プラネタリウム
一人暮らしの部屋が広いなんて、そんな贅沢な考えはもっていなかったけど。
姫乃は思っていたよりは広いけれど、でもやっぱり狭い自分の部屋をぐるりと眺めて腕を組んだ。机や本棚の配置によって、随分部屋の様相は変わってしまうし、寝る場所をどう確保するかによって見栄えもかなり違うと思う。
「でも…窓がこの位置だから…うーん」
あれこれと頭の中で部屋の模様替えをイメージしてみるのだが、そもそもそれほど家具は無いし、移動できるような余分なスペースもない。おまけに自分一人でそれをやるのは相当時間がかかるから、この部屋に明神を呼ばなければならなかった。
出来れば彼の手は煩わせたくない。
「どーせそんなこと気にしないだろーけどなー」
こんな気づかいが無用なこともわかっている。きっと嬉々として手伝ってくれるであろうことも、自分が頼ることを待っている節があることも。
とりあえずこれ以上部屋を広く(見せる)ことにも限界があることを、ようやく自分の中で納得させて姫乃は腕組みを解いた。そもそもこんなことを考え始めたのは何故だっただろうかと首を傾げて、机の上に広げてある科学の教科書を見つける。
ああ、これはあれだ。試験前になると部屋の掃除がしたくなるのと同じ心境だ。
そんな風に自分の心理状態を再確認すると、『宿題』とマルの着いたページとにらめっこするために椅子に座った。
天文学の分野が無いのは、それだけを勉強するには高校の設備などが間に合わないせいだろうかとふと思う。広げた教科書に載っているのは未だ場所を覚えられない星座ばかりだ。でも理科の中で一番好きなのは天体の分野だったし、親しみやすいのもそうだと思う。
姫乃は章の合間にある『プラネタリウム』の作り方をぼんやりと見つめながら、小さい頃一度だけみた事のある、大きなドームの中の星空を思い出す。
狭い部屋。
低い天井。
東京のわりに暗い夜。
「…あ、これいいかも」
思いついてからの行動は早かった。
マジックを引っ張り出して、予備の机の電気の電球を出してきて、黒いスプレーの変わりに黒い厚紙。大きな半球は無かったので、割と小さめのカプセルを持ち出す。穴を開けるにはどうしたらいいかと考えて、錐を借りてくるのもなんなので、コンパスの針で代用してみた。若干先っぽが丸くなってしまったけど…。
「ん…こんな感じかなぁ…」
教科書に載っている星座に一通り穴を開けて、名前も覚えていないような一等星や二等星もちりばめる。あまり小さな星は作っていられないので、とりあえず明るい星だけ。
ほぼ出来上がりのそれを見て満足した姫乃は、薄暗くなってきた部屋で寝転がって天井を見上げた。夜寝るときに部屋中が星空だったら、どんなにステキだろうか考えて。
ふとその時、一つまた思いつく。
今つくったばかりの球体に、適当に一つ、何も見ないで穴を開ける。
星図には無い星。
実在しない穴を開けて、姫乃はそれに名前をつけた。
少しだけ、我ながら恥ずかしいことをしている自覚を持ちながら。
日の暮れた部屋で、明かりを灯す。
満点とまではいかないけれど広がった星空に、ちょっといびつだと感想を漏らしながらそれでも充分上手くいったと、自然顔が笑顔になった。一番眩しいあの星を見つけて、心の中で名前を呼んで、苦笑する。
恥ずかしいなぁ。
そんな自分も嫌いではないと最近思えるのだけど。
触れてみようと起きあがって、背伸びをしてみる。すると案外簡単にその星は手の中に捕まってしまって、少しだけ後悔した。
当たり前だけど届いてしまったことが、少しだけ、寂しくて。
本物はもっと、ずっと遠くて手が届かない所にあるだろうに。
「はは…何やってるのかなー私」
馬鹿みたい、と呟いて、また転がった。
すると、まるでそのタイミングを計っていたかのように、窓の外から何かを叩くような音がした。
「ひめのん、寝てる?」
「え、明神さん???」
慌てて窓に近づいてみると、届くギリギリの窓の桟を叩く指が見えた。窓を開けてみれば、また屋根から顔を出しているサングラスの管理人。
「あ、起きてた」
「な、何やってるの?またそんな所で」
「いやー、今ちょうどアンテナの修理してたんだけどさ。ちょっと上がってこない?ひめのん」
「…え?なんで?」
「ん」
にっと笑って上を指さす。
指された先を見上げてみれば、そこには作り物なんかじゃない、本物の星空。
「今日、ちょっと冷えてるからさ。結構見えるぜ」
そんな風に、子供みたいに笑う明神を見ていたらもう、断ることなんて思いつきもしない。姫乃は「わかった」と短く行って窓を閉めると、足下のプラネタリウムの電気を消して部屋を出る。
星空は、一人で眺めるものだと思っていた。
今までもずっとそうしていたし、これからもそうだと思っていた。
でも。
「お、ひめのん来た来た」
「あれ?明神さん一人?てっきりエージ君やアズミちゃんも居るかと…」
「………えーと」
困ったように情けなく眉尻を下げる明神。何かオカシナ事を聴いただろうか?
「まぁ、いいから。座りなさい、ね」
ぽんぽんっと自分の横を叩く。姫乃は言われた通りに明神の隣に座って、少し早くなった脈が聞こえないことだけを祈った。
「ひめのんって星座詳しい?」
「全然。星は好きだけど」
「あはは、俺も同じだよ…何度教えて貰っても覚えなかった」
笑いながら空を見上げる横顔を盗み見る。サングラスをしたまま星が見えるのだろうかなんて、そんな事を考えながら見ていると、気付いたのか明神が苦笑した。
「見えないこともないんだけどな。やっぱ変か」
「え?あ、そういう訳じゃ」
「でも取った方がひめのんの顔よく見えるしな」
そう言って、サングラスをとってまた笑う。
夜空に明神の髪が妙に映えて、それだけでいつもと違うと思っていたのに、いつものような軽い笑顔じゃなく、そんな風に穏やかに笑うのはずるいと思う。
動悸が激しくならないように、そればかり気にしている姫乃はそんな風に理不尽な難癖をつけてやりすごしていた。
「明神さんは、好きな星座とか、ある?」
自分の方を見つめたままでいる明神に落ち着かなくてそんなことを聞くと、意図した通りに彼は星空に顔を向けた。
「そうだなぁ…星座とか俺、オリオン座くらいしかわかんねーや」
「じゃあ、好きな一等星とか」
「うーん、北極星くらいしか区別つかないけど…?」
埒があかない、と思わず笑うと、明神は「悪かったな」と言って姫乃の頭を小突いた。
「私はねー…あるよ。好きな星」
「へぇ、どれ?」
「あの中には、無いの」
自分の部屋の、あのちっぽけなプラネタリウム。
あそこにだけ閉じ込めた、自分だけが知っている星。
同じ名前の本物が今、隣で笑っているなんて言えっこないと思いながら、それ以上は言う気がないと言外に込めて明神から目を反らした。
明神はそんな姫乃をしばらく不思議そうに見つめたあと、星空と姫乃を交互に見て、少し考えこんでから言った。
「あったよ。俺も好きな星」
「?」
顔を上げると、また穏やかに笑う顔。
「一番星、みーっけ」
ぽんっと頭を撫でらる。
言われた意味を信じられない思いで考えて、その顔を見返した姫乃に明神は照れたように肩を竦めた。
「あ、ちょっと今の我ながら恥ずいこと言ったな?俺」
ふざけて誤魔化そうとするのとは、ちょっとだけ違う。まるで、姫乃の反応を伺っているようなその表情に、もう姫乃は顔が赤くなっていることも、心臓の音がいつもの2倍くらい響いていることも構わず明神の腕をぎゅうっと抱き締めた。
「…ひめのん?」
「明神さんて、時々恥ずかしい事言うね」
「う、すいません」
謝る姿が情けなくて、少し吹き出しそうになる。それでも姫乃は嬉しくて嬉しくて、ただそれだけなので首を振った。
「ううん、かっこいいよ」
「ひめのん…ホントにそう思ってる?なんか笑ってない?」
「そんなことないよー?」
顔が笑っているのは、明神がおかしいからじゃない。自分が嬉しいのを止められないからだ。
でもきっと自分が笑顔全開なのを見たら誤解されてしまいそうだから、姫乃は顔を上げないように明神の体に腕を回す。
抱き締め返してくれた腕は遠慮がちだったけれど、秋風に冷えた体には充分暖かかった。
終
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