」 「君と一緒に逃げると決めたんだ。一人分じゃ、意味がない」 指揮車の窓をあけ、バトラーはカードの破片を外へ放り投げた。 「これでまた身元不明、謎の東洋人Xに逆戻りだけど、カードやらハンコやらで証明されている身分なんて、意味がないんだよ」 強がりであることは、否めない。だがバトラーは言いきった。 ダイアモンドは呆然としていた。あのダイアモンドが、驚きに目を見開いたまま、途方にくれていた。 「……どうして、そこまでして私を連れていこうとするんです」 それは、この数時間、バトラーが自分自身に対し頭の中で繰り返していた質問でもあった。結局のところダイアモンドを納得させられそうな論法は思いつかなかったので、バトラーはただ正直に気持ちを述べることにした。 「はじめて自分で決められたから、かな。協会に強制されたわけじゃない、靴下の匂いに導かれたわけでもない。俺が、君を連れていこうと思ったんだ。自分で決めたことは、最後までやりとおす。それだけさ」 言い終えてから、こりゃ全然ダイアモンドを納得させることなんでできないぞ、とバトラーは思った。だが、ダイアモンドは反論に出るでもなく、ただ呆然とバトラーを見つめ返すばかりだった。 「……ま、行く先の無い者同士、仲良くやろう」 「…………」 指揮車は南へ向かい続けた。 予想通り、日没と同時に熊本県境を越え、鹿児島に入った。さっさと鹿児島市に行き、鹿児島港から船で本州へ向かいたいところであるが、助手席のダイアモンドは相変わらず顔色が悪い。さすがに怪我人に夜通しのドライブはこたえるだろう。バトラーは県境の市中に向かい、そこの安いモーテルで一泊することにした。いくらでも部屋は空いていたが、安いところに泊まることにした。クレジットカードを使えば、一発で居場所が協会にばれる。手持ちの現金がさして多くない以上、何らかの形で収入を得るまでは(たとえば、公園のゴミ箱で金塊を拾うとか)倹約で押し通すしかない。 「……というわけなんで、我慢してくれ」 「…………」 ダイアモンドは、否も応もないという風だった。 「……体、拭きたいんですが」 腹部の傷が癒えない以上、シャワーは良くない。バトラーは肯いて、タオルを手渡した。 タオルを手に取ったダイアモンドは、じっとバトラーを見つめた。 「……どうした?」 「服、脱ぎたいんですが」 「……ごめん」 とっさにバトラーは部屋を出た。 適当に喉でも潤して時間を潰そうか、とバトラーは廊下を歩きつつ考えた。それにしても、ダイアモンドにもしおらしいところがあるじゃないか。普段は肌を晒すことをあまり気にしないのに…… ………… 意外、すぎないか? 突如頭の中でサイレンが鳴り響くのを感じ、バトラーは来た道を駆け戻った。鍵のかかった部屋のドアを蹴破り、中に転がり込む。 ダイアモンドはベッドのすみに腰掛け、靴下を手にとってじっと見つめていた。一年もの――嗅げば速やかなる死に至る、凶器だ。 バトラーは即座に一年靴下を奪い取った。 「……何をする気だった?」 諦めきったような、哀れむような微笑が、ダイアモンドの口元をすぎていく。 「……ダメですね。人にやられるのならともかく、自分で自分を狩るのは、怖い」 床に視線を落としたまま、ダイアモンドは言う。 「嫌なんです。もう、疲れました。光弘……いっそ、あなたの靴下で楽にしてください」 無意識のうちに、バトラーは平手でダイアモンドの頬を打っていた。 「どうしてだよ!」バトラーは叫んでいた。「こんなつまらないところで死んで欲しくないんだ! オレは君に生きていて欲しいんだよ! それが無茶な注文だというのかッ」 「気安く言うんですね、生きろだなんて」 打たれた頬をかばうこともせず、ダイアモンドは言い返す。 「私たちは、ソックスハンター協会を相手にしているんですよ……じゃあ聞きますけど、もしこの部屋に協会の手先が踏み込んできたら、狩れるんですか?」 「…………」 それは、バトラーだって予期していないわけではなかった。協会の人間が来たら、ただ黙って処刑されるのを待つだろうか? いや、そんなことはない。自由のために、ダイアモンドを護るために、戦う。誰の命令でもなく、自分の意思で、靴下を投げるのだ。 ポケットの中の靴下に手をやり、その重みを確かめる。一足の靴下は、あまりにも重く感じられた。今まで、自分の意思で靴下を投げ、人を狩ったことはない。なんだかんだ言って、結局のところ、まだ最後の一線を越えてはいないのだ。 バトラーは改めて自己に問いかける。オレは、ソックスハンターとしてではなく、自分の意思で、人を狩ることはできるのか? その時こそ、この両手は靴下の匂いと涎とで、染まることになる。 ………… 「……できるさ」バトラーは、口に出して言った。「奴らがくるというのなら、この靴下を投げる。ためらう理由は何もない」 しばし、沈黙が降りた。 が、やがてダイアモンドのため息が静寂を打ち破った。 「強いんですね、光弘は。昨日までバトラーだった人とは思えない」 その瞳は、空ろだった。全ての支えを失ったたった一人の哀れな少女。ソックスダイアモンドの抜け殻が、そこには在るだけだった。 「……私にも、そんな生き方をしろって言うんですか……」 「……嫌なのか」 「当たり前でしょ!!」 その一言は、いわば駱駝の背を折る一本の藁だった。 乾ききっているはずの両目からこぼれでる、一滴の雫。 ダイアモンドは抑制を失っていた。 「……どうして」 バトラーには、わからなかった。 「君は、僕より強い人間なのに」 「あなたにわかるわけ、ない」ダイアモンドは早口でまくし立てた。「あなたには名前も、拠り所となる記憶もある。でも、ウチは何なん? 組織を捨て、ソックスバットも裏切って……ウチにはもうなんにもない……誰でもない……utinihanmounannmonokottenainndatteba!!」 ボロボロと涙を流しながら、よくわからない言語を、ダイアモンドは叫んだ。 「ちょ、ちょっと待てッ!!」 「utihatadanodaiamonndodeirebayokatta! sokkusubattonodaiamonndodeitakatta! daiamonndodeirebamayoukotomoosorerukotomonakattano!」 一瞬、ダイアモンドが未知の言語を話し出したのかと思った。が、聞いているうちに「どうもこれは日本語ではないのだろうか」と思えてきた。単に訛りがものすごいだけで、基本的な発音は日本語であるように感じられる。興奮のあまり、自分が何を言っているのかすらわかっていないのだろう。ともあれ、何語であるにせよ意思疎通が行えないのでは、文字通り話にならない。 「mounidotokutusitananntenigirenai――yorudattenemurenai.utinikararetahitotatini『omaehananndeikiterunnda』ttekikaretemo,utinihakotaerukotogadekinai――!」 ダイアモンドが感情を爆発させるのにまかせ、バトラーはかろうじて聞き取れた単語の断片を思い出した。 「誰でもない」。 バトラーには、その気持ちが良くわかる。初めて記憶をなくしたことに気がついたあの晩に味わった感覚、地上にいながら暗黒の宇宙空間に放り出されたようなあの孤立感は、は、今もって恐怖を伴い、鮮明によみがえる。ダイアモンドは、自分を心を持たない人形と思い込むことによって、全ての感情を素通りさせてきたのだ。それが通用しなくなった今、ダイアモンドは絶望的な孤立感にただひたすらおびえている。 「――――名前だ」 「…………?」 バトラーは、ダイアモンドを落ち着かせるよう、静かに言った。 「君が君であるために、君に名前をつける。バンダナとかダイアモンドとかいったコードネームじゃなく、君にふさわしい名前を」 ダイアモンドはすっかり押し黙った。 熟慮の末、バトラーは発表した。 「精華……というのはどうかな。苗字もいるかな――モリ・セーカ。森精華。君はこれから、ソックスダイアモンドでもなく、ソックスバンダナでもなく、森精華として生きる――どうかな」 バトラーは、ダイアモンドの赤く腫れた目をのぞきこんだ。 「セーカ――」ダイアモンドは、繰り返した。「……なんか、変」 疲れきったような微笑が、通りすぎていった。それはあまりにも弱々しい、頼りないものだった――が、笑みには違いなかった。 胸を突き動かすような思いが、バトラーの両腕を動かしていた。 「君にも、普通の女の子でいた頃があるはずなんだ」ダイアモンド――精華を強く抱きしめ、バトラーは耳元に語り掛ける。「普通に笑って、普通に泣いて、普通に喜んでいた頃が。俺が、君を普通の女の子に戻してみせる。君が君を取り戻せば、たとえ誰かと傷つけあってでも、誰かに靴下を嗅がせてでも生きていこうと思えるようになる。だから、その時まで生きていて欲しいんだ――」 しばらくの間を置いてから、精華は力なく、だが確実にうなずいた。 「……wakatta」 肯くと同時に何かつぶやいた。しかし訛りがきつくて聞き取れなかったのが、バトラーには心残りだった。 |