おおぞらをとぶ
その時は思ったより早く訪れた。
「ラーナ様、ザクソン城から天馬騎士団がシレジアに向かって進軍しているとの
物見からの報告でございます」
謁見の間に飛び込んできた兵士が、開口一番、早口に言った。
「そうですか……。ダッカーはこの戦争に何を見出しているのでしょうね。
この国には肥沃な大地はおろか、富といえるものは何もないのに……」
シレジア王妃ラーナはそう言うと、近衛隊長でありシレジア一のペガサス乗りであるマーニャの方へ
ゆっくりと顔を向けた。
「アルヴィス卿の帝国計画に荷担しておけば、それなりの恩賞にあずかれるとでも
考えているのでしょう。シレジアの未来など二の次なのではないでしょうか」
マーニャはゆっくりと瞼を伏せた。
ラーナはその動作を見て微笑を浮かべた。
たったそれだけの動作の中に込められているマーニャの心の内が解ってしまったからである。
「ふふっ、あなたも相変わらずですね、マーニャ」
ラーナがそう言うと、マーニャは軽く会釈をして
「私は天馬騎士団を率いて戦地に赴きます。ラーナ様は万が一に備えて地下の方へ」
と言うと踵(きびす)を返した。
ラーナは足早に出ていくマーニャを温かな目で見送った。
「ラーナ様、早く地下室の方へ。敵軍が攻めてきます」
先ほど飛び込んできた兵士がラーナを促す。
しかしラーナは
「いいえ、マーニャ達が命を賭して戦っている時に私だけが安全なところで過ごすわけにはまいりません。
それに……、レヴィンが帰ってきた時に母親がいなくてはあの子も動揺するでしょう。
ああ見えてもあれはまだまだ子供ですからね」
と言うと玉座からゆっくりと立ち上がり、窓枠に手を掛け外に目を向けた。
その視線の先には何が映っているのか、命を賭して戦うマーニャの姿か、それともいつ帰ってくるかも
しれないレヴィンの姿なのだろうか……。
謁見の間を出たマーニャは、廊下で出会った兵士の一人に天馬騎士団の招集をかけるように命じると、
天馬房へ向かった。マーニャのファルコンは一般の兵士とは異なった天馬房にあるのである。
マーニャはゆっくりと扉を開けた。主人の匂いに反応してファルコンが顔を上げる。緑色に輝く綺麗な双眼が
主人であるマーニャを優しく見つめる。
マーニャがファルコンの頭を優しくなでると、ファルコンはヒヒンと嬉しそうに鳴いた。
柵をはずしてやると、ファルコンはゆっくりと外に出て翼を2度3度羽ばたかせた。
「……さあ、行きましょう」
愛用の勇者の槍を手にとり、ゆっくりとファルコンにまたがった。
マーニャが手綱を引くと、ファルコンは翼を羽ばたかせ外に飛び出した。
シレジアの白い大地がマーニャの目に飛び込んでくる。子供の頃、マーニャは正直このシレジアが好きではなかった。
冬でなくとも身を打つ北風が痛かったからだ。しかし、初めてペガサスに乗って空を飛んだとき、
その考え方は180度変わった。一遍の曇りもない一面の銀世界は、それまでの考え方を覆すほどの力を持っていた。
そんなシレジアを誰よりも愛する彼女だからこそ、ダッカー公のやり方を人一倍許せなかったのだろう。
マーニャは城の周りを軽く一周すると、ファルコンの高度をゆっくりと下げた。
下りた先には天馬騎士団20騎が待機していた。心なしか動揺している様子が伺える。
マーニャは地上に降り立つと、ゆっくりとファルコンから下りた。
「皆、これからダッカー公の天馬騎士団がこのシレジア城に向かって進撃してくる。
敵部隊を殲滅させようとすればこちらもかなりの被害を被るだろう。
幸い、トーヴェ城を陥落させたシグルド公子の軍がこちらに向かっているとのことであるから
各個決して無理せず、敵部隊の足止めに専念してほしい。無駄死にはしないでくれ」
とマーニャが言うと、騎士たちは敬礼しペガサスにまたがった。
マーニャは兵士達の敬礼に対しうなずくと、自らもファルコンにまたがった。
20騎のペガサスと1騎のファルコンはザクソン城へ向かって飛び立っていった。
半刻ほど飛んだ頃、マーニャは敵軍の気配を感じた。
「……、全軍止まれ!」
マーニャが号令をかけると、騎士達はペガサスを止めた。
「もう間もなく敵軍がやってくる。各自戦闘体制をとれ」
と言うと、マーニャは勇者の槍を出して身構えた。他の騎士達も各々武器を構え戦闘の体制をとる。
やがて空の向こうに無数の影が現れた。ダッカー軍の天馬騎士団である。
隊の中心にいるのはシレジア天馬4騎士の一人パメラであった。
「パメラ……、まさかあなたと戦うことになるとは思わなかったわ」
とマーニャが言うと
「マーニャか…、滅びるとわかっている王妃にいつまでも忠誠を誓う愚か者め。
今日こそ決着をつけてやる。私の手にかかって死ねることを光栄に思うがいい」
パメラは銀色に輝く槍を取り出すと、マーニャに向かって構えた。
マーニャも愛用の勇者の槍をパメラの喉元に向かって構えた。
両者の槍がまるで生き物のようにかすかに上下に動く。
まるで時が止まったように二人は動かなかった、いや動けなかった。
聞こえるのは風の音だけ、そんな時がどれほど続いただろうか……、突然、樹に降り積もっていた雪がドサリと
音を立てて落ちた。
それが二人の膠着(こうちゃく)を解く合図となった。先に動いたのはパメラ、
目にも止まらぬ速さでマーニャに斬りかかった。激しい金属音があたりに響く。
しかし、光り輝く銀の槍の一閃をマーニャは受け止めると、受け流すような形でそのままパメラに斬りつける。
パメラは下降し、かろうじて攻撃をかわす。しかし、マーニャの鋭い槍さばきはパメラを逃がさない。
戦いはパメラの防戦一方となった。その頃、他の天馬騎士達の戦いも同様の結果が出ようとしていた。
マーニャ率いる天馬騎士団は士気、チームワーク共にパメラ率いる天馬騎士団に明らかに勝っていた。
勝負の結果が出る頃には、パメラの率いる天馬騎士団はすでに三騎にまでその数を減らしていた。
「パメラ、もう勝負はついたわ。おとなしく槍を捨てなさい」
とマーニャが言うと
「くっ、これほどとは……。仕方がない、全軍撤退だ」
パメラは急上昇すると、ザクソン城の方角へ向かって飛び去った。
「マーニャ隊長、後を追って仕留めましょう。援軍を呼んでくるかもしれません」
と部下の一人が言った。
「そうね……。全軍前進、逃げたパメラ隊を追う」
マーニャはパメラの後を追ってファルコンを飛ばした。
先に逃げたとはいえパメラ隊に追いつくまでにさほど時間はかからなかった。
先の戦闘地点からザクソン城とはちょうど中間地点にあたる大森林のあたりでパメラ軍の姿を捉えた。
「パメラ、もう逃げられないわ。観念なさい」
マーニャは勇者の槍を構えた。他の天馬騎士団もパメラ隊を囲むような陣形で戦闘体制をとった。
「クックック、罠にかかったな。ここがおまえ達の墓場だ」
パメラはそう言うと銀の槍を太陽に向かってかざした。陽の光を反射して槍が輝く。
マーニャはその眩しさに思わず目がくらんだ。そして同時に背中に悪寒を覚えた。
(何か来る……)
「全軍、急速上昇!」
反射的にマーニャは叫んでいた。しかし、目が眩んでいる状態では手綱を操ることもおぼつかない。
シュッ!
鋭い音が響いた。
(まさか、この音は……)
視界が戻ったマーニャが目にした光景は、森林の中から弓を構える無数のスナイパーの姿であった。
ビシュッ、ビシュッ、ビシュッ!
森の中から数え切れないほどの矢がマーニャ隊に向かって放たれてくる。
混乱したマーニャ隊の騎士達が次々と矢の餌食となっていく。
「全軍、下からの攻撃に備え、この空域を離脱せよ!」
マーニャは急上昇し森林の出口に向かってファルコンを飛ばした。
森林の出口に向かう間も矢の嵐は止まない。それでもシレジア一のペガサス乗りであるマーニャは
巧みにファルコンを操り、何とか森林地帯を脱出し平野部の方へ離脱した。
地上に弓兵がいないのを確認してマーニャは辺りを見回した。
しかし、マーニャ以外に天馬騎士の姿は見えない。
(全滅……、シレジア天馬騎士団が全滅したのか……)
マーニャは激しい脱力感と悲壮感に襲われた。同時に、隊長としての自分の不甲斐なさを恥じた。
何故あの時、追撃を止めなかったのだろう……、そう思うと心が痛んだ。
自分の軽はずみな行動のために20騎もの騎士達を犠牲にしたのだ。
(隊長失格だわ……)
「ブルル……」
ファルコンが心配そうに主人を見つめる。
「ごめんね。私は大丈夫…、大丈夫だから……」
マーニャはファルコンの頭をなでてやった。しかし、その言葉とは裏腹にマーニャの目には涙がにじんでいた。
ビュォォォォ―――
激しい風の音にマーニャははっと我を取り戻した。
(そうだ、このことをラーナ様に報告しなくては……)
マーニャはシレジア城に向かってファルコンを向けた。
ビシュン!
刹那、マーニャの顔の横をものすごい速さで何かが通りぬけた。
(まさか……)
そのまさかであった。マーニャの眼下には約30騎ものアーチナイトがマーニャ一騎に弓を引いていたのである。
マーニャは全力でファルコンを飛ばした。
しかし、今度の敵はアーチナイト。上空の悪天候も重なって、逃げ切れる確率は万に一つもなかった。
離脱が無理だと判断したマーニャは、高度をギリギリまで下げると敵部隊に向かって突撃した。
高度を下げたマーニャに向かって敵兵が一斉に弓を引く。
ビシュ、ビシュ、ビシュン!
数十本の矢がマーニャに襲いかかる。
マーニャは急上昇してその矢をやり過ごすと、敵部隊に急降下をかけ槍を振るった。
最初の一撃で一人を仕留めると、返す二撃目でもう一人を仕留める。二撃目を放つと同時に急上昇。
敵兵はそのあまりの素早さに狙いを定めることができなかった。放たれた矢がことごとく空を切る。
ヒットアンドアウェイを繰り返すうちにみるみる敵兵の数は減り、残り10騎にまでその数を減らしていた。
(いけるか……?)
マーニャは敵部隊を欺くかのごとく、左へ右へと旋回を繰り返す。
しかし、その望みはあっさりと絶ちきられる結果となった。
マーニャが左背後から槍を振り下ろそうとした瞬間、
ビシュン!
と鋭い音。そして同時に
ザクッ!
鈍い音が響いた。どこからか放たれた矢がマーニャの左足に突き刺さった。
「……っく」
マーニャの左足に激痛が走る。しかし、マーニャは攻撃を止めなかった。流れ出す血を止めることなく
一心不乱に槍を振るう。そして急上昇した瞬間……
ビシュ、ビシュ、ビシュン!
どこから放たれたのかわからない無数の矢がマーニャに襲いかかった。
ドス、ドスッ、ドスッ!
鈍い音がすぐ後に響く。マーニャの体に無数の矢が突き刺さった音だ。
腕、足、胸…、その全てに矢が刺さっていた。しかし、マーニャは再び槍を振るった。
(部下が受けた痛みに比べればこのくらい……)
全身から鮮血がほどばしる。それでもマーニャは攻撃の手を休めなかった。
最後のアーチナイトに止めを刺した時にはマーニャには手綱を握る力も残っていなかった。
地上にファルコンを着陸させると、冷たい雪の上に転がるようにマーニャは落馬した。
大量の血が流れてしまったため、体を動かす力もなくただじっと横になっていることしかできなかった。
ファルコンが心配そうに顔を近づける。
「ごめんね、もう…動けない…の。この槍をラーナ様のところへ……。
最後に…もう一度あなたの背中に乗って…、おおぞらを…飛びたかった…な」
薄れゆく意識の中で、マーニャは初めてペガサスに乗って空を飛んだ時のことを思い出していた……。
時は流れて……
ある晴れた午後に、一人の天馬騎士がアルスターの南部にそびえる山脈の頂上に向かって飛んでいた。
天馬騎士の名はフィー。シレジア一の天馬騎士マーニャの妹に当たるフュリーの娘である。
「ふー、随分と高いところまで来たわね。お兄ちゃんはどこにいるのかしら。
マーニャ大丈夫?まだ飛べる?」
マーニャと呼ばれたペガサスはヒヒンと軽く鳴いた。まだまだ大丈夫、といった感じだ。
「お前にはシレジアの英雄と呼ばれるおばさまの名前がついてるんだもの。
このくらいじゃ、へこたれないわよね」
とフィーが言うと、マーニャはまたヒヒンと鳴いた。当然だといわんばかりの元気のよさである。
「そう、お前はそんなに空を飛ぶのが好きなのね。ふふふっ」
フィーが頭を軽くなでてやると、マーニャは急に高度を上げた。
「こらぁ、危ないじゃないの。ふふふっ、うふふふっ」
マーニャはおおぞらをとんでいた。高く高く、果てることのないおおぞらを。白い翼をはためかせて……。
(完)