ゴーストハウス

「南〜。ものすごく怖いお化け屋敷ができたんだって。行こ♪」
 天真爛漫に誘われて、南は北斗の顔を見上げた。
「この歳になってお化け屋敷?」
「おとなもたくさん行ってるよ」
 それは多分、目的が違う。
「なんで兄さんと」
「南と一緒なら、なんかあっても護ってもらえるから」
 あっけらかんと無条件の信頼を寄せられると、弱い。
 しかし、お化け屋敷で何の危険があるというのか。むしろ、過剰防衛にならないよう気を使わなくてはならないだろう。
 レネゲイドが発症して、オーヴァードと称される特異能力者になってから、ともすると日常でその便利な力を使いそうになってしまう。携帯電話を手放せなくなるようなものだ。
 だが、むやみに力を使うことは世間を混乱に陥れるうえに、自分の身体にもよくないと教わった。濫用は知らず知らずのうちに危機感の鈍化を招き、やがて中毒にも似た禁断症状を誘発し、暴走に至る。そうなればもはや死しかない。
 なまじ、武道など習っているから、南は周囲の異状や変化に敏感すぎて、反射的に力を使ってしまうことが多かった。今ではそれを抑えることも修行だと考えている。
 ともあれ、わざわざ「実害のない精神的負担の増加」を楽しむ趣味は南にない。
 そう告げると、北斗は珍しく素直に引き下がった。そう簡単に諦めるとは考えられないから、ひとりで行く気かな、と思っていたら、数日たって芸能雑誌の記者がニコニコしながらやってきた。
「今度の月曜、“リアルクライシス”行きましょう」
「やった。チケットとれたの?」
「ええ、もちろん。もともと口コミで広がったアトラクションで、取材は歓迎だそうです。特別枠で、最終受け付けの後で入れるようにしてもらいました。《A×2》さんからこんな企画あげてもらえて、編集長も大喜びですよ」
 南は北斗を睨んだが、記者の前では言い争いは控えておいた。
 北斗の描いた筋書きは明白だ。
 件のアトラクションは予約一杯で、仕事の合間にちょっと覗いてみる、というようなわけにはいかなかったから、取材にかこつけて出版社のコネでチケットを取らせようとしたのだろう。おまけに、《A×2》としての仕事となれば南も同行せざるを得ない。
 南としては溜め息とともに引かれてゆくしかなかった。

 いかにも、といった感じの造りではない。スタイリッシュといってもいい。それが逆に期待感をそそるのだろうか。
 入り口には「心臓の悪い方はご遠慮ください。万一、事故がありましても責任は負いかねます」という決まり文句と、「専任の医師が常駐しています。気分の悪くなった方は遠慮なくお申し付けください」というやや矛盾した告知とが並べて掲示してあった。
 これまでの中途退場者数と失神者数などという表示もある。死亡者数がないのがせめてもの救いか。
「じゃ、出口で待ってますから」
 記者は愉しげに去ってゆき、北斗も嬉しげに南の背中を押す。
「しっかり取材しようねー」
 無論、口実に過ぎないことはわかっていたが、南は憮然として乗り込んだ。
 この手のアトラクションの常として、警備兼監視用のカメラで撮影されていることは承知の上だが、もともと南は、一般大衆の間では「クールな南」として認識されている。北斗のようにむやみと笑顔でなくても、周囲は「飾らない南」に好意的だ。
 道に迷わせることが主目的ではないので、曲がりくねってはいるもののルートは一本道だ。乗り物は使わずに自分の足で歩いてゆくスタイルで、出口まではおおよそ30分くらいかかるらしい。
 ガラスを使った透過性の映像や、サラウンドで頭上を歩いてゆくように錯覚させる足音、レーザー光線といったハイテクと、昔ながらのスポンジで沈み込む床や、吹き付けてくる冷気。それと、人間の扮する幽霊たちが次々と演出を見せてくれる。
 北斗は適度に悲鳴をあげていたが、よく聞けばその声は嬉しそうで、お化け役のアルバイトたちも相手が《A×2》と知ってか、妙に馴れ馴れしかった。
 そんなに怖くない。
 確かに、不意に壁が動いたり、人が飛び出してきたりすれば、反射的に身体は構えてしまうが、危険はないとあらかじめわかっている以上、取り乱すほどのものでもないだろう。
 取材で感想を聞かれたら何と答えるべきか――
 頭の隅でそんなことを考えながら、鏡で作られた隘路に踏み込んだ瞬間、それは来た。
 雪崩落ちてくる異形の群れ。
 とっさにかざした腕をすり抜けて、濡れた爪が身体に届いた。
「負けちゃダメ」
 傍らに北斗の存在が割り込んできて、強張った肘に指が添えられる。
 その暖かさこそが現実。
 ひとつ息をつく間に、南は、ようやくここが“お化け屋敷”だったことを思い出した。
 すべてまやかしだ。信じさえしなければ。
「兄さん――」
 自分を取り戻した後も、皮膚の粟立つような感触は消えない。レネゲイドの干渉作用だ。
「今の…」
「なんかゾクゾクしたねー。僕も霊感あるのかなー♪」
 それは監視カメラを意識した発言だろう。南も無闇なことを言うのはやめて、ただ先を急いだ。
 さらに早足になった南に、北斗は文句も言わずついてくる。
「あんなことしてたら、いつか死人が出る」
 小声で投げた憤りに、北斗は肩をすくめた。
「まあ、全員にやるわけじゃないだろうけどね。僕らは取材で来てるからサービスしてくれたんじゃない?」
「いくら人気があるからって、何考えてるんだ――」
「聞いて見ようよ。本人から」
 北斗が指し示す方を見れば、出口にプロデューサーが待っていた。
「うーん。まだそれほどイッちゃってはいないね」
 例の測定器で相手の被侵蝕度をチェックした北斗が物足りなそうに云った。
 すなわち、相手はなんらかの思惑に基づいて、あれをやっていることになる。
「ただいまー。リタイヤせずにクリアしたよ〜」
 手を振りつつ報告した北斗は、そのままうまく「個人的な質問」をする機会を作り出した。
「このアトラクションの企画者・鶴田さんに質問〜。
 “ワーディング”って知ってる?」
 あまりにもあからさまな問いに南は顔を引き攣らせたが、鶴田はむしろ意表を突かれたようだった。
「マーケティング用語だっけ」
 まるで典型的な「オーヴァードを知らない一般人」の反応だ。
 奇妙である。
 しかし、北斗は気にかけない。
「外れ〜♪」
 胸の前で腕をクロスして×印を作ると、いきなりその場にワーディングを展開した。
 南には馴染みの感触だが、雑誌記者はその異空間の中で動くことも意識を維持することもできずに取り残されている。そして、鶴田はここに至って初めて仰天しているようだった。
「き、君も超能力者かっ?! これが君の能力か、すごいぞ!」
「こんなの序の口だよ」
 北斗は指を組んで微笑む。
「それより――どうして、こんなことをしたのか教えてくれるよね?」
「ああ、うん…」
 鶴田は素直に頷いた。
 それこそが北斗の“能力”だとも気付かず。
「家で、ひとりでホラー映画見てたときにさ、怖くて、ギャーッって思ったときに目覚めたんだよ、俺の超能力。それで――」
 延々と、宇宙人が、潜在的遺伝子が、前世の使命が、と熱っぽく話し続ける鶴田は、要するに、自分と同じショック体験をさせて人類を「次なる段階」へ導こうとか考えて、「ものすごく怖いお化け屋敷」を作ったというのだった。
 彼にとって残念なことに、この装置で「進化」した者はまだいないらしい。まあ、それはそれで自分は特別なんだという自信にもなったし、ビジネスとしては黒字なのでいいかと思いはじめていたところだという。
 復讐とか憎悪とかの要素は欠片もなく――なんとも壮大な動機であった。
 レネゲイドが発症するのに、肉体的あるいは精神的なダメージは一因となると云われているのは確かだ。独力でそれに気付いたのはすごい。しかし、そうして発症した者の半数以上が、耐え切れずに死ぬか狂うのも事実なのである。
 よくまあ、今日まで無事で過ごせたものだと思う。
 お化け屋敷で暴走が起こらなかったのも幸運だったが、鶴田がウィルスに取り殺されてジャーム化しなかったことも幸運のうちだ。なにしろ、オーヴァードの基本能力たるワーディングすらしたことかないというのである。
 頭を抱え込む前に、南は支部長からもらった名刺を探し出して鶴田に渡した。
「いいですか、鶴田さん。
 すぐにUGN――ユニバーサル・ガーディアン・ネットワーク――へ行ってください。
 そこでは、あなたと同様の力を持った人たちがいて、正しく力を使う訓練や、禁忌について教えてくれますから」
 南の説得に、鶴田は少し考え込む素振りをみせた。
 実際に、他にも同類がいるという事態は想像の範疇外だったらしい。
「絶対に行かないとダメです。そんな力の使い方をしていたら、いつか必ず事故が起こります。あなた自身も、レネゲイドに食いつぶされてしまうんですよ」
「脅しじゃないよ。もうそろそろ反動が来るんじゃない?」
 不意に割り込んだ北斗が、鶴田の前に掌をかざした。
「ほら…聞こえるでしょう? 力を使う度に、奈落の番犬が迫ってくる足音が」
 鶴田は引っ張られるように背後を振り返った。蒼白な顔に脂汗を浮かべている。
「誰かを怖がらせる能力なんか使ったら、同じだけの痛みが返ってくるようになるよ」
 ひっ…と声をあげて、鶴田は蹲った。
 北斗の言葉は、その相手にとって「真実になる」ことを知っている南は北斗を制しようとしたが、北斗の笑みは有無を云わせぬものだった。
 一見、愉快犯に見えるけれども、間違いなく北斗は本気で怒っている。
 南を傷つけた相手に対して。
 たぶん、それはどんなお化け屋敷よりも怖い。
「北斗、そのくらいにしておいて」
 肩に手をおいて真摯に頼むと、北斗はにこやかに頷いた。
「いいよ。その代わりなんかおごってね☆」
 学生の弟にたかるアイドルがどこにいる。そもそも、こんなことに巻込まれたのは誰のせいだ――という正当な反論を、よくできた弟はなんとか抑えてその場をおさめた。
 ワーディング解除後の雑誌記者へのフォローも滞りなく済ませ、レポートは後日送るからと仕事も忘れない。
 帰途についた北斗はすこぶる機嫌がいい(ように見えた)。
 噂のお化け屋敷には並ばず無料で入れたし、めったにない経験もできたし、南には食事をおごってもらう約束も取り付けたしで、今日のところは充分満足したのだろう。
 レネゲイドを発症しても自分が正気で居られるのは、生まれついてのこの環境が、たゆみなく自制心を養ってきたせいかもしれないとふと思う。
 日常がびっくり箱のようなものだ。
 やっぱり、わざわざスリルを求めてお化け屋敷に行く必要なんかまったくない。
 南は改めて、堅実に生きようと強く決意した。

 多分、また無理矢理、連れ出されるのだけど。 

   FIN