第6話 靴下果つる街


 ユーラシア戦線が悪化するのに比例し、大陸から日本に渡る難民は続々と増えつつあった。特に玄関口といえる九州では人口の増加率が著しく、大きな市には最低一つ難民街区ができあがっている、というのが現状である。ここ熊本市も例外ではなく、市東部を中心に、中規模の難民街区が形成されていた。難民というと聞こえは悪いがそこは中国人である。中華鍋一つあればどこにでも住める、という適応能力の高さを発揮して、活気のある立派な中華街を作り上げていた。人々は、いつか再び故郷に帰る日を夢見て、日々の仕事に精を出し、生活していた。
 そんな中国人達が行き交う雑踏の中、明らかに場から浮いている二人の男がいた。
「驚いたな。ここは本当に日本なのか?」
「これが中国人の驚異的な生命力ですよ。彼らは海の向こうに自分の街を持っていくことができるんです」
「チッ。ケタクソ悪い」
 二人の内体の大きな方が、口元をゆがめた。髪型をさながらイワトビペンギンのように固め、白いスーツを着たこの男は、明らかに異彩を放っていた。大の男でも思わず後じさりしてしまうようなオーラを放っていた。
「……それにしても」
 もう一人の男はというと、身長自体はいい勝負なのであるが、白いスーツの男との対比のおかげで、やたらひょろりとしているように見える。黒いスーツに身を固め、長く伸ばした髪を後頭部で無造作に結わえていた。
「あの女の言うこと、本当に信用していいんでしょうか」
「信用なんざしてねえよ」白スーツの男は断言した。「ただ、あの女の指さす先には靴下と金が待っている。おれたちはソレ目指してまっしぐらに走っていくだけよ。……遠坂、堅実なのもいいが、ブルってるって思われたらおしまいだぜ?」
「…………」
 黒スーツの男は、黙って拝聴する。
「その驚異的な生命力とやらのおかげで、いまやヤミ靴下の流れは中国人に握られっぱなしだ。手を打たなきゃなんねえんだよ。俺たちの生活圏までこうなっちまう前に、な」

 新市街のとあるショッピングモール、吹き抜けから下階の広場を見下ろす通路をソックスバトラーは一人歩いていた。清潔かつ整然として落ち着いた雰囲気の人気の店なので、平日であるにも拘わらず人出は多い。幻獣戦線の悪化をも忘れてしまいそうな陽気さが、フロア全体にはあった。
 ただ一人、ソックスバトラーは違和感を覚えていた。かつてごく普通の暮らしをしていた頃は、市井の人間として自分もこの雑踏に混じり込み、人混みの一部でいたのだろう。だが今は、自分はこの雑踏には混じり込めないのだ、という確信があった。自身が異質な存在に変わり果ててしまっている、ということをこのような場所に来るたびに再確認してしまう。
 バトラーは財布を開き、偽の身分証明書に目をやった。名義は滝川陽平、一五歳。偽名は覚えやすかった。なにしろ、はじめて狩った相手の名前だからだ。
 あれから、四人を狩った。もう、「試験」の時に見せた動揺は、ない。あの日、普通の心を持ったごく普通の少年は、死んでしまった。今はただ、ソックスバトラーという名の狩人が一人いるだけだ。
 狩人は、注意深くあたりの様子を窺った。そこかしこに黒服を着た男達が立っているのを、一人一人確認しては数えていく。今日の標的は、ソックスプリンシパル。社会的にはとある女子高の校長だが、その正体は老舗といってもいい靴下組織の一つ、BS団の幹部である。孫娘の誕生日に靴下を買ってやるため、みずから品定めにやってくるらしい。もっとも、次のターゲットが自分であることを悟っているらしく、多人数のボディガードを引き連れている。目視が一五人に達したあたりで、バトラーは数えるのを止めた。
 その時、胸ポケットの携帯電話が鳴った。
「ターゲットを発見しました」
 ソックスダイアモンドの声が、耳に届いた。
「……ただ、一人トレーサーをつけられました」
「へえ?」世間話をするかのようにごく普通に、バトラーは答えた。深刻な話をしている風に見られるわけにはいかない。「君にしては珍しく、間の抜けた話じゃないか」
「一階の噴水のところで待ってます」
 事務的にそれだけ告げると、ダイアモンドは電話を切った。
 バトラーは携帯電話をしまうと、ぶらぶらと歩き始めた。このショッピングセンターの間取りは、完全に頭の中に叩き込んでいる。指定の場所には、五分とかからなかった。
 ……ベレー帽をかぶり、チェック模様のスカートをはいた少女が、噴水のそばに立っていた。見るからに憮然とした、今にも「お、おのれー」と言い出しそうな表情をしている。デートの時間に待ちぼうけを食わされている、という体だ。
 少女はバトラーの姿を認めると、つかつかと歩み寄り、唐突に平手打ちを浴びせた。
「……一体今何時だと思ってるんですか!」
 一瞬バトラーは面食らった。が、すぐさま、噴水の陰で黒服が一人、こちらの様子を窺っているのが見えた。あれがダイアモンドの言っていたトレーサーか、とすぐに感づく。
「……あー、……」
 話を合わせなければならない。デートの時間に大幅に遅刻した彼氏、それが配役だ。しかし、どうもうまいこと舌が回らない。
「……三時だね」
 パシーン! 再びダイアモンドの平手がバトラーを襲う。彼女の本気の攻撃に比べれば、この程度撫でられたようなものだが。
「イヤごめん、電車がモロ混みで」
「言い訳なんて結構です! 二時間も平気で遅れてくるなんて何考えてるんですか。何回電話してもつながらないし。だいたいあなた、家ここの近所なんでしょ!?」
 あまり設定を増やされると覚えてられないんだが、と考えつつバトラーはいいわけに終始する。
「だからゴメンって言ってるだろ。靴下買ってあげるから機嫌なおしてくれよう」
「……ほんとですか?」
 途端、ダイアモンドの顔から険が消えた。見事な演技だ、とバトラーは内心舌を巻いた。
「ほんと」
「ほんとのほんと?」
「……ホントのホントのホント」
「うわあい」
 喜びを全身で表すべく、ダイアモンドは首筋に手を回してきた。
 ……違う、身構えるな! 靴下で嗅がし落とされるわけじゃない! と自分に言い聞かせることで、バトラーは思わず退きそうになる衝動に耐え抜いた。
 いつの間にかトレーサーはいなくなっていた。わがままな彼女と振り回される彼氏。その辺にいくらでもいるカップルだ、と思いこませる事に成功したようだ。
「じゃ、行きましょっか」
「……そだね」
 ダイアモンドがバトラーの腕にぶら下がった格好で、二人は歩き始めた。
 寄り添って歩きながら、バトラーはダイアモンドの顔を見下ろす。年相応の屈託のない笑顔を浮かべることだってできるじゃないか、とバトラーは思う。どこからどう見ても、つきあい始めたばかりのらぶらぶカップルである。バトラーとしても、悪い気分ではない。
 彼女のぬくもりを感じ始めた頃、
「……標的は南モールの靴下売り場にいます。直近のガードは五人」
 冷え切った声が肩の下あたりから聞こえた。
「…………」
「だから南出口に迎えの車が回されるはずです。乗り込むところを狩ります」
「決行するのか? 顔を見られたのに?」
「相手は油断してきています。問題ありません」
 もう一度ダイアモンドの顔を見下ろす。その表情はいつものごとく、鉄の仮面のように凍り付いていた。
 どっちが本当のダイアモンドなんだろう。バトラーはそんなことを考えた。
 南モールのジーンズショップを経由して、店員に見つからないよう搬入口を抜け、裏路地に出る。モールのきらびやかさとはうって変わったうらさびしい場所だ。すぐ大通りに面していて、モールの南出口からは約二〇メートル。出口を見張りながら待ち伏せをするのに最適の場所だ。ソックスプリンシパルが迎えの車に乗り込み、ボディガードが安堵する瞬間を狙い、ダイアモンドがアタックを仕掛ける。バトラーはバックアップを担当する。
 ものの数十秒で、片は付くはずだ。
 さして待たされることもなかった。ソックスプリンシパルはボディガードに取り巻かれ、出口に姿を現した。ダイアモンドの言うとおり、直近の護衛は五人。タイミングを合わせたかのように、右へ左へ流れていく車の列の中から、一台のリムジンが幽霊のように現れ、路肩に車体を寄せてきた。
 ダイアモンドは、あらかじめ用意していた仮面を被った。ウォードレスのヘルメット部分を模したものだ。
「……行きます」

 裏路地の暗闇から、二つの影が躍り出た。
 バトラーは数歩走って立ち止まり、その場で中距離靴下投擲攻撃の構えを取った。ダイアモンドは両手に靴下を持ち、標的――リムジンめがけて一直線に突撃する。
 ガードたちの反応は水際だったものだった。後ろの二名がプリンシパルをリムジンへと押し込みにかかり、前の三人はプリンシパルを護るべく肉の壁となって立ちはだかる。なるほど、それは完璧な防壁だった。靴下を乱射しながら近づいてくる無謀な暗殺者に対しては。だが、バトラーからしてみれば、カボチャが三個ばかり、狙撃されるために出てきたも同然だった。落ち着き払って、三本の靴下を一瞬で投げつける。
 二秒後、三人の前衛は涎を垂らして失神していた。
 プリンシパルが乗り込むより早く、ダイアモンドはリムジンに到達していた。二名のボディガードは応戦すべく、懐からソックスを引き抜いた。だが、ソックスコンバットでダイアモンドにかなう者など、いない。二人を片づけるのに、五秒とかからなかった。間髪を入れずダイアモンドは靴下を両手にはめると、車のフロントガラスをボカボカと全力で叩いた。当然、ガラスは防臭ガラスだった。一枚や二枚の靴下ではびくともしない。だが、ダイアモンドが装着しているのは、殺人的な威力を誇る一年ものだった。連打に耐えきれず、ガラスは砕け散った。
 上半身を突っ込み、後部座席でおびえているプリンシパルの顔を靴下越しにつかみ、強引に引っ張り出す。一年ものをいきなり突きつけられてはひとたまりもない。プリンシパルの意識は三秒と持たなかった。ダイアモンドは、プリンシパルの靴下を手早く脱がし、はぎ取った。
 一台の軍用指揮車が飛び込んできた。ドライバーは、通天閣を模したような帽子を被り、食い倒れ人形のコスプレをした奇矯な人物だった。
「ふフフフフ! 早く乗るのでェす」
 ソックスバット自らに、迎えにおいでいただいたというわけだ。
 モールの出口から、残りの兵隊達が駆けつけてきた。まともにやり合ってはとても勝てない数だが、あいにくこちらはもう用事を終えている。
「バトラー! 軽く挨拶して差し上げるのです」
 バットの言葉を受けて、バトラーは南出口に向けて靴下を一斉掃射した。黒服達がひるむ隙に、バトラーとダイアモンドは指揮車に飛び乗る。即座にソックスバットはアクセルを踏み込み、フルスロットルでその場から走り去った。

 大衆食堂「味のれん」は、昼間だというのに閑散としていた。理由は、店の一隅のテーブルに座り込んだ男女三人が、店を貸し切り状態で利用しているからだった。
「こんなところでハラ割って話しちまっていいのか?」
 白いスーツの男が、疑問を口にする。
 これまたスーツを着用した赤毛の女――ソックスマーチャントは、ほほえみを返した。
「心配ありません。ここはウチの息のかかった店やから」
 ソックスコロンビアのかつてのチームメイト、ガラガブソックスが開いてる店やからね……とマーチャントは内心で付け加える。
「いいだろう」白スーツの男は腕組みし、昂然と頭をもたげた。「実際に会うのははじめてだな。自己紹介といこう。オレは若宮組二代目、若宮康光。こっちは」と隣の黒スーツに顎をしゃくり、「舎弟の遠坂圭吾」
 よろしく、と遠坂は一礼する。
「ウチは加藤祭、組織内でのコードネームはソックスマーチャント。よろしゅうな」
「さっそく本題だ」若宮は足を組み替えた。「アンタの持ってきた話、じっくり検討させてもらった。つまりは、靴下と準備はそっち持ち、兵隊はこっち持ちっつうわけだな」
「アンタ、シンプルなものの捉え方、するんやな」
「複雑な考えってのは苦手でな。で、だ。おれたちばかりが痛い目を見るってのはどうも納得いかねえんだがなァ」
「アンフェアゆうんか? 前に言ったとおり、出るアガリは全部あんたらのモンや。それなら文句あれへんやろ?」
「そこなんですよ、怪しいのは」遠坂が口を挟んだ。「我々は労働に見合った報酬を手にする。それは結構。だが、あなた方はこの投資で何を得るのか? 私には、あなたの意図がつかめない」
 マーチャントは、余裕の笑みを浮かべた。それは予想通りの質問だった。そしてもちろん、答えは既に用意していた。
「ウチは、あんたらに恩を売ろうとしてるんや」
「……恩? ほォ?」
 面白げに、若宮は口元をゆがめた。
「あんたらの義理堅さに対して投資したろ、ゆうとるんや」マーチャントは説明を続ける。「恩義ってのも立派な資産の一つやで。わかる?」
 若宮にも遠坂にも、そのいわんとするところは理解できた。今回は貸しだけ作っておいて、いずれの日にか若宮組の兵力が必要になったとき、返済してもらおうということだ。
「いいだろう。化かし合いしてても仕方ねえ」若宮は即断した。「実のところ、はじめっからこっちはやる気満々なんでな。あんたの話、乗った」

 

前の章へ

戻る

次の章へ