追憶の風 風見 悠(はるか)
何が「善」で、何が「悪」だと言えるのだろう。…今の私には何もわからない。
神よ、どうかお救い下さい。
全身から立ち上る煙、時々噴き出す蒸気をものともせずに、その機械人形は少年に近寄っていった。ぎりぎりと耳障りな音を立てて少年の方に手を差し延べて、その名を呼ぶ。
「恒…サ、マ…」
辛うじて「人間らしさ」の残る声。少年は目にいっぱい涙を溜めて、彼を見つめていた。そう。少年は、阿恒様は龍神に力を渡し、復活させるためにここに来ていたのだった。
…その命と引き換えに…。
すべてをあきらめきったような瞳をした阿恒様に、彼は言った。
「恒サマ、が龍ニ、おなり下サイ」
阿恒様はハッとしたように目を見開いた後に、力無く首を振って答えた。
「私には…無理です」
「イイエ。恒さま、アナタなら、ナレます」
阿恒様をそっと抱きしめ、彼は続けた。
「恒さま…知っテますカ?私の作らレた意味、ナマエの意味を」
「意味…ですか?」
「ソウ。ワタシは…白雲。龍ハ、雲ヲ得て空高く、飛ブ。ソレが…ワタシの…役、目。ツクラレタ意味…。恒サマの、ために…。恒サマが飛翔、スルために…」
「でも、やっぱり私には無理です!相手は…北斗の龍は強すぎる!」
「デハ、私が、倒しニ行きます」
「白雲が?一人で?そんなの無茶です!」
「おいおい、兄者ぁ!」
ふと隣から大声がした。
「戦いに行くんなら、俺を連れてってくれよ!それに…」
照れたように毛むくじゃらの顔をかきながらその人狼は言った。
「俺達、義兄弟だろ?水臭いじゃねえか!」
「呂牙まで…」
阿恒様が嬉しいような悲しいような、よくわからない複雑な表情を浮かべた。
もう、何がいいことなのか、悪いことなのか、私にはわからなくなっていた。
−ディテクト・イービル− 神によって授けられた邪悪な存在を感知する力…それに阿恒様は反応してしまった。けど、それは阿恒様が悪いのか、龍神を復活させるその力が「悪」なのか…。天の下された啓示の意味、それがはっきりとわからないうちに審判を下す、そのことこそが「悪」ではないのか? 私がこれまで守ってきたものの意味は?
「待て」
私はそれ以上迷わなかった。
「私も行かせてくれ。おまえ達を信じよう」
「へへ。さっすが兄…いや、姉貴!」
呂牙が嬉しそうに笑った。
「兄上、呂牙、アリガトウございます」
白雲は「泣いて」いるように見えた。あたたかいものに私の胸が満たされていく。
「恒サマ、一ヶ月、一ヶ月デいいデス。お待ち下サイ。一ヶ月待っテ、私達ガ帰ってこなかっタラ、そのときは…ヨロシイですね?」
「白雲、呂牙…永空先生!」
悲鳴に近い声を阿恒様は上げた。私は彼をそっと抱きしめ、こう約束した。
「阿恒様、きっと戻って参ります。それまでお待ち下さい」
頬に生ぬるい液体が流れるのを感じて、私は目が覚めた。午後の遅い、柔らかな日差しが全身に降り注いでいる。私は…泣いていたのか? ゆっくりと体を起こす。まだ体の節々が、とりわけ背中が痛んだ。
思い出した。私は…義弟達と北斗の龍を倒しに行ったのだった。龍はあまりに強くて…。私は、どうすることもできずに逸早く殺されてしまったのだった。背中の翼が引きちぎられる音、義弟達の私を呼ぶ叫び声…思い出してしまった。
「白雲…呂牙…」
大切な義弟達。私の正体を知っても、変わることなく接してくれた義弟達。そして私に「絆」というものの素晴らしさを教えてくれた少年…。
「阿恒様…」
ずっと…大切な何かを失くした気はしていた。何故、忘れてしまっていたのだろう。涙が後から後から溢れてきて止まらなかった。
「何か思い出したのかの?」
いつの間に来ていたのか、この家の主人である老人が傍に寄ってきて、優しく私の肩を抱いた。老人…張老師。倒れていた私を救ってくれた老人だ。彼が来たときには、既に周りには誰もいず、私が一人で倒れていたと言う。
「私…私は…約束を…」
「忘れていた方が良いこともあるじゃろうにのう。まあ、良い。今は休め。時が来れば、『約束』を果たせる日もくるじゃろうて…そう、いずれ、な」
その言葉に何か抗えないものを感じて、私はただ目を閉じた。
風が吹き始めていたことに気がついた。
(了)
永空のプレイヤーより寄稿いただきました。
普段は清廉潔白な永空先生のナイーヴな主観小説ですv