第3話 靴下を狩る者達


 心を落ち着けて、静かに気配を感じ取る。
 右往左往する、標的の気配を。
「……白。三匹」
 ダイアモンドの声を合図に、バトラーは踵を返す。視界を覆うのは、テント内を駆けめぐる猫の群。鼠をかたどった自走するオモチャを追いかけて、めまぐるしく四方八方に走っている。
 ベルトからぶら下げたソックスに手を伸ばす瞬間には、すべての目標を捕捉し終えている。もっとも近くを走る白猫三匹だけを、意識のうちに上らせる。「三匹の位置を確認する」のではない。スピード、進行方向を見て、「三つの存在を感じ取る」。
 あとは、三つの靴下を投げつけるだけだ。これも、「狙って投げる」を三回繰り返すのではない。一度に狙いを付けて、一度に投げる。
 三秒後には、三匹の白猫だけが、靴下を鼻先に投げつけられ、気絶していた。
「……だんだん、コツがつかめてきた」
 それは、バトラーにしてみればごく控えめな自己評価だった。はじめの頃に比べれば格段の進歩だ。以前は動く標的どころか、狙ったところに靴下を投げつけることすらできなかったのだ。
 だが、ダイアモンドはあくまで手厳しい。
「仕留めたのは二匹。一匹は浅いです」
 十秒もたたないうちに、一匹が意識を取り戻して、起きあがった。バトラーの持つ靴下は、猫を約十分間ほど気絶させる程度に調整されている。すぐに目が覚めるということは、匂いを完全に嗅がせられなかったということだ。
 課題をこなせなかったという事実に、たびたびバトラーは軽い失望を覚える。だが、それよりも、何一つ見逃さないダイアモンドの眼力に対する驚きが、常にそれを上回る。彼女は、靴下の当たり方を見て、猫がどれくらい気絶しているか即座に見抜くのだ。
「静止した標的を狙う、なんてケースは滅多にありません。標的は動くもの、ということを念頭に置いてくださいね」
「……努力する」
 その時、テントの外で車が走って近づいてくる音が聞こえた。気絶していた猫の様子を見ていたダイアモンドが、音を聞いて立ち上がる。
「……お迎えみたいですね」ダイアモンドはバトラーの方を見ずに言った。「今日の訓練はここまでです」
 思わずバトラーは息をのんだ。バトラーへの訓練よりも優先度が上回る仕事といえば、一つしかない。
 ソックスハンティングだ。
「……任務、なのか」
「ええ。あと、この子達のこと、よろしくお願いします」
 ダイアモンドはあっさりと答え、テントの外へ出ていった。
 ダイアモンドはただの講師ではない。ソックスハンターなのだ、と今更ながら気づかされる。そして、その彼女から教えを受けている以上、いつかはバトラー自身もハンターとしての任務を与えられることになる。
 実感がわかない。現在のバトラーの環境が既に絵空事の世界のようなものなのである。その先に待っていることなど、とうていバトラーの想像の及ぶところではない。それは、形を持たない不安だ。

 猫たちにエサを与えた後、バトラーは一心にサンドバッグの打ち込みに励んだ。モヤモヤとしたものを吹っ切るため、体を動かしたかった。ただ、サンドバッグを殴る事だけに集中し、不安を追い払いたかった。
 その最中、バトラーはふと人の気配に気づいた。
「……気にせんと続けてや」
 声がかかる。だが、普段バトラーとダイアモンドしかいないこの場所で第三者の声を聞いてしまっては、気にするな、と言う方が無理だ。サンドバッグを叩く手を休め、バトラーは振り返った。
 赤毛の女が、腕を組んで立っていた。
 覚えている。はじめてここで目覚めたとき、後ろの方に立っていた女性だ。だが、なにか印象が違う、とバトラーは考えた。以前にあったときは、もっと冷たそうな感じを受けたのだが。
 そもそも、この人は一体誰なんだろう。
「大したもんやね、自分」
 少ししてから、自分が褒められたことに気がつく。奇妙な感覚だった。ダイアモンドは、褒め言葉など一切口にしない。そして、関西弁特有の、「自分」を二人称で使うしゃべり方も、なにやら妙だ。
 バトラーの戸惑いに気づいて、女は緊張をほぐすように笑みを浮かべる。
「ウチのことは聞いてる? ウチはソックスマーチャント。ソックスハンター協会の一員や。ソックスバットの上司にあたる。やから、自分やダイアモンドの上司でもある、ちゅうわけや」
 ソックスハンター協会。謎の言葉、すべての元凶。バトラーは聞かずにはいられなかった。
「その……ソックスハンター協会とは、なんなんです」
 答えを期待してはいなかった。が、意外にも、マーチャントは少し間をおいてから、答えた。
「せやなぁ……法的靴下のない世界に、別の種類の靴下を作ろうとしている集団のこと、ちゅうたらええんかなあ」
「……どういう意味です」
「ソックスハンターのことは知っとる?」
「ええ、一応は」
「そういう連中の集まりを一個の国家とすると、ウチらは国連みたいなもんや」
 言って、マーチャントはにっこり笑う。
 ソックスハンターの国家? 靴下国連? 法的靴下?
 バトラーには、さっぱり訳が分からなかった。この人流のごまかし方なのだろうか。だが、顔に浮かぶ笑顔は、とても嘘をついている顔とは思えない。
「つまり、ソックスハンターの総大将ってことなんでしょうか」
 とりあえず、バトラーは当てずっぽうで言ってみた。
「んん〜……ちょっと違うんやけど、まあ今はその程度の認識でええわ」
 あまり的はずれなことを言ったわけではないらしい。謎は謎のままだが。しかし会話の流れ上、もう一度聞くわけにもいかないので、バトラーは黙らざるを得なかった。名前から察するに、非合法なソックスハンターの集団なのだろう。それも、ごく強大な。とバトラーは勝手に解釈した。
 と、急に、マーチャントの顔に陰が差した。
「……今度のことは、あやまっとかんと、あかんね」
「…………」
 またしても、バトラーは驚かされた。謝罪なんて、ここではもっとも望み得ぬ言葉だと思っていた。人並みの気遣いを受けるなんて事はありえない、そう信じ込んでいたのだが。
「全然予期してへんことやった。事故、ゆうてもええかもしれん。こうするしか、自分を守ってやることができなかってん。けど、自分には選択の余地を与えられなかった、ね。恨んでる?」
 心の何処かで、なんか胡乱な関西弁だなあ、と思いつつも、バトラーは口を閉じ、マーチャントの言葉を反芻してみた。
 恨んでいないといえば、嘘になる。だが、こんな風に、一人の人間として相応の扱いをされた以上、そう簡単に「おもいっきり恨んでいる」とは言えない。
「……わかりません。そういうことは、考えないようにしてますから」
 思わず、バトラーは言い抜けをした。
「一つだけ、分かって欲しいことがあるんや」マーチャントの声は真剣だ。「最初の日、自分はソックスハンターとしての才能を見せた。そして今日はソックスハンターとしての成長ぶりを見せてくれた。正直言って驚いてるわ、ウチ」
 ひょっとして、猫を窒息させる訓練をしていたときからここにいたのだろうか、とバトラーはやや的はずれなことを考えた。そうも、褒められるという事実がピンとこない。
「自分のコーチ、なんで『ソックスダイアモンド』って呼ばれてるか、知っとる?」
「……いえ」
 バトラーは首を振った。その名をはじめて聞かされた時には不思議に思ったが、その理由について考えようとは思わなかった。あの白衣の男――ソックスバット――の思考パターンを見抜くなんて不可能だ、とすぐに悟ったからだ。
「ナンバーワン、なのよ」マーチャントは説明する。「『ソックスダイアモンド』は、協会最強のソックスハンターに送られる称号なんや。彼女は、最強のソックスハンターちゅうわけ。自分は、最高のコーチについてもらって訓練を受けてるんよ。素質を見込まれて、エリート扱いされてるってこと」
「……そのことを、感謝しろとでも?」
 思わず声が固くなる。
 また、マーチャントの顔に陰が差した。
「たしかに、ウチらは自分から多くのものを奪ってしまったわけやけど、……そのかわり、多くのものを与えることもできる。そのことを覚えといて」
 重い沈黙が場を支配した。バトラーは口を開くことができなかった。マーチャントが、本当に、心から良心の呵責を感じているように見えたからだ。何を言えばいいのか、まったく見当もつかなかった。
 拒絶とも取れる沈黙を、しかしマーチャントは無視し、もう一度笑って見せた。
「もう行かんと。ほんじゃあ、またね」
 くるりと背を向け、マーチャントは歩み去ろうとした。
「……あの」
 やっとのことで、バトラーは声を発した。マーチャントは立ち止まり、顔だけ向き直る。
 だが、話すべき言葉が思いつかない。
「……じゃあ、ダイアモンドの本当の名前は、なんなんです」
 やっとのことで出た質問は、しかし、場を取り繕うものでしかなかった。
「コードネームはソックスバンダナ。本名は、まあ多分、ソックスバットしか知らんやろね。彼女も自分と同じで、記憶を消されたクチやから……ね」
 言って、マーチャントは立ち去った。
 なんともやりきれない気持ちに、バトラーはなった。なにか、もっと別のことを聞きたかったはずだった。なのに、それがどうしても言葉として形にならない。
 ただ、咄嗟に出た質問は、意外な事実を引き出した。ダイアモンドも、記憶を奪われたのだという。あの異常なまでの感情の起伏の無さは、それが原因なんだろうか?
「それにしても……」バトラーは一人呟いた。「ソックスバンダナ、ってあまりにもあんまりな名前だな……」
 そして、しばらくその場に立ちつくした。バット、バンダナ、そしてバトラー。「バ」さえつけば何でもいいんだろうか、と考えながら。

 呼び出しを受けたダイアモンドがソックスバットの邸宅についたとき、ソックスバットは靴下コレクションの手入れを行っていた。
 ナポレオンがエジプト遠征時にはいていた靴下。
 頼朝九歳の靴下。
 裸足のランナーアベベの靴下。
 古今東西の名士の靴下を眺めて、悦に入る。ソックスバットにとって、至福の一時だった。
「……どォです、ソックスバトラーの仕上がりは」
「技術面ではほぼ仕上がっています」
 体全体で喜びを表すソックスバットの奇態を前にして、ダイアモンドはやはり淡々と語る。
「そォですか……ちょうど良いカリキュラムがあります。精神面を仕上げるために、実技試験を用意する必要がありますかねェ」
 意識は靴下の方に向けたまま、誰に語るでもなく呟く。が、やがてソックスの手入れが一巡すると、ソックスバットは、ダイアモンドに向き直った。ソックスハンターの手入れをするときだ。
「バンダナ、来るのです」
 ソックスバットが自分の教え子を元の名前で呼ぶとき、それは彼女を自分の所有物として扱うときだった。
「……はい……」
 返事をして、ダイアモンドは服をすべて脱ぎ捨てた(ただしバンダナは巻いたままだ。それはソックスバットの命令である)。シェードランプの燐光に、少女特有の柔らかな体の線が浮かび上がる。
 ソックスバットは両手に香油を用意し、ダイアモンドの体を引き寄せた。首筋、肩、腹、尻へと念入りに香油を擦りこんでいく。軟らかな肉の感触を楽しみつつ、しかしソックスバットはその下に潜むしなやかな筋肉を探り当てては、満足する。それは極限のバランス感覚だった。少女という外見の下に破壊力を秘めた強靱な肉体が隠されているとは、誰にも想像がつかない。外見で油断させておいて素早く狩る、それがダイアモンドを「ソックスダイアモンド」たらしめる所以である。ソックスバットにとって、ダイアモンドは芸術作品だった。靴下というものの美について考え抜いた結果の作品、それがダイアモンドだった。
「ふフフフフ……これを履きなさァい」
 突然のインスピレーションに刈られ、ソックスバットはコレクションの中から一組の靴下を取り、ダイアモンドに手渡した。ダイアモンドは黙って靴下をはき、全裸に赤い靴下という無防備な格好をさらした。
「いいッ! すごくイイ〜! バンダナ、あなたは完璧です。完璧なソックスハンターです」
 感極まって、ソックスバットは少女の首筋に舌を這わせる。
 芸術品は時を越えて不滅の輝きを放ち続ける、とソックスバットは考える。ダイアモンドという芸術も不滅であり得るのか……その答えは、もうじき出る。
「バンダナ、アナタはバトラーを完璧に仕上げるのです。ふフフフフ……あなたの完璧さを次の代に継承してみせなさい」
 その時こそ、ダイアモンドは真に完全無欠のソックスハンターとなる。ソックスバットは、そう確信していた。
「……はい……」
 ダイアモンドは、うつろな瞳を宙にさまよわせながら、ただ一言、頷いた。

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