白光と純白の狭間で
パチパチパチ……。
夜の闇の中でゆらりと炎が立ち上っている。焚火が放つかすかな光は
傍らにいる者の姿をちらりちらりと映し出す。
絹のようにしっとりした白銀の長髪に指を滑らせながら、
少女は目の前で燃え盛る炎に視線を向けた。
ゆらりゆらりと揺れる炎は、少女を幻想的な空間へと誘(いざな)う。
炎の眩しさと煙の痛さに少女は目を細めた。
少女の名はイシュタル。フリージ家に伝わる雷撃魔法トールハンマーを使い得る
最後の人物である。
先の戦いで両親と兄を失った彼女は、事実上フリージ家の当主にあてはるのであるが、
イシュタル自身、そんなことはどうでもよかった。聖戦士の子孫たちが血を血で拭うこの戦争に
家柄なんて関係ない。
人智を超えた力がぶつかり合う結果、そこにあるのは生と死のみであり、富とか名誉なんてものは
存在しない。事実、この戦争の犠牲者は戦闘員、非戦闘員あわせて数千万人とまでいわれている。
にもかかわらず、財政的に潤った国や、繁栄を遂げた国家は皆無なのだから。
イシュタルも、もともとは争い事を好まず、花や読書を愛する穏やかな少女であった。
しかし、フリージ家の血族であるということから、雷撃魔法を操る魔力に長けていたため、
半ば強制的にこの戦争に参加する羽目になったのである。
この戦いに意味はあるのだろうか? 私の進む道は正しいのだろうか?
これが私の望んだ結果なのだろうか?
イシュタルの頭からはこの思考が離れない。
ユリウスがロプト神を復活たらしめんと手段を選ばぬそのやり方に、イシュタルは抵抗感を覚えずには
いられない。それに比べれば、帝国の圧政から人々を解放している、セリス公子率いる反乱軍の方が
イシュタルの求める姿にしっくりくる。
しかし、イシュタルの頭の中からは、幼き日にユリウスが見せたあの優しい笑顔が離れない。
「ほら、見てごらんイシュタル。あの花とってもきれいだよ」
幼き日のユリウスも、イシュタルと同じく花や自然を愛する心優しい少年だった。
父ブルームがバーハラへ有事で出かける際、イシュタルも連れられてバーハラに行ったものだ。
まだ幼かった二人は、実の兄と妹のように仲良く遊んだものだった。
しかし、数年前からユリウスは人が変わったように冷たくなった。実際のところそうなのかは
定かではないが、少なくとも、ユリウスを包む空気が異質なものであるとイシュタルは感じていた。
また、時を同じくして、自分がユリウスに対して抱いている気持ちが、幼い頃のものと比べて変化している
ということもまた感じていた。尊敬や敬愛から思慕のそれへと、年齢を重ねる毎にそれは大きくなっていく。
自らが掲げる正義と女としての感情を天秤にかけた結果、勝ったのは女としての感情だった。
そして、その感情のまま行動した結果がこれである。
自分の放つ雷の一撃が何十、何百人の命を奪った……、イシュタルの心の天秤は再び揺れていた。
このまま女としての感情に流されてしまってよいのか? 自らの正義に嘘をつき続けていいのか?
イシュタルは自分の心に問いかける。本能か理性か、葛藤が尽きることはない。
パチパチパチ……。
焚火から火の粉が舞い上がった。空を舞う火の粉をイシュタルは羨ましく思った。
大きな炎の中から一瞬だけの自由を手に入れ、空を舞うその姿はイシュタルの願望を如実に表現していた。
自らを縛りつけている心の鎖から解き放たれたい、愛情からも正義からも……。
イシュタルは細めていた目を軽く伏せると、再びゆっくりと開いた。胸元からトールハンマーの魔道書を
取り出して、ぱらぱらとめくってみる。
ちょうど中間の辺りでイシュタルは手を止めた。そこには一輪の蓮花草が押し花となって挟まっていた。
「あの花きれいだね。イシュタルに取ってあげる」
その蓮花草はユリウスがイシュタルのために摘んでくれたものであった。イシュタルはそれを押し花にして
大事に保管しておいたのである。
イシュタルは蓮花草を指でつまんで、くるくると回してみた。その無機的な動きに思わず笑みがこぼれる。
刹那、意を決したように、イシュタルは蓮花草を目の前の焚火に放り投げた。
既に水分を失っている花は、パチパチと音を立てながら静かに灰となっていく。
イシュタルはその様子をゆっくりと眺めていた。ぼんやりと、力無い目で……。
「セリス様、あと半日ほどでバーハラに着きますね」
と、セリスと馬を並べて進んでいたセティが声をかけた。
「そうだね。バーハラにいるユリウスを討てば、この戦いも終わりなんだね」
と、セリスが言うと
「しかし、バーハラ城の付近にしては警備が薄すぎるとは思えませんか?」
と、セティが言った。
たしかに、バーハラ城からそれほど距離がないにもかかわらず、警備の兵はおろか偵察兵もいない。
戦力を出し切ってしまったのか、それとも、そんなものが必要ないくらい余裕があるのか。
だが、とりわけセリスが気になっていたのはイシュタルのことである。
先のミトレス城攻防の際、セリスはイシュタルと初めて剣を交えた。魔法と剣を両方使いこなすイシュタルに
セリスはかなりの苦戦を強いられた。そして、セリスとイシュタルの力量の差を決定的なものにしたのが
雷撃魔法トールハンマーである。その強烈な一撃は、セリスの剣を粉々にしてしまうほどの威力を秘めていた。
彼女とは再び剣を交える日が来るだろう、セリスはうすうす感じていたのである。
セリス達は王都バーハラに続く渓谷を移動中である。
「こんなところ襲われたらひとたまりもないわね〜」
と、パティが冗談交じりに言っていたが、確かにひとたまりもない。あまり広くない道なので、並んでも
二人ずつしか通れないのである。隊が伸び切ったこの状態は、敵軍にとって格好の的であろう。
しかし次の瞬間、悪い予感というものはよくよく当たるものである、と思わざるを得なかった。
「セリス様、敵です!!」
隊の上空を舞うファルコンナイトのフィーが叫んだ。全員が馬を止め、次の言葉を待つ。
「フィー、落ち着いて。敵軍の規模とこちらとの距離を確認してくれ」
と、セリスは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を発した。
「はっ、はい。……えっと、敵兵は1人。位置は……、この渓谷を抜けた草原地帯で止まりました」
たどたどしい言葉でフィーは言った。
「おい、1人って何だ。見間違いじゃないだろうな」
と、アーサーが上空のフィーに向かって叫んだ。
「なによぉ、嘘いったってしょうがないでしょう!」
フィーが高度を下げてアーサーに向かって怒鳴った。
「まあまあ二人とも……、それよりもセリス様……」
ラナが2人をなだめつつ、セリスに含んだ表情を向ける。
セリスはゆっくりとうなずき、
「よし、急いでこの渓谷を突破しよう」
と言うと、馬の腹を蹴ってスピードを上げた。
イシュタルは力の接近を感じていた。おそらくセリス達の軍が近づいてきているのであろう。
部下達をバーハラ城の警備に当てたまま、偵察という名目で軍を離れ、たった一人で戦いを挑もうとしている
自分を嘲笑してやりたい気分になった。
『死』
これがイシュタルの出した解答である。愛や正義はとんなに除こうとしても取り除けるものではない。
それは人間の存在の根元をなす感情であるのだから。
だが『死』はそれらの感情を超えた一種の絶対的自由である。
しかし、それは同時に人間として敗者となる選択肢であるのだが。
イシュタルは自ら命を絶つのではなく、戦場をその死に場所として選んだ。
それは武人としての意地なのか、ユリウスを想う女としての感情なのか……。
やがて、遠くからけたたましい蹄の音が近づいてきた。
「来たか……」
イシュタルはふっと微笑むと、バーハラ城のほうへ目を向けた。その目にはうっすらと涙がにじんでいた。
視界がぱっと開けた。岩ばかりの視界が、一瞬にして緑一色に変化する。
セリスは銀色の長髪をなびかせて佇んでいる少女の姿を前方に確認した。
「イシュタル……」
セリスは誰にというわけでもなくつぶやいた。
「……来たか」
イシュタルは目を伏せると、ゆっくりとセリス達の方へ向かって歩き出した。
セリス達はイシュタルを包む異様な空気の流れを感じた。戦士としての本能が武器を構えさせる。
相手はイシュタル一人、かたやセリス達はセリス、セティ、ラナ、アーサー、フィー、ラクチェの6人。
数的には圧倒的にセリス達の方が有利である。しかし、イシュタルを包む空気はその構図をひっくり返さん
といわんばかりのものであった。言いようもない沈黙が続く……。
「やあぁぁぁ!」
しびれをきらしたのか、ラクチェが勇者の剣をふりかざし、イシュタルに斬りかかった。
「待て、ラクチェ!」
セリスが声を上げる。しかし、ラクチェは制止を振りほどいて、イシュタルに向かって飛びかかった。
しかし、イシュタルはラクチェの攻撃を自らの剣で受け止め、一呼吸置いてなぎ払った。
「ちっ……」
ラクチェは軽く舌打ちすると、再びイシュタルに向かって斬りかかった。
「たあっ、はっ、たあぁぁ!」
怒涛の連続攻撃を加えるラクチェ。しかし、その剣がイシュタルを捕らえることはない。
「天空を舞う雷よ……」
イシュタルはラクチェの攻撃をかわしつつ呪文の詠唱を始めた。ソードマスターの称号をもつラクチェとしては
これほど屈辱的なことはない。
「魔法騎士トードの御名において、目の前の敵を討つ白光の槍となれ……トール・ハンマー!」
イシュタルの両腕から白光がほどばしる。
体勢を崩していたラクチェは、自らの剣で迫り来る白光の槍をかろうじて受け止めた。
しかし、白光の槍はラクチェの剣を粉々に砕き、その体をも貫いた。
ラクチェの体は宙を舞い、地面に2度3度バウンドすると動かなくなった。
「ラクチェ!」
すかさずラナはラクチェに駆け寄り、回復の魔法をかけるべく祈りを捧げ始めた。
「この程度か……」
イシュタルが冷たい笑みを浮かべて言った。
「っ、この野郎!」
アーサーはボルガノンのための印を結びながらイシュタルに向かって突撃をしかける。
同時にフィーも槍を構えて上空から援護にまわる。
「誇り高き炎と大地の精霊よ、目の前の敵に大地の怒りと紅蓮の炎の鉄槌を、ボル…ガノン!」
アーサーがボルガノンを放つと同時に、フィーが上空から斬りかかる。
しかし、イシュタルは微動だにせず、再び詠唱を始める。
ボルガノンとフィーの攻撃が炸裂する寸前に、イシュタルは両の手から2本の白光の槍を放った。
白光の槍は地上にいるアーサーと、空中にいるフィーの体をほぼ同時に貫いた。
ズン、と2人の体が同時に地面に落ちる。
「アーサー、フィー!」
セリスが声を上げても地面に横たわる2人の体はぴくりとも動かない。
「貴様……、許さん!」
そう言うと、セティは呪文の詠唱を始めた。
「自由なる風よ、勇者フォルセティの御名において我に力を……」
同時にイシュタルも詠唱を始めた。
「……目の前の敵を切り裂く風の刃となれ、フォル…セティ!」
セティが詠唱を終えると同時にイシュタルも詠唱を終え、魔力を放出した。
風と雷が両者の中間で激突する。パワーは互角だ。
「なかなかやるな……」
セティは魔力を放出する手に力を込めた。両者の魔力は中間でくすぶったまま動かない。
しかし、イシュタルは片手で魔力を放出したまま、再び呪文の詠唱を始めた。
「……を討つ白光の槍となれ……トール・ハンマー!」
詠唱を終えると、もう片方の手に白光の槍が現われた。
「バカな、極大呪文を連続で放出できるわけが……」
セティの声は上ずっていた。格が違う……、そう通感ぜずにはいられなかった。
もう片方の手から放出された白光の槍は、魔力の均衡を打ち破り、セティの体を貫いた。
セリスの額から汗が流れる。かつてない緊張感がセリスを襲っていた。
「次は……貴様か」
イシュタルはセリスと正面から向かい合い、呪文の詠唱を始める。
攻めるなら今しかない、セリスはティルフィングを構えてイシュタルに突進した。
一気にイシュタルとの間合いが詰まる。
「……トール・ハンマー!」
イシュタルの手から白光の槍がセリスに向かって伸びてくる。しかし、セリスは左に飛びのいて
これをかわした。体勢を立て直し再び突撃する。20メートル……、10メートル……、よし。
「てやぁぁぁぁ!」
セリスはティルフィングを振り上げ、イシュタルに向かって跳躍した。
しかし、イシュタルの手には、先ほどと同じく2本目の白光の槍が紫電を放っていた。
しまった……、と思ったときはもう遅かった。
イシュタルが空中で自由に身動きが取れないセリスに向かって手を突き出す。突き出された手から
白光の槍が伸びる。
刹那、セリスの体を魔法とは別の衝撃が襲った。
イシュタルの突き出す手に向かって一直線に下りていくはずのセリスの体は
突然、真横に進行方向を変え、地面に落ちた。
「きゃぁぁぁ」
直後に悲鳴が響く。
セリスには一瞬何が起こったのかわからなかった。体を起こして、本来自分がいたであろう場所に
目をむける。そこには自分の代わりに魔法を受けたラナの姿があった。
「ラナ!」
叫ぶと同時にセリスは走った。ティルフィングを地面に投げ捨て、ラナを抱き起こす。
幸い呼吸は止まっておらず、かろうじて生きている様子であった。
「……イシュタル、ちょっと待ってろ」
セリスはイシュタルに背を向けたまま言うと、ラナを抱えて少し離れた位置まで歩いていった。
ラナの体を横たえて元の位置まで戻ると、地面に放ったティルフィングを掴み、イシュタルに向かって
真っ直ぐに構えた。先ほどまでと明らかに違う空気がセリスの体を包んでいた。
「……」
イシュタルは何も言わず、腰に差している剣を抜いた。
「でやぁぁぁぁ!」
セリスは一直線にイシュタルに向かって突っ込んだ。イシュタルは半身の状態のままセリスを迎え撃つ。
ギィン!
剣同士がぶつかる音。
イシュタルは上から押さえつけてくるセリスの剣を受け流すと、上半身をひねって切り返す。
剣先がセリスの腕をかすめた。わずかだが鮮血がほどばしる。
「ちぃっ」
セリスは軽く舌打ちすると、ティルフィングを持ち直して再び斬りかかった。
ギィン!
お互いの剣が再びぶつかる。刃と刃の押し合いになった。
力比べは当然、男であるセリスが有利である。じりじりとイシュタルは押されていった。
目の前に刃が迫る。
しかし、次の瞬間、セリスのティルフィングは宙を舞っていた。2、3回転して地面に突き刺さった。
セリスは自分の目を疑った。イシュタルの剣が白いオーラに包まれている。
魔力剣…、かつて魔法騎士トードが己の剣に魔法力を通わせて振るったと言われる伝説の技である。
ただ、普通の者が扱おうとすると、魔力の調節がうまくいかず剣が壊れてしまうため、
サンダーソードや風の剣に代表される魔法剣が魔力剣の代わりとして用いられている。
セリスはかつてない絶望感と恐怖感に包まれた。イシュタルの剣が喉元に突きつけられる。
体中の汗が引き、体温が一気に下がったような気がした。
これですべて終わった……
イシュタルはセリスの喉元に剣を突き付けて目を伏せた。
瞼の下に、先ほどセリスがラナに対しとった行動が鮮明に焼き付いている。
(もしもあれが私だったらユリウス様は……)
考えようとして止めた。それはイシュタルの望むべくことではなかったからである。
(もう準備は整った。誰か最後の幕を引いてくれ……)
「……」
イシュタルはセリスに剣を突き付けたまま微動だにしない。まるで捨てられた子犬のような、
ひどく寂しそうな目でセリスを見ていた。
「殺さないのか?」
セリスはイシュタルに問い掛けた。喉元に剣を突きつけられているせいか、わずかに声が上ずっている。
イシュタルは何も応えずに、ただセリスを見下ろしているだけだった。
「たあぁぁぁっ!!」
次の瞬間、けたたましい声が響き、ザシュッという独特の音が辺りに響き、イシュタルの体が
静かに地面に崩れ落ちた。
崩れ落ちたイシュタルの後ろに立っていたのは、魔法の直撃を受けて倒されたはずのラクチェの姿だった。
「セリス様!」
緊張感から解放されたのか、地面に崩れそうになっているセリスの体をラクチェは受け止めた。
「大丈夫、大丈夫だ……」
セリスは自らを安心させるかのごとく呟いた。ゆっくりと立ち上がると、ティルフィングを鞘に収め
地面に横たわるイシュタルの方に目をむけた。まだかすかに息があるようで、うつろな目でセリスの方を
見上げている。
「イシュタル、あなたどうして私に回復呪文なんか……」
と、ラクチェが言ったが、返事はなかった……。
イシュタルの息はすでに絶えていた。しかし、その表情はどこか満足げに見えた。
全てのものから解放されて、大空を自由に駆ける鳥のような、そんな顔だった……。
イシュタルは夢を見ていた。幼き日の蓮花草の思い出を。
蓮花草を頭にさしたまま、ユリウスと共に蓮華の咲き乱れる草原で雲を眺めたあの日のことを。
薄れゆく意識の中で、幼子のユリウスがやさしい声で言った。
「おやすみ、イシュタル」と……。
(完)
<あとがき>
えー、言い訳になるかもしれませんが、当初はこんなに長くなるなんて思ってませんでした。
書いているうちにだんだんと長くなって、完成にこぎつけるまでに時間がかかってしまいました。
何を言っているのかさっぱり分からん文章かも知れませんが、解釈は読者の皆様にお任せします(ぉい)
イシュタルが何を思って戦っていたのか、が一応この文章のテーマだったりするのですが、
気が付いたら戦闘描写ばっかだな……、あははは(汗)
とりあえず最後まで読んで下さった読者の皆様、ご苦労様でした。そしてありがとう。