第13話 俺がソックス・ダイアモンドだ


 午前三時頃、熊本港近辺。
「……かように便宜を図っていただけるとは、私としても恐悦至極の限りですよ、『店主』。ふフフフフ」
 ソックスバットは車の後部座席で、携帯電話越しにかつての上司の声を聞いていた。
『……ならば、さっさと来い。ソックスバット』
 電話から流れ出るのは、裏マーケットの店主として知られる男の声だった。その声はぶっきらぼうで愛想がないものの、ソックスバットにあっさりと居場所をつきとめられたことに内心冷や汗をかいているに違いなかった。ソックスバットが知っているのは、店主の居場所だけではないからだ。店主に熊本脱出のための協力を約束させるには、KGBのソックスハンターからアングラ市場の大物へ、という店主の華麗なる転身の助けとなった二、三の事項についてちょっとほのめかすだけで良かった。店主の用意したモーターボートに乗り、熊本を脱出、長崎をまわりこんで福岡に逃げ込む。それがソックスバットの予定だった。
 上司と部下の数年ぶりの再会、という白々しい会話に、突然緊迫した空気が割り込んできた。
『報告によると、十数名の人間が港を包囲しつつあるそうだが、これはおまえを見送りに来た連中か』
「ふフフフフ。どうやらそのよォですねえ」ソックスバットは、笑った。「できれば、店主、アナタの部下たちに命じて、彼らを出迎えてやって欲しいんですけどねェ」
『……いいだろう』
 店主としては、ソックスバットの頼みを聞いてやらざるをえない。電話の向こう側で歯噛みしているであろう店主の姿を思うと、ソックスバットは愉快な気分になった。このような状況であるにもかかわらず。
 車はやがて熊本港にたどり着いた。
「……ソックスバット」
 車から降り立つと、反対側のドアから出てきたソックスダイアモンドがソックスバットのそばに歩み寄ってきた。
「ソックスバットは、どうしてこんなことを……」
 ソックスバットは平手でダイアモンドの横面を張り飛ばした。
「バンダナ。アナタはワタシの言うことを黙って聞いていればいいのでェす」
「……はい」
 厳しく指摘しながらも、ソックスバットは興味深くダイアモンドを観察していた。ダイアモンドは、明らかに落ち着きをなくしていた。調律の狂った楽器からは狂った音程しか出てこないように、ダイアモンドの冷徹さは狂いを見せ始めていた。本来であれば、熊本港で返り討ちにあった晩、戦闘能力を失った時点でダイアモンドはもっと自滅的な行動に出ているはずだった。ところが、ダイアモンドはバトラーにつられて奇妙な行動をとり始めた。
 ここらが寿命なのか、とソックスバットは思った。年月をけみした靴下はやがてただの布くずとなるように、ソックスハンターにだってやがて寿命は来る。それよりも気になるのは、急激な劣化をもたらす原因となったほうだ。予想外の結果をもたらした被験体ほど興味深いものはない。その点、ソックスバットとしてはバトラーを手放すことを非常に残念に感じていた。
「さっきの電話を聞いていたとは思いますが、協会の皆さんが盛大なお別れパーティを開いてくれるそうです。ふフフ、バンダナ、熊本の最後の思い出として一働きしてもらいますよ。ところで、アナタ、靴下は持ってますか」
 ダイアモンドは首を振った。現在の手持ちの靴下の本数では、迎撃を行うにはあまりにも心もとなかった。
 ソックスバットは考え込んだ。店主の助力を当て込み、靴下を借り受ける事はできる。だがさすがにそこまで相手を頼るのは、やや間が抜けている。
 手に持ったアタッシュケースを、バットは見やった。脱出するにあたり、厳選した靴下コレクションをいっぱいに詰めこんでいた。どれもこれも値打ち物ばかりで、ソックスコンバット使い捨てるのは気が引けるところだ。
 だが、ソックスバットは知っていた。芸術品としての靴下が最も素晴らしい輝きを放つのは、獲物の涎を吸う瞬間であるということを。
「これを使いなさァい」ソックスバットは、アタッシュケースをバンダナに差し出した。「分量は十分にあるはずです。港中を涎の海に変えるだけの量がね。ふフフフフ」
 ダイアモンドは、うやうやしくアタッシュケースを受け取った。

 協会の追っ手の一団がたどり着いたとき、港はすっかり静寂に包まれていた。
 バトラーは不安に襲われた。本当にソックスバットはここから熊本を脱出するつもりなのだろうか。だが、今は情報を信じるしかない。仮に港以外の脱出ルートを使うのならば、もはやバトラーには止めようがない。バットがこの港のどこかに潜んでいることを、ただ祈るしかなかった。
 車から降りて一歩踏み出そうとしたとき、背後でソックスマシンガンがマシンガンをかまえる気配がした。
「……気にいらねえな」
 ソックスマシンガンは、銃口に靴下を引っ掛けたマシンガンをバトラーの背中に向けた。
「なにが?」
 前方を見据えたまま、バトラーは尋ねた。
「マーチャントはおまえのことを完全に信頼してるみてェだが、オレには納得いかねえ。今ここで、おまえが靴下をオレたちのほうに向けねえという証拠がどこにあるってんだ。おまえが今持っている靴下――オレたちを全員狩ってもおつりが来るはずだ」
「そいつは、俺を信用してくれ、としか言いようが無いな」
 バトラーは、苦笑いするしかなかった。むしろ、マシンガンの疑惑は当然のものといえる。
「信用できねえ、と言ったら?」
 マシンガンは、銃口をバトラーの背中に押し付けた。
 一触即発の雰囲気に、周りの人間たちも息を呑んだ。
 バトラーは、一つため息をついた。そして、全身の至るところに隠した靴下を次から次へとコンクリートの地面にばら撒き始めた。
「……何をしている!?」
「オレを信用せずにはいられないようにしている。信用できねえって言ったのは、アンタだぜ」
 見る見るうちに、靴下の山ができていく。
 ただ一本の靴下を残して、バトラーは全ての靴下を捨て去った。
「さすがに靴下一本しかなかったら、背中から撃たれるとは思わないだろ? 靴下一本であんたら全員を狩る方法は、さすがに知らないからな。ま、ソックスバットを狩るには、靴下一本あれば十分だ。この一年物の必殺靴下があればな」
「吠えるな、坊主」
「アンタに背後から嗅がされるよりは、マシだ」
 整然と並ぶコンテナの間を、ソックスマシンガン以下十二名は慎重に前進した。
 靴下戦は唐突に始まった。コンテナの上部から、あるいは前方から、バラバラとばら撒かれる靴下。敵は十分な人員を揃えていた。チンケな密輸業者では、ない。
 奇襲を食らったにも関わらず、マシンガンたちの対応は素早かった。即座に散開し、反撃を行う。港は多量の靴下が飛び交う戦場と化した。
 その戦場に実質的に丸腰で立たされているバトラーは、来た道を逆方向に駆け出した。「どこへ行く!」と追っ手の一人が叫ぶ声が聞こえたが、無視して突き進む。逃げたと思われても仕方が無いが、バトラーは結果を出す必要があるのだ。
 狩るべき相手は、ただ一人。

 ダイアモンドは、コンテナの上で狙撃体勢を取っていた。
 狙いをつけては、靴下を一本一本投げて、追っ手を確実にしとめていく。ダイアモンドは、最小の本数で片をつけるつもりだった。靴下を投げるたび、完全には癒えていない脇腹の傷が疼く。いずれ傷口が開くのは目に見えている。
 もう一つ、貴重な靴下を次から次へと放り投げるのは、心が痛む。ソックスハンターとしてすりこまれた価値観から脱却することはできなかった。
 シンデレラの姉たちがガラスの靴を履こうとして自分の足を切った時に履いていた靴下(つま先の部分が切れているのとかかとの部分が切れているのと二種類ある。当然血のしみで紫色だ)。
 女性活動家アメリア・ブルマーの靴下。
 その一生全てをテーブルの上で過ごしたというサン・ホアン・エル・ピラータの聖女ホアニータの靴下。
 投げるたびに、ソックスハンターの本能、魂の奥深い場所に埋め込まれた何かが、疼いた。
 この痛みは、福音だ。ともすれば途切れそうになる意識の中でダイアモンドは、感じた。痛みは、全ての雑念を払ってくれる。怯えもためらいも、ハンターとしての呵責も、すべてを焼き払ってくれる。この痛みがある限り、ダイアモンドはただのダイアモンド、ただのソックスハンター、ただの猟犬でいられる。ハンデは技術と靴下で補う。それでこそ、ソックスバットの最高傑作、ソックスバンダナなのだ。

 靴下が空を舞う気配もだんだんと薄れつつある。どちらが優勢であるにせよ、靴下戦は終わりに近づいている。さっさとソックスバットを見つける必要がある――と内心焦りつつ、バトラーはコンテナの角を回りこんだ。
 背後で靴下をかまえる気配がした。ここに来るまでに敵はいなかったはず、とバトラーは素早く背後に視線を走らせ、納得した。協会の追っ手チームの一員だった。が、その手の靴下は明らかにバトラーを狙っていた。
「この裏切り者……!」
 どうにも言い訳できない状況だった。とりあえず逃げようとしたその時。
 彼方から飛来した靴下が追っ手の顔にクリーンヒットした。涎を飛ばしてその場に倒れる。
 バトラーはコンテナの陰に飛びこんだ。
 向こう側のコンテナの上に狙撃手がいる。おそらくそこからは、棒立ちになっている二人の男の姿が見えただろう。最初に追っ手の方が狙われたのは、ラッキーだったとしか言いようが無い。応射すべく、バトラーは次の攻撃を待った。
 しかし、いくら待てども第二弾は飛んでこない。
 回り込もうとしているのだろうか。慎重にバトラーはコンテナの陰から半身を出した。
 靴下は飛んでこない。
 さらに半歩踏み出し、全身を晒す。
 途端に靴下が足元のあたりに飛んできた。もう一度コンテナの陰に飛びこみ難を逃れる。
 正面から距離を詰めることを諦め、バトラーは逆方向からまわり込むことにした。
 コンテナの間を駆けぬけながら、バトラーはふと疑問に思った。一発目の靴下は恐るべき精度で追っ手の男を狩ったというのに、二発目の靴下は足元というまったく殺傷能力の無い場所に落ちてきた。妙な話だ。まるで向こうにこっちを狩る気がないような――
 そこまで考えて、バトラーはある可能性に思い至った。
 ……狙撃手を確認しなければならない。
 狙撃位置の反対側から接近し、コンテナの上に上る。遮蔽物の陰に、ほんの少しだけ飛び出ている頭が見える。
 バンダナをかぶった頭が。
 一歩進み出ると、バトラーの気配に気づいて、狙撃手は振り向いた。
「――バトラー!?」
 お互いの姿を確認する間もあらばこそ、
「バンダナ! 何をしているのです!?」
 バトラーのもとを数本の靴下が襲った。意外にも、横合いからソックスバットが攻撃を仕掛けてきたのだ。
 ひょいと飛びのいて、靴下を回避する。だが、予想外のソックスバットの登場にバトラーは慌てた。二対一で連携攻撃を仕掛けてこられたら対処の仕様が無い。しかも靴下一本でどうやって切りぬける――!?
「おらぁぁ――――ッ!!」
 助けは思わぬ方向からやってきた。靴下を乱射しながらソックスマシンガンが突っ込んできた。たまらずソックスバットは出てきた物陰に引っ込んだ。
「靴下一本で投げ合いなんて、おめえかっこつけ過ぎだ!! ソックスバットは一人か!?」
 バトラーの横に駆け込んできて、マシンガンは怒鳴った。
「いや、どこかにダイアモンドが」
 わずかに目を離した隙に、ダイアモンドの姿は見えなくなっていた。
「よし、ダイアモンドはオレが引きうけた。おめえはソックスバットを追いかけな」
 肯いて、バトラーは駆け出した。
 今ここでソックスバットを狩る。

 港を駆けぬけながら、ソックスバットは追われる恐怖を味わっていた。殺意の塊が背後から迫り来るようだった。信じがたい事に、バトラーは殺意という感情の下に動いていた。自我を剥奪された冷徹なマシンではなく、怒り狂い吠えてける獅子として、狩りを行っていた。これがソックスハンターとしての天与の才能だというのか。
 視界が開けた。船着場に脱出用のモーターボートが到着していた。その距離約五十メートル。遮蔽物は何も無く、背中をまるまるバトラーに晒すことになる。だが、選択の余地などありえない。逃げきらなければ、嗅がされ、狩られるだけだ。
 ソックスバットは、生死をかけた疾走を開始した。

 既に視界がかすみつつあった。足元もおぼつかない。どこに向かって歩いているのか、ダイアモンド自身にすら定かでは無かった。一歩足を踏み出すたび、傷が疼き、体をさいなむ。
 しかし、目の前の光景が像を結んだとき、ダイアモンドの中で何もかもがはじけ飛んだ。
 モーターボートに向かって走るソックスバットの背中に、バトラーが迫っていたが船着場にたどり着く前に、バトラーはソックスバットを捕まえ、嗅がせるだろう。
 それだけは、それだけはやめて!
 心の中でダイアモンドは絶叫した。だが、もう靴下は投げられない。狙いをつけて靴下を投げるなんて事はもうできなかったし、そもそもバトラーを狩ることなんてできやしない。
 ならば、できることは一つしかない。
 全てを忘れて、ダイアモンドは跳ねた。

 確実に、バトラーはソックスバットとの距離を詰めていた。
 一投で全てを終わらせる。貴様だけはこの手で狩ってやる、ソックスバット。
 二人分――バトラーとダイアモンドの憎しみを込めた靴下を、投げる体勢に入る。
 反撃しようとしてか、それともせまり来る死を覚悟してか、ソックスバットが走りながら背後を振り向いた。
 その鼻面に照準を定めて、バトラーは手首を閃かせた。

 ダイアモンドが二人の間に割り込んだのは、まさにその時だった。

「……ふフフフフ……」
 哄笑が響き渡った。ソックスバットの哄笑が。
「ふフフフフ! イイ! そのフ抜けた顔、すごくイイィィ〜! ソックスバトラー!」 ダイアモンドの体は、ソックスバトラーの腕の中に力なく崩折れていた。
 ソックスバットの命を速やかに奪い去るはずの必殺の一撃は、ダイアモンドが受け止めていた。
 がくり、とバトラーは膝をついた。
「ダイアモンドから習いませんでしたか? 獲物を確実に狩るときは靴下を最低二本投げろとね! ふフフフフ」
 ソックスバットの靴下が、ぴたりとバトラーの顔に向けられた。
 バトラーは、まったくの本能のみで、横っ飛びに身を投げた。
 意図を察して、ソックスバットは靴下を放った。が、バトラーのほうが一瞬早かった。横に転がり続けた体は拠るべき地面を失い、自由落下を開始する。
 海に落ちる寸前、バトラーの脳裡にはダイアモンドの姿が浮かんでいた。精華と呼ばれ、ごく普通に肯いた時のダイアモンドの姿が。
 どうしてなんだ? どうしてなんだ、精華――?
 君を幸せにしてあげるって言っただろ?
 意識は、波音とともに掻き消えた。

 東の空があけ始める頃、ソックスハンター協会の本隊が到着した。十数台の車が波止場に滑り込み、結構な人数の構成員が布陣を展開していく。
 今更張りきられても、遅いんだがな。心のどこかで、バトラーは考えていた。
「おーい、誰か毛布持ってきてねえか?」
 ソックスマシンガンが声をかける。海に落ちたあと、バトラーはソックスマシンガンに引き上げてもらったのだった。夜明けの冷気は、ひどくこたえる。
「これを使え」
 毛布を持ってきたのは、あろうことかソックスコロンビアだった。わきにソックスマーチャントを従えている。軽く礼をして、バトラーは毛布を引っかぶった。
「面目ねえ。ソックスバットを逃しちまいました」
 マシンガンは、ソックスコロンビアに報告した。
 コロンビアは、あたりの様子を見まわした。
「しかも、おまえたちを除いて先遣隊は全滅したようだな。ふむ。さすがは最強の狩人、ソックスダイアモンドだな」
 特に責めるでもなく、何を考えているのかよくわからない口調でコロンビアは言う。
「ああ、でも」マシンガンは付け加えた。「ダイアモンドはバトラーが仕留めました。こいつがダイアモンドとサシでやりあったんですよ」
 後ろで、マーチャントが息を飲んだ。
 たしかに、結果としてはそう見えないこともない。皮肉な思いで、バトラーはコロンビアを見上げた。
「すまなんだな。許せ」コロンビアはバトラーの肩に手を置いた。「今回の造反は慎重に慎重を重ねる必要があったのでな。君にはなかなかむごい仕打ちをしてしまったようだが」
 きっと拷問のことを言っているのだろう。もはや、どうでもいいことなのだが。
「これでおまえの協会への忠誠は証明された。今後とも協会のために尽力してくれ、ソックスダイアモンド」
 まるでその場の空気が凍りついたようだった。
 コロンビアは、バトラーを、ダイアモンドと呼んだ。
「それって」マーチャントが口を開いた。「彼にダイアモンドの名を襲名させるゆうことですか」
「そうだ。彼はダイアモンドを倒したのだろう? ならば、協会最強のハンターの称号を与えることに何の問題がある」
 口の端を吊り上げ、コロンビアは笑った。
「そりゃまあ、確かに」
 ソックスマシンガンも口篭もる。
 もはや、今のバトラーには、犬畜生と呼ばれようが靴下野郎と呼ばれようが、知ったことではなかった。
 だが、よりによって――ソックスダイアモンド、だと?
「ソックスダイアモンド」コロンビアは、バトラーの目を見た。「暗黒ソックス街に君の名を轟かせるのだ――最強の狩人として、そして恐怖の象徴して、な」

 

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