今日私は学校でとても楽しいことがありました。
帰り道を友達とその話で盛り上がりながら帰りました。
その途中、お仕事帰りらしい明神さんを見かけました。綺麗な女の人と一緒でした。
明神さんは、とても優しそうに笑っていました。
驚いたことに、それを見た途端私の楽しい気持ちはしゅるしゅると縮んでいって、みるみるうちに暗く小さくなりました。
とても悲しい気持ちになって、自然と涙が出そうになりました。
何が起きたのか自分ではわかりませんでした。
友達と別れてからうたかた荘に帰るまでの道程を、私は思い切り走って帰りました。
明神より早く家に辿り着きたかったからです。
君想う
「ただいまー」
階下で明神が帰宅を告げた。実に姫乃が部屋の扉を閉じて、息を整えた数秒後。聞こえるかすかな会話に目を閉じながら、鞄を机に置き、着替えるために壁に向かう。
鏡に映った自分の顔は、情けないくらいにしかめ面になっていた。
「変なの」
仕事で関わりのある人だ。きっとそう。そこに自分の入る余地は無いし、必要もない。姫乃とてそれは重々承知している。
でも。
「…なんでこんなに、苦しいんだろ」
自分の知らない顔だから?それとも単に、あの女の人に自分は嫉妬したのだろうか。
たかだかあれだけのことで。
「それだけなのに…なぁ」
知らず知らず言い訳のような口調になる。そんな風に思うことすら、なんだか哀しい。
制服を壁にかけ、畳に大の字に転がると明神の笑い声が聞こえた。それだけで少し視界が歪むのだから、本当に情けなくなってしまう。こんな、こんな自分は消えてしまいたい。
「ひめのーん」
「!」
突然呼ばれたことに、姫乃は思わずバネ人形のように起き上がった。階段を上がってくる足音がするということは、明神が上がってきたということ。
「ひめのん?起きてる?」
ノックの音と、明神が顔を出したのは同時だった。思ったよりもずっと早い登場に表情をとりつくろう時間が無かった。
「う、うん。何?」
やっとの思いでそれだけ答える。そんな姫乃を知ってか知らずしてか明神は四角い包みを掲げると、まるでとても良いことをした後のように笑った。
「おやついらない?」
「おやつ?」
「うん、さっき知り合いの娘さんに貰ったんだ」
あ。
姫乃はすぐに思い出した。夕方明神と歩いていた、綺麗なひと。とても親しそうに。
「…いらない」
「へ?」
「いらないっ」
「なんでさ?ひめのんの好きなシュークリームだぜ?」
「明神さんがあの人に貰ったものでしょう?なら明神さんが食べればいいじゃないっ」
「え、いや俺一人じゃそんな…って、ひめのん“あの人”知ってるの?」
「し、知らないよ!ただ、明神さんが一緒に居たの…見たんだもん。すごい楽しそうだったし…」
「ええぇ!?!いや、たのしいとかそんな」
明神としては姫乃が喜ぶと思ってわざわざ声をかけにきたのだろう。だが当の姫乃に意外な反応をされて慌てふためいている。
無理もない。明神にしてみれば、断られる理由すら思い当たらないのだから。
「俺、ひめのんが好きだと思ったから…こんなに貰っちまったんだけど…」
「…え」
「や、あの人世話してる和尚のお嬢さんでさ。仕事帰りに、子供のおやつが余ったからってくれたんだよ」
「子供…?おやつ?」
「ああ、四歳の子供がいるって言ってた」
姫乃はポカンとしてしまった。
もしかしたらと、低いがありえる可能性に、さっきまで不安で仕方なかった。
勿論、こんな落ちを、考えなかったわけではないが。
「なんだ…そうなんだ…」
「ん?どしたんだよひめのん。怒ったかと思えば呆気にとられちゃって」
「別に怒ってなんかっ」
「そうかぁ?なんか機嫌悪かったような…ま、いいや。食べるだろ?ひめのんが食べてくれないと、このシュークリーム泣いちゃうぜ?」
どうやればシュークリームが泣くのだろうと、どうでもいいことを考えながら姫乃はやっとぎこちなく笑った。
些細な、本当に些細な事だと最初からわかっていたのだけど。
「ほら、クリーム溶けちゃう前に食べなっ」
「う、うん」
おかしなくらいに安堵している自分。
明神の笑顔に、言葉に、気づかいに。
「美味い?ひめのん」
「おいしい…です」
「ははっ良かった良かった」
くしゃりと頭を撫でる手のひらに。
「…明神さん」
「うん?」
「ヤキモチなんか焼いて、ごめんね」
「…もぐ?」
もくもくと甘いクリームをゆっくり味わいながら、姫乃は目を白黒させている明神にそっと体を寄せた。
ちっぽけだけれど、切実なこの気持ちは、時にとても厄介だと思う。
けれど、それだけにこうして得られた僅かな幸福が、何物にも代え難いものだと知る。
「ひ、ひめのん…なんか誤解してた?」
「してた」
「えーと、じゃあ、や…やっぱりここで俺は、喜ぶべき…なんだろうか?」
「知りません。自分で考えてください」
「…姫乃さん」
「し・り・ま・せ・ん」
自分より、もしかしたらずっと素直かもしれない明神。
だからこそ不安になる。
この表裏のない人が、例えば自分以外の誰かを見つめはじめたとしたら、きっとそれを隠すことは出来ない。そして、それを許容出来るほど自分はまだ大人ではない。
そんな日がもし来たらと、想像するだけで哀しい。
「…でも、それはあいこだぜ?ひめのん」
「?」
「俺だって、ヤキモチくらい…焼く」
けれど、素直だからこそ。
「な、なにそれっ」
「だって、ひめのん結構もてるから」
その感情はとてもストレートで。
「へへへへんなこと言わないでよ!」
「ガクだってエージだって、最近はツキタケだって懐いてるし、学校でだってきっと…」
子供じみているけど、とても純粋に。
「明神、さん…」
時に、羨ましくなるほどに、真っ直ぐに。
「情けないけど俺は、いつだって気になって気になって…」
“ただ、君想う。”
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