夢語り はるか 作
208年、曹操は百万の大船団を率いて長江に押し寄せてきた。対する呉は、劉備軍と同盟を結び、十万の船団で迎え撃つ。
圧倒的に曹操が有利かと思われたが、おりから吹いた東南の季節風によって呉は火計を成功させ、曹操は撤退を余儀なくされた。火計の威力は凄まじく、火の粉が長江を覆い、川岸は真っ赤に焼けただれたという。
後の世に言う「赤壁の戦い」である。
天下に王手をかけていた曹操は、この敗戦によって国力回復に努めざるを得ない状況に陥った。
赤壁の敗戦からそれほど時は経っていないはずだった。
にも関わらず、魏の中でも帝のおわす都から遠いこの辺境の町は、以前と変わらぬ活気を取り戻しつつあった。
日が暮れて、酒家には人が集まり始めている。中に一軒、やけに客足のいい店があった。
「んで、先生、あっしはどうしたらええのかのう」
こほこほと咳をしながら心配げに尋ねる男に対し、「先生」と呼ばれたその若者は――そう、「先生」と呼ばれるにはあまりにも不釣合いな、まだ二十にもなっていないような若者だった――手早く何かをすり潰して作った茶色の粉末を袋詰めにして渡し、こう答えた。
「この薬を食事と食事の間に飲んで下さい。
そうだなあ。食事してからしばらく経って、ちょっとおなかがすいたかなと思ったあたりに飲むといいですよ。後は、まあ、一晩よく寝れば治りますよ」
「ああ、ありがてえ。今はかきいれどきじゃからのう。ほんにありがてえ。
ところで、お代は…」
男は上目遣いに若者を見上げた。
「別にいいですよ。好きでやってることですから」
人懐こそうににっこりと笑ったその笑顔がどれほどありがたかったか。後光が射しているような気すらした男は、思わず拝んでから去っていこうとした。
「ちょいと! 風邪にはこれが一番さね! 食べてきな! お代はいつもの半分でいいよ!」
酒家のおかみさんは、ちゃっかりいつもと同じ代金にしているのだが、そんなことはどうでも良くなっている男は、都合良く空いていた席に腰掛けて、おかみさんの言った料理を注文する。
なにせ、医者なんてそうあちこちにいない時代である。運良く巡り会えたとしても、診療してもらえるなんて、しかもタダでいいなんて奇跡に近い。だから大抵の場合は「お代がかからなかった分、ちょっとぐらいならいいか。しかも半額だとよ」と寄っていくことになるわけだ。
まあ、本人がここにやってこれるぐらいなのだからそこまで深刻な症状ではないし、薬や症状に差し障りがあるような食べ物や酒は医者が勧めない。それどころかむしろ「医食同源」とばかりに病に効くものを勧められるので、酒家はこの辺では評判となっていた。
ちなみに、重症の家族のために相談に来た場合は、本当の意味でタダにしている。
「永空さん、あんたのおかげで助かるわぁ」
おかみさんは上機嫌で若者に話しかけた。
「いえいえ。お互い様ですよ。私もおかげで情報がもらえるし」
「あの噂かい?娘ばかりが村から攫われるっていう」
妙な噂が流れていた。この町の近くの村々が、最近、しょっちゅう賊に襲われているという噂だ。賊に襲われた村からは、若い娘が一人もいなくなっているのだという。他に奪われたものは一つもないというのがおかしな点だった。
永空は、その噂が気になってしかたなかった。
男の格好をしてはいるが実は女性である永空は、女性が物のように扱われる話を聞くと我慢がならない。幼い頃、賊に襲われて悲鳴をあげていた女性達を見て震え上がったことを思い出すし、自身も、女であるがために恐い思いをしたことがあるからだ。
もっとも、今、男の格好をしているのはそれだけが理由ではなく、単に旅をする上で動きやすいという理由もあったのだが。
さらに、この噂が気になるわけがあった。
彼女のもう一つの正体である<降りた天使>としてのエゴが疼くからだ。
邪悪なことが行われている予感があった。そんなことは、神に仕える者として許せない。
攫われた娘達をきっと助け出す。そう決心した永空は、情報を集めて回っていたのだ。
この酒家が本拠地になったのはただのなりゆきだったが、思いの他収穫がある。賊に襲われた付近の村の者が、鬱憤を晴らすためにここにやってくることも多かったのだ。今日も近くで飲んでいた男達がおかみさんの言葉に反応した。
「ああ、あの領主様の話だろ。確か…昂翼とかいったっけなあ。娘達は館の中に囲い込んでるらしいぜ」
「かなりのイイ男とかいうけどよ。賊雇って襲わせてるんじゃなあ。…ケッ」
「なんでそんなことをするのかねえ」
「さあ?おエライさんの考えはわからん」
…ほぼ同じ話だな。情報は出揃ったか。後は証拠さえ掴めば乗り込めるんだがな。
永空が考え事を始めたそのとき、急にバタンと扉が開いて、若い娘が酒家に駆け込んできた。
「お医者さまがいるってホント?」
まだ成人して間もないといった風情の娘だった。年の頃は15〜16といったところだろう。
「どうしました?」
「ああ! 良かった…。お父様が…山で狩りをしていて怪我をして…」
症状を聞いた永空は蒼褪めた。一刻を争うような患者だったのだ。
「すぐに行こう。おかみさん、今日は悪いけど…」
「ああ、すぐに行ってやんな! まったく…どうしてこう悪いことばかり続くんだろねえ、橘華ちゃんとこは」
橘華の村は、ほんの数日前に昂翼の雇った賊に襲われた村だった。運良く出かけていた橘華は、村で唯一残った娘だったのだ。
町から比較的近い村だったので、永空たちは翌朝までには村に到着した。
すぐに処置を施した橘華の父親は大事に至らずに済み、永空は大変に感謝された。
娘一人を残して死ぬことになるのかとあきらめきっていた父親は大喜び。近隣の者達に永空をもてなすよう頼んだのだった。
「旅の医者だって? へえ。まだ若いのにようやる」
「お兄さん、取れたてだよ。うめえぞ〜」
「今日は村長んとこに泊まってけ。ちょっとぐらいはええじゃろう」
小さな村だったこともあってか、永空は村中の者に歓迎されたのだった。こんなに手放しで歓待を受けるのは久しぶりのことだった。
永空は人の助けになったことが嬉しくて――だから、少し油断してしまったのだ。
真夜中のことだった。
悲鳴が聞こえてきた。永空は慌てて跳ね起きた。
「しまった。橘華殿が危ない!」
彼女の家に急ぐ。だが、既に遅かったのだ。橘華は賊に連れていかれた後だった。
「橘華を…たのむ…」
立ち上がるのもやっとで、父親は永空に縋りついた。
「お任せ下さい。必ず、彼女は取り返します」
永空はすばやく馬に乗ると、引き上げていく賊の後を追った。
夕闇が迫る頃、昂翼の領地に辿り着いた。
思いのほか領地は豊かで、永空は面食らった。
そういえば、昂翼の悪行の数々が噂になっているわりに、領民が逆らうという話も聞かなかった。
男装の姿のままよりは、女性の姿になった方が攫われた橘華のもとに行きやすいだろう。
そう考えた永空は、その辺の店で女物の服を手に入れ、手早く今着ている服の上に着込むと、昂翼の館へ向かった。
門番は、天使の姿に戻って「天使の羽根」を使うことで凌いだ。
この業は人間に注目されるが、見た者は幸せな気分になるだけで、「天使を見た」という記憶がなくなる。目立ちはするが、この方が無辜の民を傷つける恐れはない。
魔物の姿を見た人間は、最悪、発狂死してしまうことがある。それだけは避けたかった。相手が魔物でない限りは見つからないだろう。そう、魔物でない限り。
そのまま低空飛行を続け、館の中に入ろうとする。と、扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
「あ〜あ。こんなところで見張りなんてよ!
…おい。今夜は4人だとよ」
「ちぇ、西の塔の連中め。うまいことやってるだろうなあ」
「ああ。やってるだろうさ。娘っこの見張りだぜ? 何もしないわけないだろう。俺もあやかりたいねえ」
無用心なことに大きな声で愚痴を言っている。しかも館の中で。
…そうか、西の塔か。
見ると、館の西側に比喩ではなく、高くそびえ立つ塔が見えた。
今度はそちらに飛んでいく。
本来、監獄用ではないのだろう、塔には大きな窓がついており、しかも開かれていた。飛んでいって、窓際に寄る。
格子のはまった小さな部屋が見えた。その前に守兵が二人。
「やってらんねえよ!」
どうやらここでも守兵が愚痴っているようだった。相方の守兵が渋い顔をして嗜めているが、やめようとしない。
愚痴を言っているのは賊上がりの男のようだった。嗜めた男の方は、もともと館にいる警備兵なのだろう。
「目の前にいるってのに何もできないんだぜ。ある意味拷問だよなあ」
「よせ。誰のおかげで生活できると思ってる。まったく、昂翼様が雇いさえしなければおまえのようなものなど…」
「へいへい」
なるほど。賊上がりの兵は欲求不満。指令の系統もおそらくうまくいってないんだろう。あいつをどうにかできれば牢の中の娘を連れ出して逃げ出せるな。
できるだけ全員助けよう。そうなると「天使の羽根」を使って抱き上げていくわけにもいくまい。ならば、人の姿で…。
…うーん、あまりやりたくはなかったが、やむをえん。
ちょうどそのとき、嗜めていた方の守兵が、立ち上がって牢の鍵を開けるのを永空は見た。娘の一人を連れていくらしい。
守兵は鍵を同僚に渡すと娘を乱暴に引っ張って、塔を降りる階段に向かっていった。
渡された方は鍵を閉めようとしているが、なかなか閉められず戸惑っているようだ。
チャンスだな。できれば全員助けたかったが…。しかたない。とりあえずは残った方だけでも。鍵を閉めてしまう前に!
牢の中に橘華がいることを確認しつつ、永空は窓から入り、人の姿に戻りながらふわりと飛び降りると、守兵に近づいて声をかけた。
「お、女?!どこから入った?」
「あまり広いから道を間違ってしまったみたい…。ねえ、兵士さま」
守兵にすっと近寄り、身を寄せると、永空は耳元に囁いた。
「私、心細いの…相手をして下さる?」
「へへ。こいつぁ、運が巡ってきたかな。しかも上玉とくらあ。へへへへへ」
…くそ。こんなヤツなぞに!
心の中の葛藤を抑えつつ、永空は牢の中の橘華に片目をつぶって合図を送り、早く逃げ出すよう促した。
橘華は、はっとしたように永空を見つめ、うなずくと、恐る恐る動き出した。
彼女らが通りやすいよう道を開けるようにして、守兵を引きつける。
守兵は相変わらず鼻の下を伸ばし、後で何が起きているか気がつきもしない。
どうやら酒も飲んでいたようだ。
…職務怠慢。サイアクだな。まあいい。
橘華殿が階段に差し掛かったら魔の姿に戻るか。「天使の歌声」でも聞かせよう。そうすれば…。
予想外の事態が発生した。
先に娘を連れていっていたはずのもう一人の守兵が戻ってきてしまったのだ。
「…なぜ、残りのも出てきている? まあ、良い。『全員連れてくるように』とのことだ!
…おい。何をやっている!」
「逃げろ!」
永空は、抱きついている男の延髄の部分をすばやく刺激して気絶させると、もう一人の呆然としている守兵を残し、娘達の手を引いて逃げ出した。
少し遅れて「逃げたぞ!」叫ぶ声を後に聞きながら。
駆けに駆けて、もう少しで館の敷地外へ!
そのとき、目の前に男が立ちはだかった。
「どうしたんだい?やけに遅いじゃないか」
この世で、いや、天界ですら見たことがないほどの美青年だった。
思わず、はっと目を見張ってしまった。
「こ、これは昂翼様…。も、もうしわけありません! 娘達はここに」
そうこうしているうちに、追いついてきた守兵に永空も捕らえられてしまう。
「…一人増えてるね。ほぉう。これはこれは」
昂翼と呼ばれた男は、頭の先からつま先までなめるような視線で永空を見る。
永空は、背筋が寒くなるのを感じた。
「お嬢さん、あまり困らせてはいけないよ。君ほどの美しい人ならわかるだろう?」
昂翼は、輝かんばかりの笑顔で言った。
永空は、ふと、橘華以外の娘が刺すような視線で自分を見ているのを感じた。
この娘たち、ひょっとして?
考えている暇はなかった。
「女達を私の部屋へ。連れていけ」
昂翼が急に冷淡ともいえる声で命令したのだ。
兵たちは、永空達を乱暴に部屋に放り込んだ。
領主の部屋らしくそこそこの大きさではあるが、やけに質素な部屋だった。
「誰も部屋に近づけないように。いいね?」
言い置いて、兵たちが去っていくのを確認してから昂翼が振り返る。
「昂翼さまぁ」
橘華以外の3人の娘が昂翼に擦り寄っていった。
しばらくの間、昂翼は娘たちの髪をなぜたり口付けたりしていたが、不意に永空の方を向いて、話しかけてきた。
「君は、あの村の娘じゃないね? 何が目的だい?」
「彼女を、橘華殿を返していただこうか?」
「…それだけのために一人でここまで? 君は美しいだけじゃなくて、ほんとに勇敢な女性なんだね」
ニコリと笑うと、永空にゆっくり歩み寄り、壁に追い詰めていく。
「まるで天使か戦乙女か…」
「な、何を…」
昂翼は永空の頤を軽く持ち上げ、ほとんど触れそうな距離にまで顔を近寄せ、息だけの声でささやきかけた。
「君ほどの女を敵に回したくないな」
「何を言っている?」
「『君を放したくない』と言っているんだ。どうだい?」
低く、よくとおる声で耳元に囁きかけ、優しく永空を抱きしめる。
「だ、誰が、貴様なぞに!」
「ふふ。強がりかい。かわいいね」
「な!」
今までほとんど“男”として過ごしてきた永空は、戸惑うばかりだった。
なんとかせねば。
思いはしても、体が動かなかった。それでも、口だけは懸命に抗い続ける。
昂翼は不意にふっとため息をついて言った。
「あまり時間がないな。オトシたいのはやまやまなんだけどね」
「何?!」
「…私の目的の邪魔はしないでもらおうか」
瞳が妖しく光ったことには気がついた。だが、抵抗できなかった。
急に頬が上気し、胸が早鐘を打ち始める。他のことは何も考えられなくなっていく。
「…いい子だね。そこにおとなしくしててくれるかい?」
耳まで真っ赤になって、昂翼の顔もまともに見ることができなくなり、恥じらいながらも永空は従った。声をかけられただけでも嬉しくて、すっかり舞い上がってしまっている。
昂翼は娘たちの方に振り返ると何か話しかけ、別の壁の方に向かった。
何やら動かしている。と、突然、壁がスライドし、真っ暗な通路が口を開けているのが見えた。
「さあ、おゆき」
昂翼は優しげに囁き、娘たちの背中をそっと押して、通路に向かわせた。
3人の娘は暗闇の奥に消えていった。
橘華が抵抗している。何度も自分の名を呼んでいるのがわかった。
だが、どうしようもなかった。ただ、彼のために何かしたかった。だから言うとおりに。
昂翼が、暴れている橘華を気絶させるのが見えた。
「永空っていうのかい?
…綺麗な名前だ。君も手伝ってくれないか?」
言われて、永空はふと我に返った。
危ない。妖しげな術にはまるところだった。
くやしい。こうなったらいっそ、術にかかっていたことを利用してやれ。
「はい、昂翼様」
術にかかったままのふりをして橘華に近づく。
と、いきなり魔物化し、気絶した橘華を抱えて飛び上がった。
「天使の歌声」を聞かせる。手ごわそうな相手ではあったが、うまく術はかかったようだ。
昂翼は動きを止め、惚けたように永空の歌を聞いている。
そのまま窓に体当たりをして飛び去っていく。橘華は軽かったのでやすやす飛ぶことができた。
「…驚いたな。ほんとに天使だったのか。では、さっきのは…なるほどねえ」
昂翼は飛び去っていく永空を見ながら、微笑んだ。
「今回は負けでいいよ、永空」
ふっと笑いかけて、飛んでいく先を見ていた昂翼のその表情が、急にこわばった。
「…もう出てきたか」
乗ってきた馬のところにたどりつくと、永空は人の姿に戻り、女物の服をかなぐり捨て、橘華を乗せて走り出した。
追ってくる者は一人もいなかった。
不思議に思いながらも走り続ける。
駆けに駆けてもう少しで村にというところで、永空は馬を止めた。
村の方角から噴煙が立ち昇っている。夜中にも関わらず、やけに明るい。
…しまった。
村は壊滅状態にあった。
意識を取り戻した橘華は、慌てて父親のもとに駆け寄っていく。
「お、おとうさま! いやぁ〜!!」
永空の脳裏に歓待してくれた優しい村人たちの言葉がこだました。
「また…助けられなかったのか?」
この地上に降りてきた当初の、あまりに無力だった自分を思い出す。親しくしてくれた人間を誰一人として助けることができず、賊に殺されていくのを泣きながら見ていることしかできなかった自分。これでは、あの頃と変わらないじゃないか。
落ち込んでいる間はなかった。
前方に見たこともないほど巨大な蜘蛛が現れたのだ。黒々とした小山のように巨大な蜘蛛が。
村を破壊しつくした蜘蛛は生存者がいると見るや、こちらに矛先を向けてきた。
橘華は父親に取り縋って泣き崩れている。今なら変化したところは見られまい。
永空は再び天使の姿に戻り、蜘蛛の注意を引くように動いた。
蜘蛛は奇声を上げながら永空に向かってきた。
素早く飛び上がり、攻撃を避ける。
体の大きさのわりに動きも素早いその蜘蛛に、肉弾戦を苦手とする永空は、なかなか太刀打ちできずにいた。このままではやられる。
「そいつを無力化させるのは、君では無理だ」
上空から声がした。見上げると、そこに昂翼の姿が。背中にコウモリのような翼が生えてはいたが。
昂翼は<夢蝕み>だったのだ。
何か術を使ったようだ。蜘蛛の動きがピタリと止まる。
「そいつは光属性に弱いはずだ。今なら攻撃を当てることもできるだろう?」
従わない理由もない。永空は言われるままに「天使の腕」を叩き込んだ。
シュウシュウという音を立てて、巨大蜘蛛はあっけなく倒れた。
「…どういう…ことだ?」
永空は呆然と問いかける。
「私は、この蜘蛛が近隣の村を狙っていることを知っていたんだ。私では一時的に無力化させることはできても、攻撃が効かない。だから、村人たちを私の屋敷に匿っていたんだよ。…娘だけだったのは私のシュミだけどね」
永空が一瞬顔を歪め、殺気立ったのを見て、慌てて付け加える。
「とと、最後まで話は聞いてくれ。村人全員を匿ったのでは目立つだろう? バレずに『保護』する必要があった。娘ならば攫われても不思議はあるまい?」
「『バレずに』? 誰にだ? 何の目的があって!」
「曹操だよ」
「な?!」
「曹操の配下が村人を『材料』に、魔物を作り出そうとしているのだと聞いた。赤壁の敗戦から這い上がるためにね。
あの戦いで曹操は多くのものを失った。今のままでは天下どころの騒ぎじゃない。失ったものの代わりに魔物の力を使うことで、天下を手中にしようとしているのさ。
ま、それも全部、曹操の取り巻きの勝手な判断なんだけど」
「そんな…そんなことが…」
「永空。君ならば頼める。ここから先に行ってくれ」
昂翼が指し示したところに空間の歪みが生じた。その先にどこかの通路が見える。
「この先に、『兵器』となる魔物を作り出す施設がある。そこに行って、未然に防いでくれ。 もうこんなことが起きないように」
「昂翼…おまえ…」
「ある人に頼まれてやっている。おっと、これぐらいで惚れるなよ」
「だ、誰が!」
「永空。一刻を争う。早く向かってくれ」
「おまえのためではないからな!」
言い訳めいたセリフを残し、永空は通路の先へと消えていった。
「やれやれ。…また会えるといいね、永空」
昂翼はいつまでもクスクスと笑っていた。
何を考えてるんだ、あいつは!怒り狂いながら先に進む永空。
辿りついた先は、奇妙な部屋だった。
こぽこぽと音をさせた透明の円柱が並び、その中には臓器のようなものや何かの生物の一部が浮かんでいる。
「こ、これは? 化け物のもとか?
…『未然に防げ』と言っていたな」
独り言を言って、一気に壊して回る。中のものは外に出た瞬間にぐずぐずと崩れ、ただの細胞の塊になっていった。
と、そのとき。どこからともなく、リィンという鈴の音がしてきた。
「あらあら。困るわね。そんなおいたをしちゃ」
ふと見ると、謎めいた雰囲気を持つ女性が部屋のドア付近に立っていた。見たこともないような白い服を羽織っている。
天使の姿でいる永空を見てもまったく動じることがなく、そのままつかつかと永空に近寄ってきた。
真っ赤に濡れた唇が、青白い肌と相まってやけに印象的だった。そして耳につく鈴の音。どうやら、猫のように首につけているようだった。
「ふぅん」
永空を眺めやると「…おいしそうなお嬢ちゃんねえ」囁きかけ、ふと、首筋に顔をうずめた。
痛みが走る。思わず、永空は飛び退った。
首から血が勢いよく吹き出てきた。そんな様子を見て、女はペロリと唇を舐めながらクスクスと笑っている。
そうか、この女…吸血鬼か!
「貴様が作っていたのか?!」
「そうだと言ったら?」
「何故こんなものを作る!」
「曹操様のためですわ。あの方が天下をお取りになるために。あんな敗戦ごときで埋もれてしまう曹操様ではいけないのですわ」
怒りが永空の全身を支配した。
「こんなものを使わねば天下が取れぬほど、曹操は小物か!!」
飛びかかって一気に攻撃をしかける。渾身の力をこめた攻撃を吸血鬼に。
確かな手ごたえを感じた。光属性に弱い吸血鬼は、断末魔の叫び声をあげてあっさり滅んでいった。
彼女の首についていた鈴が転がり落ちてまたリィンと鳴った。後は灰がさらさらと流れるだけ。
彼女が当分蘇ってこないように、とどめはしっかりさしておいた。
灰の中に落ちている鈴が気になって、ふと手に取りながら永空はつぶやいた。
「…無理に作った力など求めるべきではない。人も、魔物もな…」
人の世の統一は人の力で行われるべきだ。まして作られた魔物の力を使うなど…。
「乱世の奸雄」とまで呼ばれる曹操が、敗戦の痛手から這い上がるのになんで魔物の力を使う必要があろうか。あの男なら人の力だけで十分のはず。それがわからず、己の主君を信じきれなかった彼女が憐れに思えた。そっと鈴を握りしめ、少しの間黙祷を捧げる。
さて、用事は済んだ。後は帰るだけだな。
そう永空が思った瞬間、周りが眩いほどの光に覆われた。
え? と思う間もなく、永空は見覚えのある光景の前にかりそめの人間の姿のままで佇んでいる自分に気がついた。
「ここは?」
あの村だった。平和なままの。あの蜘蛛に襲われて壊滅する前の。
いや、違う。
村娘の姿も見られた。私は…夢を見ていたのか?
リィンという音がした。
手の中にあの鈴を握りしめたままでいたことに気がつく。
では、やっぱり…?
呆然としていると、後から声をかけられた。橘華だった。
「永空先生、どうかしました?」
永空は振り返ると、にっこり笑ってこう答えた。
「いいえ。なんでもありませんよ。さあ、行きましょうか」
<了>
永空のプレイヤーより寄稿いただきました。
根古道さんではない別のGMとプレイしたソロシナリオを元に書き起こした作品です。
<おまけ>
Y's> 色仕掛けじゃなくて、「天使の翼」で西の塔を切り抜けるのではダメだったんですか?
「天使の翼」に見とれている見張りを気絶させてから人の姿に戻って、扉をあけて女の子たちを逃がそうとしたところで戻ってきたヤツに発見されて…という展開もありえるんじゃ?
はるか> はう。確かにそうだ。言われて気がついた(^^;)
そっちだったら色仕掛け必要ないじゃん!
…セッション中に実際やりましたし、まあ、実は永空もやってみたかったんでしょう!(笑)