変わり種
待ち合わせ丁度の時間に、彼の姿はかろうじて視界に入っていた。
すれ違う人たちと挨拶を交わしながら駆けて来る。
左右に笑顔を振り向け、手を振り返し、呼びかけられる声に返事をと忙しい。
ほとんど前を見ていないのではないかと思うくらいだ。
ようやっと待ち合わせ場所にたどりついた彼は、すぐさま鍬形をそれと察したらしく、にこやかに寄ってくる。
「はじめまして。田中次朗です。ジロウのロウは“朗らか”の方だから」
弾む息でまくしたてて、田中は握手の手を差し出す。
あらかじめUGNから協力者のデータは受け取っていたから、改めて教わる必要はなかったのだけれど、彼にしてみれば漢字解説つきのフルネームで自己紹介をするのが癖になっているのだろう。
確かによくある――いや、典型的すぎて悪目立ちしそうなくらいの氏名である。
「俺は鍬形」
ありきたりでない姓の鍬形は人違いではないことを示すためだけに簡潔に述べたが、その後がなかなか続けられなかった。
駅にやってきた部活帰りらしい高校生と田中との間で賑やかな応酬が始まってしまい、おまけに社交的な田中は鍬形のことまで勝手に紹介して雑談の輪の中に引き込もうとする。
とりとめない会話の中で、田中がいつ口を滑らせてUGNのことをしゃべるんじゃないかと、鍬形は気が気でなかった。
その最中にも、通りすがりのおばさんやら近所のおじさんやらが「田中君」に挨拶してゆく。
「田中、そろそろ――」
無理矢理、話を中断させて、鍬形は田中を駅から遠ざけた。
このまま帰宅ラッシュの駅前などにいたら、いつまでたっても本題に入れない。
かといって、ファーストフードや喫茶店に入っても、この田中のことだ、商店街中の人間と顔見知りの可能性も高かった。
田中は鍬形の悩みを察したように「じゃ、俺の部屋で話、しようよ」と誘う。
こんな風に気を回せるのが人気の秘訣かもしれない。
田中の自宅は戸建ての民家だと記憶している。打ち合わせの場所として利用しても差し支えはないだろう。
鍬形が了承の意を伝えると、田中は携帯電話を取り出して家に連絡を入れた。
「あ、母さん? 今から、友達ひとり連れてくから、夕飯一人前追加よろしく」
「いや――」
鍬形が遮るより早く、田中は通話を切っていた。
「なあに?」
「ご実家の家計に負担をかけるのはよくない。出張費も出ているから、やっぱり近くで…」
「ホント? じゃ、ケーキ買ってこうよ」
田中は嬉々として鍬形を、男ひとりで入るには勇気の入りそうなケーキショップに連れ込んだ。
あれもこれもとケーキを箱詰めしてもらう田中の背後で、鍬形はこの領収書をUGN名義で切るべきか密かに葛藤していた。
「ただいまー」
近所中に帰宅を知らせるかのように門の外から大声で告げて、田中はスチールの門扉を開け、鍬形を招き入れた。
玄関前の犬小屋に寝そべっていた雑種犬が、家人の帰宅にしっぽを振りつつ、客人の姿に警戒の声をあげる。
田中はそこにしゃがみ込むと、犬の首を撫で回した。
「ただいまー、サブロー。俺の友達。覚えてくれなー」
それとなく見上げたドアの上に掲げられた表札には『田中太郎』とある。
何故だか目眩がした。
その扉を開けて、一家の女主人とおぼしき婦人が顔を覗かせる。
「いらっしゃい。待ってたわよ」
「鍬形です。急に押し掛けてしまい、申し訳ありません」
「いつものことよ。気にしないで、どうぞ。今日は一郎が友達連れて来てないだけ静かな方」
夕食に他人が交ざるのが常態なのか…愕然とした鍬形は大人しく田中の母についてゆく。
夕餉の支度の整ったリビングに通されると、まだ午後6時かそこらだというのに、もう田中の父と兄とおぼしき人物がテーブルについていた。
『家族に引き合わせ』というフレーズが唐突に浮かんで、立ちくらみがする。
「さあさあ、ご飯にしましょ」
椅子を引かれ、家族の団らんから逃れる術もなく、鍬形はまたしても本題が遠のいたのを覚悟した。
鍬形が家族に紹介され、その続きのように夕食の献立が披露される。
煮魚に豆腐のみそ汁、肉じゃが、白飯、納豆――定食屋のようだというべきか、いや多分、基本的な日本の夕餉の食卓なのだろう。むしろ、鍬形の食生活が基準外なのだ。
さんざんしゃべった後、ようやく「いただきます」が唱和され、その発声の直後に、田中――いや、ここの住人は皆、田中姓だろうから、田中次朗が――開口一番に言った。
「今度、この鍬形と、うちの学区でジャーム探しするんだ」
噴きそうになるのをかろうじて堪え、鍬形は田中(次)を睨んだ。
家族のテーブルで仕事の話をぶっちゃけるヤツがいるか?!
「あ、気にしないでいいよ」
のほほんと田中(次)は鍬形にうなずく。
「母さんはUGNでボランティアやってるし、兄貴の彼女、UGNにいるし、父さんは仕事上、守秘義務とかよくわかってるから」
「UGNはお得意様だしなあ」
「いつもお世話になってますぅ」
食卓を取り囲む田中(全員)がにこやかにうなずいている。
生まれたときからずっとUGNで育ってきた自分は変わり種だと思っていたが、この田中家も相当に変わっている。
結局、夕飯の席上で作戦会議をしたあげく、手土産ということになったケーキもいただいて、名残を惜しまれつつ再び駅まで送ってもらった鍬形は食傷気味に礼を言った。
「じゃ、明日から頑張ろうぜ」
あくまでも明るく田中は受け入れる。
「任務だからな」
「おれたち、期待されてるみたいだね」
「ともあれ、任務だ」
「そうそう。楽しくやろうよ」
忍耐力が鍛えられそうだが――それもまた経験だ。
同い歳というだけで、生き方のおおよそ正反対の協力者に握手を求められ、鍬形は軽くその手を握り返した。
けっして悪い経験ではない――と心のどこかが囁いている。
今はそれを信じることにして、鍬形は田中に手を振った。
「また明日、な」