confeitos
迷子のガキに懐かれた。
俺は、一刻も早く家に帰らなければならないというのに。
「おにいちゃん…どこいくの?」
「っ…ちょ、ちょっと飲み物買いに行くだけだっ」
「ヒメノもいく…」
さっきからこんな調子。
そもそもの間違いは、俺がこのガキを陽魂と間違えたことだ。
だいたい木陰でしくしくめそめそ泣いていたりしたら、そりゃうっかり成仏しそこねた浮遊霊かと思うってもんだ(普段からそういう手合いばかりを相手にしているのが仇となった)。明神に散々っぱら大安業務を教え込まれている最中だったので、らしくもなく声をかけた。
そう、それが原因でこんな事に。
「ヒメノ、オレンジがいい」
「…炭酸しかねぇ」
「しゅわしゅわ…のめない…」
「あーーーじゃあカルピスで我慢しろ」
落ちてきた缶を投げやりに渡すと、自分の分の缶を拾い上げる。中身を半分ほど飲み干した時点で下を見下ろすと、未だに両手で缶を握りしめたまま、ガキはうらめしげにこちらを見上げていた。
「なんだよ」
「…ヒメノ…ないの」
「は?」
「あけるのできないのー」
握りしめて温くなっていた缶を取り上げると、何やら口を開けようとして苦戦した跡。見ればガキの指先は少しだけ赤くなっている。
「…開けられないって言いたかったのか」
「ジュース!」
にはっと笑って缶を受け取ろうとした瞬間に、抱えていたクマのぬいぐるみが落ちそうになった。慌ててキャッチすると、びっくりしたようにガキが俺を見やる。
「おにいちゃん、クマさんごめんね?」
「…あのな、そういう時は『アリガトウ』でいいだろ?」
「あ、ありがとう!」
マイペースにジュースを飲んでいる姿を見ていると、急いで帰らなければいけなかった理由がなんだったのかスッカリ忘れてしまった。…何か重要な用事だった気はするのだが。
「はぁ…お前いい加減帰れよ」
「のんだらゴミばこにぽい!するんだよ!」
「ハイハイ、ぽいね」
握りつぶした缶をゴミ箱に放る。真似をしてガキも缶を放ったら、驚いた事にちゃんと入った。褒めて欲しそうに目をキラキラさせてこちらを見るので、仕方なくため息混じりに「上手いな」と言って頭を撫でる。満足したのか、俺の手を握ってガキはまた笑った。
「大体お前、なんで一人でこんな街の外れに居たんだよ」
「…クジラさんが」
「は?」
「………なんでもないの」
先ほどまでの笑顔から移転して、泣きそうな顔をして俯く。火が消えたようなその様子にさすがに心配になる。このガキが単なる迷子でないことは薄々感じていたし、どこか生き物の気配に脅えているような雰囲気があった。
それはともかくとして、こう泣きそうな顔をされたのでは、やっと泣きやませた俺の努力が全部水の泡だ。先ほどと同じように抱き上げようとして、やはりちょっと躊躇する。さっき迂闊にもこのガキを抱き上げて、自分を他人のぬくもりに安堵を覚えていた。そのことが少しだけ悔しかった。一人で生きていけると思っていた頃ほどではないけれど、やはりそういった要素に素直になるのはまだ抵抗があった。
「…おい」
「?」
「泣くんじゃねぇぞ」
「ぅん…おにいちゃんだっこしてくれる?」
「うっ…」
またうるうると見上げてくる。仕方ない。仕方が無いんだとため息を二つほどついてから、かなりの間をとってしゃがみ込んだ。
「…ん」
「わーい!」
泣きそうだったのは演技かと思わせる程に、勢いよく飛びついてくるガキ。その暖かい体積をしっかりと持ち上げて、少し離れた場所にある森をみやる。このガキはあそこからふらりと出てきた。
「…家の場所わかんねぇのかよ」
「えとね、あっちのほう」
アバウトな指先に言及を諦める。黒い髪が風で広がらないように軽く抑えながら、俺はこの後どうしたものかと本格的に眉間に皺を寄せた。
「あーーーっ!!やっべぇ!明神に言われた用事忘れてた!!」
「おにいちゃんおつかい?」
「や、やべぇどうすっかな…今からダッシュで…いやこいつ置いていくわけには…」
「ヒメノ、おうちかえれるよ。おにいちゃんおつかい行くんでしょ?」
「バカ!置いてけるか!!」
生憎携帯電話なんて物は持ち合わせていないので、公衆電話を探してうたかた荘に電話をかける。電話口に出た管理人にとにかく正直に事の顛末を報告すると、最初はのんびりとしていた口調が段々と険しくなっていった。だが怒られる訳ではなく、ただこの足下にいるガキを一人にするなという事。俺は怪訝な顔をしながらもそれを引き受け、言いつけられた場所にこいつを連れて行くことにした。
「おい、ガキ。家探しにいくぞ」
「え?おつかいは?」
「大丈夫になった。だから行くぞ」
「…今のおでんわ、おにいちゃんのおかあさん?」
奇妙なことを聞く。生憎俺には両親が居ないが、それをこんな小さな子供に説明するのも気がひけた。その場しのぎではあるが、俺は投げやりに答える。
「違う。とーちゃん…みたいなもんだ」
「おとうさん…ヒメノおとうさんあんまり会えないの」
「…そうか」
意味がわかっているのかいないのか、小首をかしげるガキに違和感。だがいつまでもこうしているわけには行かないので、小さな手を不承不承ながら引いて歩き出した。
言いつけられた場所―――どうやら神社らしいのだが―――まで行けば、もしかしたら迷子の回収(?)でもやっているのかもしれない。普段なら明神の言う不可解な言葉には一通り反抗するところだが、今回の口調は急を要すると感じた。
結局、手を引いていたら埒があかなかったので、途中から抱き上げて歩いた。
「あー!ヒメノここ知ってるよ!」
「ふーん」
小さな子供が境内で遊んでいる。大人の姿は見あたらないが、とりあえず安全な場所ではあるらしい。日が傾きかければ親が迎えにでもくるのだろうか。
「…ここで待つか?」
「おかあさん、来るかなぁ…」
不安そうな顔に、親がくる保証などないのだとわかる。だが、他に方法も無いので仕方がない。俺は待つことにした。
「…おにいちゃん、おうちかえらなくて平気?」
「ああ、俺はお前みたいにガキじゃないからな」
「ヒメノ、ガキなんておなまえじゃないよ」
「ガキはガキだろ…」
そんな意味のない会話を数十分続けていると、階段を上ってくる見慣れた姿。
「明神…!!」
「おー、泣かさずちゃんと面倒みてたか」
「なっ…泣かせるわけねぇだろ!!」
突然現れた黒い大きな影に、ビクリとガキが身を竦ませた。どっちが泣かせそうなんだよと明神に言いたかったが、とりあえずしゃがみ込んで耳打ちする。
「大丈夫だ。俺の…とーちゃんだから」
「う、うん」
俺の耳打ちは聞こえなかったのだろう。明神は不思議そうな顔をしていたが、すぐにニッと口角を上げるとガキと同じ目線まで膝を折る。
「じょーちゃん、迷子か?」
「ううん。おにいちゃんとあそんでたよ」
「おお、そうかそうか。良かったな冬悟遊んでもらって。でもそろそろ日が暮れるから、帰ろうな。雪乃さんが待ってるぞ」
「…おかあさん?」
「もうすぐここに来るから、おじちゃんと待ってよう」
合点が、いかないぞ。それは明神。いくらなんでも。
「おい、明神…」
「冬悟、お前は帰って飯の支度でもしててくれ」
「は?!あのなぁ今日はお前の当番だって…」
「来週一週間、俺がやるから、先に帰っていてくれ」
「っ…!」
口元は笑っていた。
けど、目は笑っていない。サングラス越しでもそれはわかった。その位の月日は一緒に居た。明神は何かを隠しているし、それに俺を関わらせる気が無い。その事はハッキリわかる。
「…おにいちゃん」
「母ちゃんくるまで、泣くなよッ…!」
後ずさりした俺に合わせて、ガキが一歩前に出る。だが明神はそれを許さないように、そのちっさな身体を抱え上げた。
「また会えるさ。ほれ、バイバイだ」
「あ…おにいちゃ…」
身を乗り出してこちらへ来ようとするガキ。俺は見ていられなくて顔を背けると、階段の方へ向かって足早に歩き出した。
「おに…ちゃ…と、とうごおにいちゃん!!」
「!!」
明神以外に、呼ばれることのない名前だ。
だからか、反射ではなく、自分の意志でハッキリと俺は体を止めた。名前を呼ばれたことを認識して、確認して、体を止めて、振り向いた。
「…またね。おにいちゃん。ヒメノと遊んでくれて、ありがとうね…バイバイ!」
「ああ…またな………ヒメノ」
大きく手を振る小さな女の子。
ついさっきまで繋いでいた手は、とてもとても小さくて柔らかかった。だからか、自分の手のひらがやけに冷たい。
俺はぎゅっと拳を握って階段を駆け下りた。
明神が俺に何も言わないのは、俺が巻き込まれた時、俺が居ては邪魔だからだ。そうでなければ無意味な隠しごとなどしない。ということは、結局あの子供は仕事関係なのだろう。俺では役に立つことも出来ない仕事の内容なのだろう。
その事が、無性に苦しかった。
あの幼い手を引いた時、泣いたあの子を抱き上げた時、名前を呼んで笑った時、確かに、確かにあのヒメノという少女の世界にはいっぱいに俺が居た筈なのに。
「チクショウ…!!」
でも守れないのだ。あんな小さな命さえ。今の自分では、守れないのだ。それは、明神の勝手などではなく、真実なのだ。
強ければ、あの子一人くらい守れるくらい強くあれば、明神もきっと帰れとは言わなかっただろう。
「待ってろよ…俺だって、きっと…待ってろよクソっ…」
誰に言うとでもなく、誰に訴えるでもなく、俺はうたかた荘への帰路を全速力で走った。
曲がり角で振り向いた時、ふと境内の上が見えた。
小さな小さなヒメノは、更に小さく小さく遠くなってもなお、俺に向かって手を振っていた。
終
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