第12話 靴下の犬たち
| 翌朝。 バトラーとダイアモンドは直接鹿児島市には向かわず、少し現在逗留中の街にとどまることにした。 問題は二つあった。第一点は、いまだ軍用指揮車に乗って逃亡しているということだ。これはあまりにも目立ちすぎる。普通の乗用車に乗り換えない限り、人の目を引いて仕方がない。第二に、なんとかして路銀を調達しなくてはならない。資金切れもまた死活問題であるだけに、なんらかの方策を講じねばならない。 つまり、生き延びるためには犯罪行為に走らねばならないということだ。できればもう少し大きな街でやったほうが目立たずにすむのだが、今はどうこう言ってられない。 「このへんで降ろしてください」 しかしながら具体的にどうしたものか、と思案しつつ指揮車を転がしているうちに、ダイアモンドがぽつりと言った。 「資金調達してきます。光弘は、新しい車を見繕ってください」 ダイアモンドは、冷徹な仮面をかぶったいつものダイアモンドに戻っていた。まるで昨晩のことなんてなかったかのようだ。ゆえにバトラーとしては、なんとなく声をかけづらかった。まさか昨日のことをまるきり忘れてしまっている、ということはないだろうが、それでも不安だった。 「調達って、どうするの」 「手段はいくらでもあります」 ダイアモンドは視線を車窓の外に向けていた。外の様子に厳しく注意を配っているのだが、一見するとただぼんやりとしているようにである。 「裏マーケットさえ見つかれば、そこでものを売れます」 「売るって、売るものはどうする」 その問いに直接答えず、ダイアモンドは自分の上着に仕込んだ靴下をチェックし始めた。 「約一時間ほど気絶する靴下にしておきましょう。おおっぴらに狩っていては足がつくでしょうし」 ダイアモンドは、通行人を靴下で気絶させ、その隙に略奪を行う心積もりであるらしかった。 「……わかった」 他の調達手段を思いつかない以上、バトラーはダイアモンドに任せるしかなかった。道路脇に指揮車を止め、ダイアモンドを下ろす。 「一時間後に合流しましょう。ここに拾いに来てください」 言って、ふらりと路地裏に入っていこうとするダイアモンドの背中を、バトラーは呼び止めた。 「……精華」 「……なんですか」 ごく自然に、ダイアモンドは振り向いた。 「……いや、なんでもない」バトラーは言いよどんだ。「気をつけて」 一つ肯いて、ダイアモンドは路地裏に消えた。 少ししてから、バトラーは小さな驚きをおぼえた。「精華」という呼びかけに、ダイアモンドはごく自然に振り向いてくれた。それは昨晩のことが幻ではなかったこと、そして、バトラーの言葉をダイアモンドが受け入れてくれたことのたしかな証明だった。そう、ダイアモンドは決して何の感情も持たないロボットではないのだ、とバトラーは改めて思った。これからは、心の中でも彼女のことを精華と呼ぶことにしよう。誓いを胸に、バトラーは指揮車を再発進させた。 不思議だった。 精華、と名を呼ばれ、無意識のうちに振り向いたことが、ダイアモンドには不思議だった。任務の都合上、さまざまな偽名で呼ばれたことはある。演技をやりとおすことに自信を持ってはいる。だが、呼びかけにここまでごく自然に反応できたことなんてあっただろうか。 精華。精華。心の中でその名前、新たなる名前を繰り返す。ただそれだけのことなのに、不思議な気分になるのをダイアモンドは感じていた。 尾行者にかなりの接近を許してしまったのも、そんな取り止めのない思考に没入していたからだった。 尾行は一名。一見ただの一般市民のようななりをしているが、その歩きは明らかにダイアモンドを捕捉していた。 さすがに、こんな場所で協会が網を張っているわけはない。ということは、車で移動中の段階で、尾行されていたということになる。 光弘に連絡をつけなければならない。だが、どうやって? 尾行者は距離を詰めてきた。もはや、行き先を突き止めようという風ではない。直接、捕まえにかかる気配だ。 恐怖にかられ、ダイアモンドは逃げ出した。 指揮車を路地裏の比較的目立たない場所(まあ、指揮車を隠すなど根本的に無理だが)に置き、バトラーは表通りを歩いていた。 前方に、路上駐車している自家用車を発見する。ひょひょいとあたりを見まわし、ドライバーらしき人物が見当たらないのを確認してから、バトラーはその車両にとりついた。ロックを解除し、乗りこんで、プラグをいじってエンジンをかける。この間、90秒。精華に死ぬほど訓練させられたのが効いたな、とバトラーは思った。 ギアを入れて今まさに発進しようとしたとき、対抗車線に、さっきまでなかったはずの車が止まっているのが見えた。 指揮車だった。 愕然とする間もなく、自動車が揺らいだ。ドガン! と音を立てて、何者かが車のボンネットに飛び乗ってきたのだ。 バトラーは叫ぶことしかできなかった。 「――ソックスマシンガン!」 ソックスをはめた拳で、ソックスマシンガンはフロントガラスを叩き割った。そのまま手を伸ばし、バトラーの襟首をつかんで外に引きずり出す。気がついたときには、バトラーはアスファルトに仰向けに寝かされ、ソックスマシンガンに胸板を踏みつけられていた。目の前には、銃口に靴下のひっかかったマシンガンがあった。 「こんなときに鹿児島くんだりまでドライブとは、また遠出したもんだな」厳しい目つきで、マシンガンはバトラーを見た。「なんか理由があるなら、教えてもらいたいもんだな。なあ?」 逃亡生活が早速終わってしまったことを、バトラーは悟らざるを得なかった。 マシンガンは靴下をバトラーの顔に近づけた。 「おめえにゃあ色々聞かせてもらう。心配すんな、この靴下はせいぜい半日眠りつづけるくらいだからよ」 靴下がバトラーの意識を奪い去る瞬間、しかし彼はこれからの自分の運命ではなく、精華のことを考えていた。精華はどうなってしまったのだろうか……と。 精華はただ必死に、路地裏を駆けぬけていた。背後から迫り来る罵声に為す術もなく、おびえ、逃げ惑っていた。 そもそも、普段のダイアモンドであれば、このような接近を許すはずがなかった。もっと遠い距離から尾行者の存在を感知し、まく事ができるはずだった。だが、今の彼女は、策を練る余裕もなく、逃げつづけるばかりだった。なぜなら、彼女はもはやダイアモンドではないのだから。けれども、守ってくれるといってくれた人は、ここにはいない。 そして精華は、路地裏の角で待ち伏せしていた長身の男の胸に思いきりぶつかった。 「…………!!」 男の手首が閃き、靴下が投じられた。 靴下は、ちょうど駆けこんできた尾行者の鼻面にぶつかった。 尾行者は、涎を飛び散らせながら、その場に崩れた。 「……フフフ。このような二流を差し向けるとは、協会もたいした事はないようですねェ。私が抜けた途端このザマですか。嗚呼嘆かわしい、嘆かわしィィ!」 「……、ソックスバット」 精華は、白衣の男の名を呼んだ。 「山車行列のようにぞろぞろと尾行するとは、まったくもってなってないですねェ。もっとも、そのおかげで私はアナタを見つけることができたわけですが。……さて、できればソックスバトラーも回収していきたいところだが、ここはアナタを捕まえられただけよしとしますか。バトラーは、あの女狐にくれてやりましょう。ふフフフフ」 おぼろげな意識の中、バトラーは地下室の床に転がっていた。 かなり早い段階で、捕捉されていたらしい。すぐに捕まえなかったのは、泳がせてソックスバットの行方をつきとめるつもりだったからだ。だが、鹿児島県に入ってもソックスバットは姿を現さず、業を煮やした追跡チームは直接行動に出た、ということだ。 襲撃犯の逃亡を幇助したこと。それは、事実だった。 ソックスマシンガンは、拷問吏としても優秀だった。両手両足を固定したバトラーに靴下を押し付けては気絶させ、すぐさまホースで水をぶっかけて叩き起こす。靴下の快楽に浸ることがまったくできない、というソックスハンターにとっては実に厳しい拷問だった。 「オメエも強情な奴だなあ」あきれたように、ソックスマシンガンは言った。「さっさとソックスバットの居場所を言ってくれや」 「……知らないよ」 バトラーが答えると、マシンガンは即座に靴下をかがせ、そして水をぶっかけた。 バトラーの意識は混濁しきっていた。しかし、本当にソックスバットの居場所を知らないのだから、しかたがない。 「ソックスダイアモンドの居場所は!?」 「……知らない」 靴下、気絶、そして水。ルーチンワークのように拷問は続けられた。 唯一の希望は、精華はどうも捕まっていないらしい、ということだった。どうにかして逃げることができたようだ。バトラーは、それだけで満足だった。どうやら、「守ってやる」という約束は違えてしまったようだが…… 「ちょお、やめとき」 いつの間に現れたのか、ソックスマーチャントが、マシンガンの肩に手を置き、制していた。 「ちょっと、ウチにまかせてくれへん?」 「……大丈夫かよ?」 「自分のやり方じゃ、ラチはあかへんよ」 不満そうに顔をしかめると、マシンガンは思いきりドアを叩きつけて出ていった。 マシンガンの後ろ姿を見送ってから、マーチャントはバトラーを見落とした。 「なにしゃべってもええで。隠しマイクも切ってあるし」 「……そうですか」 沈黙が流れた。二人は、今や様様な秘密を共有していた。説明するまでもなく、マーチャントは全ての事情を理解している。 「……アホやなあ、自分」苦虫を噛み潰したような顔で、マーチャントは言う。「一人でまっすぐ逃げてりゃ、捕まれへんかったのに」 「アホと呼びたければ、呼んでください。俺はやりたいことをやり、ベストを尽くしました。そして負けた、それだけの事です」 「……自分、ほんとに負けた思ってるん?」 咎めるような口調に、バトラーは自嘲の笑みを漏らした。 「この姿が」自分の濡れ鼠な姿に目をやり、「負け犬以外のなんだっていうんです」 「五体満足で、息もしてるゆうのに、負けた思ってるん?」 「まるで、まだチャンスがあるような言いぐさですね」 「あるんよ、それが」 バトラーは頭をもたげた。 「協会が本気で君の事うたがっとるわけちゃうで。ホンマにうたがっとるんだったら、こんな拷問じゃすまへんて」 「……これよりひどい拷問があるんですか?」 「……まあ、な」マーチャントは適当に言葉を濁した。「自分の行動には、ソックスバットと何らかの連携を取っているようなふしもない。つまり、事件直後の自分の行動が、協会側には理解不能なだけなんや」 「……ああ。つまり、協会側には、俺の記憶が戻ったことは知られてないんですか」 「せや。せやから、自分は、身の証さえ立てればええんや。自分が誰の敵で誰の味方なのか、アピールすればええんや」 「……どうやって」 マーチャントはバトラーの目を見据えた。 「自分に、ソックスバットを狩って欲しい」 結局、それなのか。バトラーは、やや興ざめするような思いだった。 「俺は、もうそんなこととは手を切るって決めたんです。俺を巻き込まないでください」 「…………やったら、一つ聞くけど、ダイアモンドは自分の敵? それとも味方? 自分、ダイアモンドと一緒に逃げようとして捕まったんやろ?」 「…………」 今度は、バトラーが黙る番だった。 「協会がダイアモンドを探しとるのは、ソックスバットを見つけ出すための重要な手がかりやからや。ソックスバットを狩ってしまえば、協会がダイアモンドを探す理由はなくなる」 周到な説得であることを、バトラーは認めざるを得なかった。「さもなくば処刑する」という脅迫調であれば、むしろ意地を張って処刑でもなんでもしやがれ、と答えていたところだ。だが、ダイアモンド――精華の事を出されては、否も応もない。 「どうして、俺にソックスバットを狩らせようとするんです」 マーチャントの顔に陰が差した。かつて、廃校舎で見せたような、あの表情。 「――死んで欲しくないからや。自分に、こんなつまらないところで死んで欲しくないんや」 ……こんなつまらないところで、死んで欲しくない。 精華に言ってあげた言葉が重なる。 「……俺が、追跡に参加できるんですか?」 「その辺は、ウチが手ェ回したるから心配はせんでええ」 「現状、ソックスバットの追跡はどうなっているんです」 「全然足跡がつかめへんねや。だから、追跡するのは諦めて、網を張ってる。協会と事を構えて、熊本におれるはずがないからな。今日か明日には熊本を脱出しようとするはずや。今、その辺のコネクションをさぐっとる。どこから逃げようとするのか割り出して、そこを捕まえる。どうや、やってくれへん?」 精華の前で誓ったのだ。自由のために、精華を護るために、戦う。誰の命令でもなく、自分の意思で、靴下を投げる、と。 「……やります」 結局、靴下を握らないことにはどうにもならないのだ。靴下に運命を握られていること呪いながらも、バトラーは、言いきった。 「やりますよ」 精華のためにしてやれることがあるなら、俺はまだ死ぬわけにはいかない。心の中で、バトラーは付け加えた。 |