第7話 靴下の記憶


 隠れ家の窓から見下ろす町並みは、まだ朝靄の中に包まれていた。窓際に肘をつき、ソックスバトラーはただじっと窓の外を眺めていた。
 ソックスプリンシパルを狩ったあと、ダイアモンド、バトラー、そしてソックスバットは万が一の危険を避けるべく、全くの別ルートで去った。そしてどうやら、バトラーはダイアモンドよりも早く隠れ家に辿り着いたというわけだった。
 別段、ダイアモンドを待っているというわけではない。
 バトラーは、漠然と考え込んでいた。
 ソックスハンター協会が、何故裏ソックス界の大物達を次々狩るという行為に出ているのか。そもそもソックスハンターとはいかなる性質の集団なのか。おぼろげながらも、バトラーにはつかめてきていた。
 ソックスハンター協会とは、各靴下組織の中堅どころの幹部が寄り集まった団体だった。然るべき実力を持ち合わせながら、組織内では要職につくことができないでいる若手が主である。彼らが寄り集まり、お互いの情報をリークしあうことによって、より高度な共存共栄を図る。それがソックスハンター協会の目的である。かつてソックスマーチャントが言った「靴下国連」という言葉の意味も、今となってはよく分かる。協会とは、各靴下組織の利害調整、調停を行う団体なのだ。
 むろん、反発はある。組織の古株達は、そのようなやり方をよしとはしない。たとえば、ソックスプリンシパルなどがそうだ。そのような手合いは、協会の手先とみなされ、ソックスハンターが派遣される、と言うわけだ。古株を排除することによって組織は新旧の交代が進み、やがては協会員が組織のソックスファーザーとして君臨することになる。各組織のトップすべてが協会員となったとき、協会の目的は達成されるのだ。
 もっとも、そんな事は、バトラーにとっては雲の上の話であるに過ぎない。今日狩った相手は何故に協会の敵と目されることになり、狩られたことで一体誰が利益を得たのか? そのようなことは、バトラーには関係ないことだった。指令を受け、そして狩る。ハンターには、それがすべてだった。
 街の中には、喧噪がある。喜びがある。人と人のふれあいがある。廃墟同然の学舎に住んでいた頃とは大違いだ。だが、やはりバトラーは部外者だった。人々の喜び、悲しみといった感情が、そこには渦巻いている。彼らには望むものを得て喜ぶのだろう。失うものを失って悲しむのだろう。けれども、ソックスハンターには希望がない。失うものも何一つない。街に生活する人々と違い、喜ぶことも悲しむこともない。だから、バトラーにとっては、街も廃墟同然の学舎と変わりない。
 ここは、砂漠と変わりない。
 部屋の外に人の気配が動くのが感じられた。少しして、一人の少女が入ってきた。
「…………」
 ダイアモンドは、奥の浴室に向かってまっすぐ歩いていった。
「ただいま」「おかえり」などといった挨拶は、二人の間には存在しない。そのような気遣いはこの部屋の中には、無かった。ここは、猟犬が二匹、寝泊まりをする小屋。ソックスハンターの生活はそういうものだ、とお互いわかりきっている。もっとも、世間的を体面を保つため、近所の人間に対しては「自活する若いカップル」というイメージを押しつけるべく、楽しげに会話してみせたりもする。ダイアモンドの見事な演技力に、バトラーはたびたび驚いたものだ。だが、一枚仮面を剥いだその素顔は、冷酷なソックスハンター以外の何者でもない。
 しばらくして、バトラーは妙な気配に気が付いた。
 部屋の空気にかすかに混じる湿気は、ダイアモンドがシャワーを浴びた証拠だ。そのダイアモンドが、バトラーをじっとみつめていた。
 ダイアモンドは、下着しか付けていなかった。それはいつものことだ。校舎生活の頃から既に判明している事実だが、ダイアモンドは人に肌をさらすことに躊躇を感じないらしかった。そのこと自体は不思議ではない。不思議なのは、ダイアモンドがバトラーをみつめる、というその行為だった。
「……どうかしたのか」
 バトラーは聞いた。
「いえ……」
 ダイアモンドは視線を床に落とすと、
「……ただ、あなたが怖かっただけです」
 と言った。
「…………え」
「なんでもありません。気にしないで」
 バトラーに背を向けて、ダイアモンドはベッドの中に潜り込んだ。
 少しの間バトラーは、漫然とダイアモンドの寝ているベッドの盛り上がりを見ていたが、やがて再び窓に向き直った。
 怖い、だって?
 とうてい、ダイアモンドの口から出るとは思えない単語だった。
 聞き間違えたんだろう。それがバトラーの結論だった。

 ダイアモンドは、ベッドの中からバトラーの背中を見ていた。
 バトラーの姿は一個の闇だった。かろうじて人の形の輪郭が見て取れる、闇だった。もし仮にバトラーが部屋の中で待ち伏せをしていた場合、それを見抜けただろうか。
 ダイアモンドは、自信がなかった。
 ソックスバットはまたしても正しかった。バトラーは掛け値なしの天才だった。まさしくソックスハンターとなるべくして生まれてきた人間だ。この数ヶ月で彼は驚くべき成長を遂げた。まるで、自分のこの二年間を早回しで見ているようだった。だから、彼の心中の絶望、虚無感は手に取るように理解できる。彼を後ろから抱き、新品の靴下を嗅がせてやったあの日、あの時の絶望は、ダイアモンド自身も体験したものだった。長い間、過去を無くした苦しみに苛まれ続けた。だが、二年という年月は、すべての感情を虚無感のそこに押しやるに十分な期間だった。今の私には、過去も未来もなく、ただ現実があるだけ。ダイアモンドは、そう思っていた。
 それでも、何故だろう。最近は、バトラーの目を見るのが怖い。最初に出会った日、ダイアモンドはバトラーに「あなたは二人目の私」と告げた。まさしく、今の二人は鏡に映る互いの虚像だった。そこに自分のありのままの姿、ただ靴下を狩るだけの存在となり果てた自分をそこに見出すのが、怖いのかもしれない。
 不安という足音が忍び寄るのを漠然と感じながら、ダイアモンドは枕に顔を埋め、眠りに落ち込むのを待ち続けていた。

 同時刻、人を出迎えにバス停に立つ一人の女性の姿があった。
 赤毛の女は、朝一番のバスから降りてきた男に対し、声をかけた。
「今回の件は上出来やった、ソックスバット」
「ふフフフフ。お褒めにあずかり恐悦至極」
 ソックスマーチャントとソックスバットは、待たせていた指揮車両に乗り込んだ。
「化けよったな、あの少年」
 視線を遠くにさまよわせながら、マーチャントは呟いた。
「ふフフ。私の目に間違いはありませんよ」
「……近いウチに、港で一働きしてもらいたいんやけど」
 ソックスバットは眉をつり上げた。港といえば、熊本港のことだ。
「ほう? 活動の重点は福岡方面に移るのではなかったのですか?」
「いや、これはウチの独断や」
「よろしいので? 一歩間違えばスタンドプレイとみなされかねませんが」
「予期せぬ収穫やからこそ意味があるんや。いちいち伺いを立てていたんじゃあ意味あれへん」
 ソックスバットは、例の謎めいた笑いを浮かべた。
「なるほど……では、他言は無用ということで」
「頼んだで」

「バトラー」
 ダイアモンドの呼ぶ声で、目が覚めた。
 しばしの間、バトラーは上半身を起こしただけの格好で、じっとしていた。
 夢を見ていたような気がする。とても大事な夢を。だが、どうしても内容を思い出せない。
 バトラーの様子に気づいたダイアモンドが、もう一度声をかける。
「さっさと起きて準備してください。時間が余りないんですから」
「……………」
「急な指令です。今晩決行ですから、今のうちに下見をしておかないと」
 言われて、バトラーは我に返った。
 まったくいい迷惑ではある。が、文句を言える立場ではない。ただ、上位者の命令を黙って受け入れ、速やかにこなす。それだけだ。
 けだるい身体をベッドから起こす。それでもバトラーは、夢のことが気になっていた。
「夢、見たことはあるかい」
 バトラーはダイアモンドに問いかけてみた。
 荷物をカバンに収納する手を止め、ダイアモンドはバトラーに目を向けた。
「夢の中で、見知らぬ景色を見たり、見知らぬ人に会ったりしたら、それは無くした昔の記憶なんじゃないか……記憶が夢になって出てきている、って感じたことはないか?」
「そんな夢を見たんですか」
「ああ……」
 ダイアモンドは少し考え込んでいる風だった。だが、特に返事を返すこともなく、ダイアモンドは作業を再開した。無言のうちに「バカなこと言ってないでさっさと準備してください」と主張しているかのようだった。
 それもそうだ、とバトラーは思った。こんなたわいのない話、あのダイアモンドに受け入れられるはずもない。そもそも彼女は夢を見るのだろうか。
 着替えをしようとバトラーが一歩踏みだしたとき、
「……時々、色の夢を見ます」
 はじめてダイアモンドは答えた。
「……色?」
「ええ。どこまでも広がる灰色……」
 それは、ダイアモンドの出身地を割り出すヒントになるかもしれない。バトラーは彼女の言葉に耳を傾けた。
「どこまでも広がる茶色い大地……」
 としたら、灰色というのは空の色のことだろうか。
「そして、響き渡るイタコの念仏……」
「……って無茶苦茶場所限定じゃないか」
 きっ、とダイアモンドはバトラーを睨んだ。
「恐山の夢を見るから私は青森出身、とでも言いたいんですか?」
 言われて、バトラーはふと気づく。確かにそうだ。それはあまりにも根拠薄弱というものだ。
「第一」ダイアモンドは畳みかける。「故郷を思いだしたからといって、どうするんです」
「どうする、って」バトラーはダイアモンドの物言いに戸惑った。「君は、故郷に帰りたいとは思わないのか?」
「仮に故郷が見つかったからって、そこがソックスハンターを受け入れてくれると思うんですか?」
 ダイアモンドは、言い放った。
 ……考えてもみなかった。
 バトラーは盲点をつかれた思いだった。
 そうだ。オレは、ソックスハンターだった。
 血と、涎と、靴下の匂いにまみれた人間を、どこが受け入れてくれるというのか。こんなはずではなかった、と後悔と絶望に打ちひしがれるのがオチだろう。
「時間がありません」ダイアモンドは、再び急かした。「下見を済ませてしまいましょう」

 島原湾を臨む熊本港に、二人はやってきた。
 ダイアモンドは説明する。
「今晩二二時、本州からフェリーがやってきます。表向きは貨物は陶器類ということになっていますが……一緒に末端価格十億の靴下約百キログラムも輸入されます」
「で、おれたちはそれを横取りするんだな」
「いいえ」ダイアモンドは首を振った。「アタックチームは別にいます。私たちの役目は、アタックチームのサポートとバックアップです」
 バトラーは高みから熊本港を見下ろし、地形を逐一脳裏に刻み込んでいった。そして簡略な地図を広げ、ダイアモンドに教えられた通りに、アタックチームと自分たちの動きを簡単にシミュレートしてみる。
「引き際が難しそうだな」バトラーは感想を述べた。「俺たちの動きはフェリー側からは丸見えじゃないのか」
「ええ。でも、フェリーを靴下の射界に収められる場所はここしかありません。長距離戦用の靴下を多量に用意する必要があるでしょう」
「長距離戦ねえ……中距離用はだめか?」
 長距離からの靴下狙撃は、バトラーの比較的不得手とするところだった。あくまでも比較的、ではあるが。
「だめです。地形的に引くのが難しいこの場所では、できるだけ敵を近づけないのが得策です」
「わかった」
 ダイアモンドの分析は、常に冷徹で、正確だ。与えられた靴下で任務をこなすための想像力は、完璧と言っていい。
「時間がありません。帰って準備しましょう」
「ああ。帰り道に昼食をとっていこうか」

 今の彼らには知る由もなかった。これが、ある悲劇の始まりであるということを。

 

前の章へ

戻る

次の章へ