第8話 靴下はよみがえる


 夕方から降りだした雨は、やがて驟雨となった。激しい勢いで叩きつけられる雨の粒が幾筋も窓を伝い、雷まで鳴り始めている。
「雨、やんでくれないかな」
 ソックスバトラーは呟いた。雨は、靴下長距離狙撃の際手元を狂わせる原因となる。雨の中靴下を投げて標的に着弾させるのは、なかなか容易なことではない。雨に濡れることによって靴下にぬるりべったり感が付与され、破壊力が増すことは増すのであるが、相手に当てられないのでは話にならない。
「期待しない方がいいですね」
 ダイアモンドの返事は、にべもない。淡々と、作戦行動用の靴下を一本一本チェックしている。
 言った俺がバカだった、とバトラーは自嘲的に笑った。
「俺たちがバックアップする襲撃チームについてはなんか知らされてる?」
「……いいえ。なにも」
 首を振って、ダイアモンドは答える。
 ソックスハンター協会の幹部が私兵を動かすとき、場合によってはソックスハンター協会が力を貸す。ソックスマーチャント直属のソックスハンター部隊が駆り出されるわけだが、時にはソックスダイアモンドにも出動命令が下る。その場合、作戦決行前にハンター部隊とソックスダイアモンドの間で面通しが行われることは、ない。
 それは、「ソックスダイアモンドの秘匿性を保つ」という協会の方針だ。ソックスダイアモンドの正体は、協会の中では幹部級の人間のみが知るトップシークレットだった。それは、「ソックスダイアモンドは最強にして無敵のソックスハンター」という伝説を裏ソックス界に流布するのが主目的である。伝説は畏怖となり、畏怖は憶測を呼び、憶測は噂となり、噂はソックスハントによって事実となる。かくしてソックスダイアモンドを擁するソックスハンター協会の実力がアピールされ、名声は高まるというわけだ。
 いまや、「ソックスダイアモンドの歩いた跡には靴下が生える」「離乳食に靴下を食った」「ソックスダイアモンドの靴下にはガイガーカウンターが反応する」ともっぱらの噂だ。ソックスダイアモンドは生きた伝説なのだ。
 というわけで、パートナーを知らないまま連携作戦を行うのは、ざらだった。ソックスハンター協会という組織の構造上、仕方のないことだ。だが、今日の任務の面倒さを思うと、バトラーは憂鬱になった。
 はじめ、雷がまた鳴ったように思えた。が、それはドアをノックする音だった。
 ダイアモンドは咄嗟に靴下の山を物陰に隠した。
 それを確認してから、バトラーはドアを開けた。
「……忙しいとこ、邪魔だったかな?」
「ソックスマシンガン……」
 ドアの向こうに姿を現したのは、マーチャントの護衛役、ソックスマシンガンだった。相変わらずマシンガンを右手に構えている。相変わらず、見た目に男なのか女なのかわからない。
「バトラー、指名だ。午後八時にソックスマーチャントの家に行け」
 ソックスマシンガンは、単刀直入に言った。
「……なんだって」
「今夜取引があるんだが、これがちょっとキナ臭くてな。俺が立ち会うことになった。で、おまえにマーチャントのボディガードを代わってもらう。マーチャント直々のご指名だ」
「ちょっと待ってくれ」バトラーは驚いた。「今夜、俺たちも仕事があるんだが」
「ああン?」マシンガンは眉をつり上げる。「誰の指令だ、それは?」
「……ソックスバットだが」
 言うと、ソックスマシンガンは苛立ちをあらわにした。
「そりゃ、ヤツの独断だな。あのなあ、バトラー、俺たちのボスはマーチャントだ。ソックスバットは参謀に過ぎない。わかってんのか?」
「だが……」
「行ってください、バトラー」
 ダイアモンドが口を挟んだ。
 バトラーはふり向いた。
 今日の任務は、靴下強奪チームが撤収するまでサポートを続けること。すなわち、自分たちが撤収する際には誰の援護も受けられないのだ。バトラーが抜けるとなると、ダイアモンドはたった一人で逃げねばならない。
「危険だ。今日のミッションは君一人じゃ無理だ」
「心配ないわ。一人でもやれます」
 そういうダイアモンドの声は、相も変わらぬ冷徹さを保っている。まるで、一人で着替えられる、一人で靴を履ける、と言っているかのように、あっさりしている。
「彼女もそう言ってるぜ」マシンガンは紙切れを突き出した。「これがマーチャントの住所だ。いちゃついてないで、さっさと行ってくれ。時間厳守でな」
 言いたいことだけを言うと、マシンガンはさっさと行ってしまった。
 紙切れをポケットに押し込み、バトラーは室内に戻った。ダイアモンドはやはり淡々と靴下装備の準備をしていた。
「やっぱり無茶だ、ダイアモンド」
「作戦を組み替える必要はあるでしょう」手を止めないまま、視線を手元に向けたまま、ダイアモンドは答えた。「私は、与えられた人材と機材と靴下でソックスハントを遂行する。それだけです」
 その瞳には、いかなる種類の感情も表れていない。
 怖くないんだろうか?
 そんな疑問がバトラーの脳裏をよぎった。が、ともかく、議論したところでダイアモンドの意見を変えられるとは思えない。あきらめて、バトラーはマーチャント邸に行く準備を始めた。といっても、十数本靴下を装備し、車の鍵を持つだけだが。
「じゃあ、気を付けて」
 部屋を出る前、バトラーは声をかけた。言ってから、思わず口をついて出た自分の言葉に戸惑う。そんな気遣いは、この部屋にはなかったはずなのだが。
「……お互いにね」
 ダイアモンドは答えた。数瞬してからはっと気づいて、バトラーを見た。彼女も同じ思いに囚われたのだろう。一瞬バトラーは、ダイアモンドと心が通じ合ったように思えた。妙な気持ちを抱いたまま、バトラーは部屋を出た。

 雨は止みそうになかった。
 マシンガンに渡された紙切れに指示された場所に適当にあたりをつけ、バトラーは指揮車を駆った。目的地は意外とあっさり見つかった。
 マーチャント邸は、見落としようがないくらいの大邸宅だった。さすが協会の幹部クラス、とバトラーは感心した。
 マーチャントは、部屋着で待っていた。
「よぉ来たな。はよ入り〜。なんか飲むモン作ったるわ」
 既にアルコールを摂取しているようだ。だが、彼女の陽気さとは対照的に、屋敷の中は閑散としている。マーチャント以外の人の気配が全くない。がらんどうの洞窟の中にいるような錯覚を覚える。
「……ガードマンとか、いないんですか?」
「おらへんから、自分を呼んだんやないか」
 マーチャントの答えは、簡単だった。
「休みを出してるんですか」
「ちゃうよ。モトからおらんて、そんなん。ウチは警備システムが完璧やから、そんなん要らへんねんて」
「それは不用心すぎるんじゃないんですか」
「だから完璧なんやって。何なら自分、見てみたら?」
 マーチャントは、なにやら楽しげだった。単に酔っているだけではないようだ。まあ、こんな閑散として屋敷に住んでいるのであれば、他人がやってきただけではしゃぎたくもなるだろうが。
 しかし、今頃ダイアモンドが雨の中任務に向かっている事を考えると、一緒になってはしゃげる気分ではない。
「……見てきます」
 バトラーはマーチャントに背を向け、屋敷の見回りに向かった。ボディガードが任務なのだ、そうするのが筋である。

 十五分後、これ以上の見回りは無意味だ、とバトラーは判断した。
 防ソックスハンターシステムは完璧だった。あらゆる種類の靴下の侵入を防ぐシステムが敷かれている。自分だったらいかにしてこのシステムをくぐり抜けるかバトラーは想定してみたが、すぐに「こりゃ無理」と思った。これでは、ダイアモンドでさえこの屋敷にアタックをかけるのは無理だろう。
 何故このような防ソックスハンターシステムを敷いているのだろう、とバトラーは疑問に思った。協会の他の幹部、たとえばソックスコロンビアやゴッドソックスは、常に多数のボディガードを従えている。だがマーチャントについては、ソックスマシンガン以外の人間を連れているのを見たことがない。基本的に他者を信用しないタチなのだろうか。
 マーチャントの協会における立場の特殊性もあるのだろう。幹部はみな自分の組織を持っている。だが、幹部の一員にして協会の実働ソックスハンター部隊の指揮者マーチャントには、自分の組織というものがない。これも協会の方針だった。組織持ちの人間に実働ソックスハンター部隊を任せれば、私利私欲のために部隊を動かしかねない。だからこそ協会の実働部隊が公平に利用されるためには、自前の組織を持たない中立的人間に指揮されるべきである。そんなわけで、中立的人間たるマーチャントが指揮を執っているのだとか。
 だが、中立的人間であるということは、味方が少ないということだ。その辺が、人より機会に頼らざるを得ない事情なのだろう。
 バトラーは客間に戻った。既にソックスマーチャントがソファーに座り、グラスを用意して待っていた。
「……どうやった?」
「なんのために呼ばれたのかわからなくなりました」
「ま、そらそやろ」マーチャントは笑った。「今日はマシンガンがおらんから、自分を呼んだんよ。さ、座って座って。ソックスハンター協会にかんぱーい」
 やれやれ、と思いつつバトラーはそれに和し、グラスに口を付けた。
 そして、むせた。
「……これってワインじゃないですか」
「せやで。一九三六年ボルドーで採れた赤靴下や」
 バトラーは目を見張った。
 赤靴下ワイン。それはソックス嗜好癖を持ち合わせる人間の好物だ。製法は簡単、ブドウの実を踏みしだいて液状にする際、靴下を履いてやるのだ。靴下の微妙な香りが、ソックス嗜好人間にとってえもいわれぬ深みとまろやかさを導くのである。名称にはその時履いていた靴下の色が使われるため、青ワイン黒ワインといった代物も存在する。
 今、バトラーの目の前にあるワインは、かなりの価値を持っているはずだ。年代はもちろんだが、ヨーロッパ地区が幻獣支配か地域となってウン十年という事実がさらにレアリティを増す。これは、恐ろしく値が張る代物だ。
「これ、いくらか教えたろか」
「いえ、結構です」
 金額を聞いたら、文字通り目の玉が飛び出しかねない。バトラーは丁重に断った。
「ほんだら飲みや。さあぐぐーっと」
 バトラーは逡巡した。金額はもちろんだが、そもそもバトラーは未成年だ。少なくとも、未成年のはずだ。だが、マーチャントは笑っていた。それは有無を言わせぬ脅迫だった。
 バトラーは思い切って、ワインを一気に飲み干した。
 干されたグラスがテーブルに叩きつけられるのを見て、マーチャントは拍手した。
「はっはっはっ。さすがやなあ、ソックスバトラー。年のわりには大した飲みっぷりや」
 その言葉に、バトラーは引っかかりを感じた。
 年のわり。
 …………
「ソックスマーチャント」おそるおそる、バトラーは尋ねた。「あなたは、俺の本当の年齢を知っているんですか」
 マーチャントはバトラーの目をじっと見つめると、
「うん」
 あっさり答えた。
「自分の本名も誕生日も知ってるよ」
「なっ…………!」
 バトラーはソファーを蹴って立ち上がった。
「なんで今頃になってそんなことを……!」
「……実はな」
 マーチャントは静かに言葉を紡いだ。いつの間にか、さっきまでの陽気さが消えていた。
「今日自分を呼んだんは、これを返すためやってん」
 懐のポケットから一枚のカードを取り出し、バトラーに見えるようにテーブルの上に置く。
 それは、身分証明書だった。そこには一一月二四日生まれ、血液型A、出身地……という個人情報が記載されていた。
 そして名前の欄にはこう記されていた。
 ――中村光弘。
「ちょっと書いてみ。手が覚えてるはずやで」
 マーチャントがさしだした紙とペンをひったくるようにして奪い、狂ったようにその名を書き取る。中村光弘、中村光弘、中村光弘……
 しっくりとなじむ。その名を書くことはあまりにも手になじんでいた。何度と無く書き綴った名前を、右手は覚えていた。これが自分の名前、本当の名前であることを、バトラーは理解した。

 その時、記憶が爆発した。

 

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