対決 <その後> (根古道 作)
城内は惨憺たる様相を呈していた。
議会から帰還し、自室を一歩踏み出した怜芝はあまりの惨状に目を丸くする。
廊下や部屋のいたるところに棒杭や網や細い縄が散らばり、燭台や飾り物のいくつかが壊れて転がっていた。壁にもあちこちに傷や焦げ跡が残っており、なかには石材が一部砕けている箇所すらある。これが自分の城でなかったら、盗賊の一団が大挙して押し寄せたのかと思うほどだ。
躰の裡に響かせた血脈の共振を導に怜芝は地下への道を辿る。
「刹、蓮。あれほどおとなしくしていなさいと言っただろう。
このありさまは一体どういうことなんだい?」
突き当たった扉の前で声をかければ、中で竦む気配が二つあった。
「長っ、駄目です、そこはっ…」
切迫した紅蓮の言葉を無視して扉を開いた瞬間、鋭く尖った十数本の竹が怜芝の頭上に降り注いだ。
矯められていた力をそのまま飛び出す力に変えて襲い来る竹の群れ。その向こうに、目を見開いた紅蓮と毛を逆立てて丸くなった刹の姿を認めて怜芝は微笑を浮かべ、軽く手を払う。
まるで時間そのものが止められたかのように、宙を飛来するそのままの姿で竹の群れが停止し、次の瞬間、耳に痛い音を立てて床に散らばった。
安堵の溜息をついて力を抜く紅蓮をよそに、黒い毛玉が転がるように走り寄って怜芝の足元にじゃれつく。
甘えた鳴き声を上げながらしきりに体を擦り付けてくる刹を抱き上げ、眼の高さを会わせて怜芝は艶やかに微笑んだ。
「刹。また言いつけを守らなかったのかい?
そんなことが続くと、今度から議会に行くたびにおまえを封印してしまうよ」
柔らかな物言いの底流に僅かに圧力を含ませて囁くと、刹は耳をぴたりと伏せて上目遣いに主人を見上げた。
哀れみを求めるようなか細い鳴き声に再び笑みを誘われて、怜芝はその丸い頭を撫でる。
「ふふ。そんなに怯えなくてもいい。おまえがいい子にしていたら、そんなことはしないよ」
白い指に耳の後ろを軽く掻かれて刹は嬉しげに喉を鳴らした。微睡むように目を細めながら、そっと怜芝の表情を窺って、小さく声を立てる。
柔らかな微笑で応えて怜芝は刹を床に下ろし、漆黒の毛並みを指先でついと辿った。
「もちろんだとも。おまえを怒ったことなど無いだろう? ……そうだね。そろそろ頃合いだろう。下に行って食餌をもらってきなさい。後で私の部屋に戻って来るのだよ」
尻尾をぴんと立てて軽やかに去っていく刹を見送り、怜芝は目を室内に戻す。
部屋の中央では、紅蓮がどこか憮然とした表情で膝をついていた。
「さて、蓮。おまえにも説明をしてもらわなくてはいけないね」
刹はあれでおしまいなんですか――そう表情が語っているのを故意に見逃して、紅蓮を足下に呼び寄せる。
どこか不機嫌さを漂わせたまま足元で蹲踞する紅蓮の肩に手を置き、怜芝はゆっくりと噛んで含めるように言葉を発した。
「蓮。おまえには刹を見ていておくれと頼んでいたはずだよ。それが、どうしてこんなことになったんだい?」
「お言葉ですが、長。一晩中探して、俺が刹を見たのは数えるほどです」
憮然とした反応も怜芝の気分を害するものではなく、むしろ微笑を呼び起こすものだった。
「刹は身を隠すのに長けているから、おまえが見つけるのに苦労するのも無理はない。
悪戯も好きだから、おまえが気を荒立てるのも仕方ないことかもしれない。
けれども、だからといっておまえがあのようなものを仕掛けていい理由にはならないよ。
あの子に怪我をさせたら、どうするつもりだったんだい?」
顎を抓んで上げさせた紅蓮の顔には、少しぐらい怪我をさせても死にはしない、との思いがあからさまに浮かんでいた。
その言葉が音となって表れるより早く怜芝は語を継ぐ。
「刹の悪戯だけだったなら、ここまで城の中が汚れたりはしなかったはずだよ。
召使達まで使って罠を仕掛けさせたのはおまえだろう?」
これには反論の言葉もなく、紅蓮は目を伏せて無言の肯定を示す。
「ならば、おまえには罰を与えないといけないね」
愉しげに告げて怜芝は紅蓮を立ち上がらせた。
観念したのか諦めたのか、紅蓮は従順に怜芝の手を受け入れた。だが、怜芝が素早く紅蓮の両腕を後ろ手に押さえ込むと、微かに息を呑んで体を強張らせる。
「ダメだよ、蓮。これからおまえの悪戯の後始末をするのだから。そんなことでは後が辛いよ」
笑みを含んだまま囁きかけて、怜芝は絹の組紐で紅蓮の両手首をまとめて括ってしまう。
えっ、と紅蓮が聞き返しかけたところで軽くその胸板を押してやると、紅蓮の体はあっけなく均衡を失って部屋の奥へと数歩よろめいた。
翻った衣の裾が床を這う糸の一本にかかり、動きに応じて後ろへと引いていく
微かな抵抗を感じ取った紅蓮が顔色を変えるよりも早く、壁の一隅で留め金の外れる音がした。
同時に、仕掛けられていた鉄籠が壁を離れ、紅蓮に向けて滑りだす。
不自由な体を捻り、倒れ込むように飛び退いた紅蓮の背後で鉄籠が重い音を立てて着地した。
「そう。なかなかいい感じだよ。その調子で他の仕掛けも解いて行きなさい」
床に倒れて荒い息を吐いている紅蓮を軽々と引き上げると、怜芝は扉を指し示す。
「あの扉から私の部屋までがおまえの担当だよ。他の場所は召使い達に任せるから気にしなくてもいい」
こともなげに言われて、紅蓮は一瞬視線を宙に彷徨わせたあと、深い息を吐いて瞑目した。
この地下室から怜芝の自室まで、越えるべき障害の数々を思えば目眩を感じる。
刹と自分との扱いの差は何なのか。そう問いかけたい気持ちが沸々と湧いていたが、口は開かずにおく。問えばあっさりと答えが返ってくることも、その答えが納得いくものではないことも分かり切っていたから。
促されて紅蓮は長い道のりの第一歩を踏み出した。